特定失踪者という話が濃厚である。
北朝鮮と国交を結ぼうという人たちがいる。
北朝鮮に金を送るパチンコ屋が存在し、 パチンコ屋に雇われた多くの元警察官が
いるこの現実では まだまだ 拉致等の 国内テロ危険はなくならない。
まず、現状を知ること。
① 新聞やテレビなどのマスコミは すべて
② 北朝鮮の金や思想によって操作されて
いた、社会党の議員たちがいまだに
党を変えて存在し、政治に口を出す
増しては 朝鮮人の地方参政をいう立憲民主、
動いている人間がいるかもしれない
を勉強する馬鹿な人間が存在し、その
の議員がいる事を知ってほしい。
⑤ どうして北朝鮮と断交を
続けられないのか。
拉致問題が終わらないかぎ
りこんな恐ろしい国と近
づきたくないと多くの
国民は思っているはずだ
??????
“風化させてはいけない”引退する80歳事件記者が追い続けた「伊勢・女性記者不明事案」 三重
「厳しいけど、スクープしたときには記者冥利に尽きる。やっぱり人間長生きしないとだめですね」(中京テレビ三重支局 服部良輝記者)
服部記者は半世紀に渡り、日々発生する事件や事故の現場に駆け付け、視聴者にニュースを届けてきました。大ベテランにも関わらずその謙虚な取材姿勢は、私たち若手記者の尊敬の的です。
ニュース原稿をパソコンで書くのがあたり前となった今でも、服部記者は“手書き”を貫いています。
「(絶対に3Bの鉛筆なんですか?)そうそう、これが一番書きやすい」(服部記者)
昭和の初め、服部記者は三重県津市で、7人兄弟の4男として生まれました。戦争の影響もあり家計は苦しかったといいます。
「高校受験に失敗してしまって、橋の建設作業員をしていた。作業をしているところを同級生が見て、“よっちゃん(服部記者)頑張れな”と。励ましてくれたんでしょうけど、悔しいなという気持ちになりました」(服部記者)
「記者になる気概はないかと言うもんで、“なりたいけど、そんな学校も何も出てないし、こんな自動車運転手からなれないでしょう”と言ったら、“今は時代が変わってきている。やる気があるなら、応援する”ということでね」(服部記者)
記者として新聞社で26年間勤めあげ、56歳で中京テレビに籍を移し、三重支局ひと筋。捜査一課へ通うことを日課にしながら事件を担当し続け、80歳を迎えました。
「(仕事は)飽きませんね。飽きちゃだめです、仕事に惚れないと」(服部記者)
心残りは「伊勢・女性記者不明事案」
服部記者には、心に棘のように刺さったままになっている、ある事案が。膨大な取材資料の中から取り出したのは…
「雑誌記者をしていた辻出紀子さん。もう20年になるが未解決。一刻も早く解決してあげないと」(服部記者)
彼女の名前は辻出紀子さん(当時24歳)。主に地域のレジャー情報を扱う雑誌の記者でした。
「“この街自慢”が好きで、(街に)いろんなお店ができて、もっと元気になってほしい。若い人も行けるような所が増えてほしい」(当時の辻出紀子さんのインタビューより)
警察は事件に巻き込まれた可能性が高いとみて、広範囲に渡る捜索を行いましたが、解決に至る手がかりは掴めず、チラシを配るなどの公開捜査に踏み切りました。しかし現在に至るまで、辻出さんの行方は分かっていません。
服部記者には今でも、発生当時と変わらない想いがあります。
「この11月で行方不明になって20年になる。風化させては絶対にいけない。なぜ彼女が巻き込まれなければいけなかったのか。事件記者として追う必要がある」(服部記者)
女性記者の両親「骨がかえって来ることを祈る」
辻出さんが行方不明になり20年目を迎えた今年。
「すみません。突然電話しまして」(服部記者)
引退を前に、辻出さんの両親に再び連絡を取った服部記者。これまで何度も通った、三重県津市の辻出さんの実家へ。
迎えてくれたのは、紀子さんの父・泰晴さんと母・美千代さん。20年の時の流れも、残された家族の痛みを癒やすことはありませんでした。
「紀子さんに対する今の気持ちを教えてもらえませんか」(服部記者)
「紀子自身が最後は家族だと。たくさん友達がいても、最終的には家族だと言っていた。どこかで見ていたら、私たちが待っていることをわかってくれたらいい」(母・美千代さん)
未だ、紀子さんの行方を示す有力な手がかりは見つかっていません。両親は、紀子さんが事件に巻き込まれたと考えています。
「家出をしなければいけない理由がない。家出するんだったら正々堂々と会社を辞めていくと思う」(母・美千代さん)
自宅の倉庫には、紀子さんの車が当時のまま残されています。
集まらない情報と、進展しない状況。その気の遠くなるような時間は、徐々に、待ち続ける家族の希望を奪っていきます。
「紀子さんはまだ生きていると思いますか」(服部記者)
「ほとんどないですね。生きていると思っていない」(母・美千代さん)
「200%生きていない。どう考えても」(父・泰晴さん)
「200%だめだというのはつらい」(服部記者)
「もう、骨がかえってくることを祈っているだけ」(父・泰晴さん)
「ほとんどないですね。生きていると思っていない」(母・美千代さん)
「200%生きていない。どう考えても」(父・泰晴さん)
「200%だめだというのはつらい」(服部記者)
「もう、骨がかえってくることを祈っているだけ」(父・泰晴さん)
事件記者は取材で事件の真相を追うだけでなく、事件に巻き込まれた人々の想いに寄り添い向き合っていくものだと、服部記者は私たちに話します。
「20年って一口に言うけど、すごく長い期間ですよ。風化させないためにもメディアは事件を追う。何かちょっとしたことでもいい。そこから大きく捜査が展開する可能性がある」(服部記者)
再び現場へ 「風化させてはいけない」
「(紀子さんの車が)斜めに停まっていました。車を放っておいて、(いなくなるのは)あり得ない。その辺はおかしいおかしいと初めから言っていた」(元刑事 森川恵一さん)
森川さんは当初から事件性を疑っていました。車が残されていた駐車場は勤務先に近いものの、辻出さんが車を停める場所ではありませんでした。
不可解な場所に残された車。一体何があったのか。
その後の調べで行方不明となった夜、辻出さんは、雑誌の取材先の男性と面会し、男性の車の中で話したことが分かりました。しかし、その後の行方は分かっていません。有力な情報は得られず、今も未解決のままです。
「やはりこれだけの大きな事案であり、家族が一日千秋の思いで紀子さんの元気な姿を待っている。これは絶対風化させてはいけない。県民市民にこんな事実があると伝えることが大事」(服部記者)
解決への希望を持ち続けたまま、服部記者は今月末に引退します。
三重支局 坂元亮太