パルデンの会

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反日韓国は日本が作った あとがき

韓国の呪術と反日青林堂
但馬 オサム
その5―第4章 反日韓国は日本が作った
あとがき

三日月会 様
 反日韓国のシンボル的な存在の安重根閔妃について、著者は次のような事実を紹介しています。
 抗日英雄として韓国民のヒーローとなっている安重根ですが、伊藤博文暗殺当時は、韓国での評価は決して高いものではありませんでした。高宗からし安重根を「物事の理事を解さない流浪人」と唾棄にも等しく切り捨てています。韓国の知識人たちの反応も「馬鹿なことをしてくれた」「国の恥」という見識が大勢でした。ソウルでは1万人規模の伊藤追悼集会が行われ、全国各地に広がったといいます。
 ところが、日本の愛国者などに安重根を評価する声があり、これが戦後、韓国で、「日本人も尊敬している安重根」→「罪深い日本人さえ安重根の正論を認めざるを得なかった」→「安重根の行動は正義に違いない」という論法の飛躍があった、と著者推測します。
 閔妃は戦前の悪女の代表から今や「明成皇后」「誇り高く慈悲深い国母」「日帝の飢狼によって殺害された悲劇の王妃」とされています。国費を私的に浪費し、国政に介入した閔妃が、慈悲深いはずはなく、戦前は言うに及ばず、戦後70年代までは、映画にしても徹底的な憎まれ役として描かれていました。それが、80年代以降完全に逆転したイメージ・ロンダリングが行われるようになったのです。
 このきっかけを作ったのが、伽耶大学客員教授の崔基鎬氏によると日本の愚かな女性作家が閔妃に同情的な本を書いた」ことにあるというのです。愚かな作家が書いた本とは角田房子著「閔妃暗殺―朝鮮王朝末期の国母」です。閔妃殺害を三浦公使の単独計画と決定づけ、日本人の贖罪意識に訴えかけるものでした「悲劇の王妃」というイメージはこの本から韓国に伝播したのでした。閔妃の息子でのちの純宋は現場にいて、母親を殺したのは、訓練隊隊長の禹範善だと証言したばかりか、日本に亡命していた禹を刺客を送って殺害しています。根拠のないウソを書いた本が基になり、閔妃神話が生まれてしまったわけです。
 
 
令和元年6月10日 「史実を世界に発信する会」 茂木弘道
By Tajima Osamu
Series No.5: Chapter 4 Anti-Japanese Korea was made by Japan