パルデンの会

チベット独立と支那共産党に物言う人々の声です 転載はご自由に  HPは http://palden.org

国内の「政治とカネ」の問題よりチベット問題が気になるわけ

福島香織さんのブログから~



【記者ブログ】国内の「政治とカネ」の問題よりチベット問題が気になるわけ 
http://sankei.jp.msn.com/world/china/090305/chn0903051434005-n1.htm

北京・平河趣聞博客(ぺきん・ひらかわこねたぶろぐ)福島香織
http://fukushimak.iza.ne.jp/blog/

趣聞とは、中国語で興味深い話題、噂話。博客は中国語でブログのこと。北京帰りの新米幹事長番が、日々の仕事で得たゴシップ、感慨などをつらつらと。いつか北京に帰り咲けると信じて、中国情報もウォッチしとこ。


■プンツォク・ワンギェル(プンワン)氏について、おさらいというか、あらためて簡単に紹介しておく。1922年、チベット・バタン生まれ。旧チベット政府と国民党の圧政に苦しむ東チベット・カム地方の窮状を憂い、共産主義がかかげる民族自決の理想に共鳴して共産党員となり、「東チベット自治同盟」を結成。鄧小平、劉伯承、賀竜らにラサおよびチベット地域のチベット族による革命活動の状況を報告し、中国、ソビエト、インドの共産主義者とともに革命に参加したがっている同志の存在をつたえ、いわば中国共産党の「チベット解放」への道のりを先導した歴史の重要人物である。
■実はプンワン氏は、チベットの革命のモデルを明治維新を考えて、明治憲法を参考にチベット憲法の草案を書いたことがあるのだという。極めて高度な文明と完成された伝統文化をもち、それゆえ国際社会の潮流に無頓着だった国家としてチベットと日本に共通点を感じていたようだ。プンワン氏は、「チベット潜行10年」などの著書で知られる木村肥佐生氏と親交があり、彼から日本の話、明治維新の話をよく聞いていたそうだ。ちなみに、そのときプンワン氏は木村のことをずっとモンゴル僧侶だと信じ、えらく日本に詳しいことを不思議に思っていたとか。
■そう考えると、チベット族からダライ・ラマへの敬愛の心を奪うことができないのは、日本がいくら近代化し、経済発展しても天皇陛下への敬慕が消えないのとよく似ているな、と思った。
■日本の近代化は明治維新とあの戦争の二度の大きな階段があったと思うが、日本があの戦争でまけたあと、米国が、天皇陛下の戦争責任をとわなかったことが、日本の今の発展につながったと思う。日本人の精神的支柱を奪わなかったからこそ、日本は再生できたし、20万人の民間人を一瞬で殺害した原爆を落とした米国とも今、同盟国として敵意より親近感をもってつきあえるのだ。
■逆に考えると、チベットも「解放」したのが毛沢東ひきいる中国共産党でなかったのなら、政治の実権をうばってもダライ・ラマというチベットの精神的支柱の存続を認めることができたならば、今のような状況にならなかったかもしれない。ダライ・ラマチベットの象徴、精神文化の支柱としてチベット族に愛されながら、防衛・外交などは国際社会活動は中国にたよる平和主義社会にとなっていたかもしれない、と。
ダライ・ラマ14世はチベット族の精神的支柱であるだけでなく世界有数の宗教人であり平和主義者としてノーベル平和賞も受賞している。法王が独立は放棄し自治を求める、とおっしゃるから、チベット族の多くが従おうと思うわけで、この対話による問題解決のチャンスを逸すれば、再び独立気運が高まって流血を伴う抵抗がおきるかもしれないし、それを武力で弾圧すれば、中国はそれこそ国際社会の鬼っ子になりかねない。
■そんなふうに考えると、はやくチベット問題もなんとなくひとごとでない気がして、一刻も早く平和な形で、ダライ・ラマの帰還が実現し、ダライ・ラマを精神的支柱としたチベットの宗教文化の存続が約束される日がくればいいと思うのである。