パルデンの会

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「平和ボケ」した日本のメディアの「致命的な勘違い」

「平和ボケ」した日本のメディアの「致命的な勘違い」が、ペロシ訪台で見えてきた

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現代ビジネス

ペロシ訪台の結果は?

photo by gettyimages

 米国のナンシー・ペロシ下院議長が台湾を訪問した。これについて「安定を損なう」「対立を激化させた」といった批判が出ている。だが、そんな言説こそが「平和ボケ・日本」の勘違いではないか。こちらの基準で相手を判断すれば、かえって平和が危うくなる。 [

【写真】習近平、ついに“自滅”か…アメリカの論文が予想した中国「大崩壊」の末路  

 

今回の訪台について、中国は「これでもか」というほど激しい言葉で、けん制した。先週も紹介したが、中国外務省は「主権と領土の一体性を守るために、断固として強力な措置をとる」、国防省は「人民解放軍は、けっして座視しない」と警告した。  習近平総書記(国家主席)自身も7月28日、ジョー・バイデン大統領との電話会談で「火遊びをすれば、やけどする」と脅した。セリフ自体は目新しくない。だが、8月1日が中国人民解放軍の建軍記念日だったことも考えれば、偶発的な衝突が起きる可能性もゼロとは言えなかった。  たとえば、反米主義者として有名な中国共産党系新聞「環球時報」(英語版は「グローバルタイムズ」)の元編集長、胡錫進(Hu Xijin)氏は「もし、米軍の戦闘機がペロシ氏をエスコートすれば、問題は別の次元になる。それは侵略だ。我々の戦闘機は妨害すべきだが、それが効果を上げなければ、私はペロシの飛行機を撃ち落としてもかまわない、と思う」とツイートしていた。  撃墜を煽った発言は、さすがに行き過ぎだったのだろう。ツイッター社はこのツイートを同社のルール違反とみて、胡氏のアカウントを停止した。胡氏はアカウントを復活させるために、その後、ツイートを削除している。  2001年4月には、中国の戦闘機が米軍の電子偵察機、EP-3Eと衝突し、中国軍パイロットが行方不明になり、米軍機は海南島に不時着する事件も起きている。今回も、軍のパイロットが英雄気取りで撃墜しないまでも、搭乗機に異常接近するくらいの可能性は十分に考えられた。  米軍はそんな事態も想定して、空母を派遣し、いざというときはヘリコプターで救出する作戦を立てていたほどだ。  ところが、蓋を開けてみれば、異常接近どころか、何事も起きず、ペロシ議長の搭乗機は8月2日夜、すんなりと台湾の松山空港に着陸した。まったくの拍子抜けである。  これで恥をかいたのは、中国だ。さまざまなけん制発言は「結局、空脅し」とバレてしまった。逆に、米国は大きな教訓を得た。どんなに激しい言葉で脅していても「中国は最後に折れる」という実例になったからだ。この教訓は、今後に活かされるだろう。

米中の「チキンゲーム」はまだ続く

バイデン米大統領[Photo by gettyimages]

 もしも、ペロシ氏が脅しに屈して訪台しなかったら、どうなっていたか。  中国は米国の弱腰を教訓にして、今後も何かあるたびに、かさにかかって脅すに違いない。米国は腰が引けて、中国に強く出られなくなるかもしれない。そうなったら、最悪のシナリオだ。台湾奪取を悲願にする中国は、強気一方で押しまくればいいからだ。  今回の問題は、これで終わりではない。米中の「チキンゲーム」は、要素を少し変えたとしても、今後も続く。中国が台湾奪取を諦めることはないからだ。第1ラウンドは、幸い「米国勝利」で終わったが、次も勝つとは限らない。肝心の大統領の腰が引けているからだ。  先週のコラムで指摘したように、フィナンシャル・タイムズペロシ訪台計画を報じた直後の7月20日、バイデン氏は記者団に問われて「米軍は、それがいい考えとは思っていない」と語った。自分が最高司令官であることを忘れたかのような言い方だが、訪台をけん制する意図があったのは間違いない。  ホワイトハウスは8月1日になってから、ジョン・カービー戦略報道調整官(国家安全保障担当)が会見し「米国は脅しに屈しない」と表明したものの、訪台は「もはや止められない」と分かって、弱腰批判を避ける狙いだったのは明らかである。  バイデン大統領が今後も中国に対して、ペロシ氏が示したような「断固たる態度」で臨むとは、とうてい思えない。バイデン政権は対中方針をめぐって、議会との綱引きが続くだろう。

訪台批判を繰り広げる日本のメディア

林芳正外相[Photo by gettyimages]

 そこで、本題のペロシ訪台に対する評価である。  朝日新聞は「ペロシ訪台 軍事的な緊迫、回避を」と題した8月4日付の社説で「双方とも望まぬ衝突を避けるために、冷静な意思疎通による沈静化を図るべきだ」と訴えた。  中国に「武力を振りかざす示威行動は許されない」と指摘する一方、「ペロシ氏の行動についても疑問を禁じ得ない側面がある。なぜ、この時期を選んだのか。…地域の安定に資する外交戦略を描いていたのだろうか」と、やんわり批判した。  そのうえで、日本について「緊張緩和に向け、日本も米中の『橋渡し役』の役割を十分に発揮すべきときだ」と、お決まりの「橋渡し論」を掲げて、注文を付けた。るで、日本が自由・民主主義陣営に属していないかのようだ。ちなみに、橋渡し論は親中派林芳正外相の路線でもある。  東京新聞は、もっと率直だった。「台湾海峡緊迫化 米中とも自制が肝要だ」と題した同日付の社説で「ペロシ米下院議長の台湾訪問は、米中対立を一段と激化させてしまった。…ペロシ氏も自重すべきだった、相手に挑発と受け捉える行動を繰り返せば、対立は制御不能になり不測の衝突に発展しかねない」と批判している。  こうした訪台批判は、両紙のような左翼新聞に限らない。  ハフィントンポスト日本版(朝日新聞との合弁企業)に掲載されたインタビューで、ある日本の学者は「(訪台に)デメリットはありますが、何がメリットだったのか。誰も説明できない。ペロシ氏の訪台が台湾や台湾海峡の安定にとって何かプラスを生んだのか、説明できないのです」と批判している。  そのうえで「ペロシ氏は何かを持って来られる立場になく、むしろ勲章をもらって帰るだけ」「台湾海峡の安定を実現し、台湾の民主主義を守るために米台関係を強化していくことは重要です。そのためには粛々とやることが一番大事」などと主張した。  別の学者も、この発言をツイッターで「とてもわかりやすい解説」と評価している。

「静かに話せ論」が犯している勘違い

 私は、ペロシ訪台を評価する。べつに、この時期でなくても良かったと思うが(ペロシ氏自身が当初、4月を予定していた)「この時期はダメ」という話でもない。中国の反発がどうであろうと、台湾の自由と民主主義を断固として支持する姿勢を示すことが重要だ。  問題は「相手を挑発すれば、対立が激化する」とか「静かに話せ」といった主張が、そもそも「安定を損なっているのは誰か」を忘れている点である。それは中国ではないか。  中国は台湾だけでなく、南シナ海東シナ海で我がもの顔で振る舞い、力で威嚇している。日本も脅されている国の1つである。自由と民主主義を標榜する国が、力による威嚇に反対するのは、当然だ。  そのうえで「静かに話せ論」が勘違いしているのは、そうした主張が「静かに話せば、相手も分かるはず」という仮定を前提にしている点である。中国は「静かに話せば分かる国」なのか。そうでないのは、そう主張している本人たちも、実は内心、承知しているはずだ。  ここで説明している紙幅はないが、中国には、十分すぎるほど、他国と自国の国民に対して乱暴な実績がある。もしも、論者たちが本気で「静かに話せば分かる国」と思っているとしたら、それこそ救いがたい不勉強である。  にもかかわらず、こうした主張が出てくるのはなぜか。  自分たちの基準で相手を判断しているからだ。日本では「話せば分かる」文化があまりにも大事にされているから、「相手はそうではない」と頭で分かっていても、無意識のうちに、つい「相手もそうだ」という前提で考えてしまうのである。  そのうえで、ここがより重要なポイントなのだが、メディアにとって、実は「相手もそうだ」という前提で語ったほうが「読者の受けがいい」からである。だから、そういう前提で語ってくれる学者を重宝する。学者も、使ってもらえてうれしい。そんな構造が「話せば分かる」論を、日本にはびこらせているのである。  なぜ「読者の受けがいいか」と言えば、まさに日本では「話せば分かる文化」が、とても大事にされているからにほかならない。メディアは(そして、それに調子を合わせる学者も)読者の求める話を提供しようとする。それが、互いのビジネスにとって、都合がいいからだ。  もちろん、戦いよりも「話せば分かる論」が大好き、という左翼の特性もある。だが、必ずしも左翼というわけでもない学者たちにも、この論が根強いのは「そう語っておいたほうが、日本社会では無難」という文化の問題が根本に横たわっている。

「西側の常識」では見えてこないもの

コラムニストのトーマス・フリードマン[Photo by gettyimages]

 残念ながら、中国やロシア、北朝鮮のような独裁・専制主義国家は「話せば分かる国」ではない。だからこそ、ときにはムチや大胆な行動が必要になる。「オレたちは、脅せば屈する国ではないぞ」と、相手に分からせなければならないのだ。  思い返せば、ロシアのウクライナ侵攻についても、日本の学者や専門家のほとんどは、侵攻前に「ロシアが侵攻するわけがない」と唱えていた。これも、ウラジーミル・プーチン大統領の発想や論理を、西側社会の常識で理解しようとしたからだ。  国際関係について、根本的な理解の仕方が間違っているのである。  にもかかわらず、日本のメディアは、そんな間違った専門家や学者の意見を相変わらず、重宝している。西側社会の常識を前提に語ってくれたほうが、読者や視聴者の耳になじみやすいからだ。一言で言えば「人々が聞きたい話を流す」のが、日本のメディアである。そんな記事を読んでいても、真実は見えてこない。  同じペロシ訪台反対論でも、ニューヨーク・タイムズのコラムニスト、トーマス・フリードマン氏はさすがに、そんなに浅薄な反対論は唱えていない。「ペロシ訪台はなぜ、まったく無謀なのか」と題した8月1日付コラムは「ロシアと対決しているときに、中国と敵対すべきではない」というのが、反対の理由だった。  彼は「2つの超大国と同時に、2正面の戦争を引き起こしてはならない、というのは、地政学の基本(Geopolitics 101)だ」と書いている。これは、まったくその通りだ。実際には、中国が腰砕けになってしまったので、戦争にはならなかったが、このコラムが執筆された時点では訪台していなかったので、警告する意図だったのだろう。  ちなみに、フリードマン氏はロシアの侵攻についても、2月21日付のコラムで「これはプーチンの戦争だ。だが、米国やNATOが無罪の傍観者ではない」と米国と北大西洋条約機構(NATO)の責任を追及している。これに、私もまったく同意見だ。  日本のメディアや学者たちの主張が、いかに世界の議論とかけ離れているか。ウクライナ侵略戦争をめぐって浮き彫りになったが、ペロシ訪台をめぐっても、また明らかになった。ボケた日本はいつ、目を覚ますのか。私は当分、悲観的である。

長谷川 幸洋(ジャーナリスト)