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 明治期に鎖国状態だったチベットを2回訪問した群馬県伊勢崎市出身の探検家、矢島保治郎(1882〜1963年)の足跡を紹介する企画展が、みなかみ町の谷川岳山岳資料館で開かれている

明治期、チベットを2度訪問 波瀾万丈の探検家・矢島保治郎、再評価へ期待 みなかみの谷川岳山岳資料館 没後60年で写真など展示

2023年5月29日 07時43分 東京新聞
展示している矢島保治郎の写真を説明する八木原さん=みなかみ町で

展示している矢島保治郎の写真を説明する八木原さん=みなかみ町

 明治期に鎖国状態だったチベットを2回訪問した群馬県伊勢崎市出身の探検家、矢島保治郎(1882〜1963年)の足跡を紹介する企画展が、みなかみ町谷川岳山岳資料館で開かれている。出身地でも知る人がほとんどいなくなり、主催した館長の八木原圀明(くにあき)さん(76)は「再評価のきっかけになってほしい」と期待する。8月31日まで。(小松田健一)
 矢島は当時の殖蓮(うえはす)村(現在の伊勢崎市)生まれ。日露戦争に従軍し戦功をあげて軍曹に昇進したが、日本人で初めてチベット訪問に成功した僧侶の河口慧海(えかい)(一八六六〜一九四五年)の影響を受け、除隊して中国経由で単身チベットを目指した。
 道中で金を稼ぎながら一九一一(明治四十四)年、首都ラサ入りを果たす。密入国が発覚しそうになったため一カ月で立ち去り、二回目は翌年に日本軍部の依頼で再訪。当時のチベット仏教最高指導者、ダライ・ラマ十三世の信頼を得て、現地の女性と結婚し長男にも恵まれた。
 しかし、矢島はチベットを取り巻く複雑な国際情勢に翻弄(ほんろう)され、一八年に帰国を余儀なくされた。前橋市に居を構えたが、妻は異国になじめず体調を崩し若くして亡くなり、長男も太平洋戦争で戦死して後半生は不遇だった。
 企画展では、チベット滞在中の矢島の写真など約四十枚や関連する資料、八木原さんが現地で収集した仏具、民芸品などを展示する。八木原さんは「帰国後は目立った活動をせず、周囲からは大言壮語のほら吹きと思われていたようだ。今年は没後六十年の節目であり、困難に挑戦した矢島の再評価につながればいいと思う」と話した。
 開館は午前十時半〜午後四時半。木曜休館。無料。
 

おすすめの場所

谷川岳山岳資料館

谷川岳に関わる資料や展示物をはじめ登山道具の歴史がわかる展示物、ヒマラヤやチベット関係の展示物など豊富な資料や展示物があります。また、群馬県山岳連盟によるヒマラヤ登頂資料やチベット ダライ・ラマの親衛隊長を務めた群馬県出身の冒険家・矢島保治郎の資料も展示してあります。谷川岳登山後や、一ノ倉沢のトレッキング後に、ぜひお立ち寄りください。

〒379-1728
群馬県利根郡みなかみ町湯檜曽字湯吹山
電話:0278-72-6446
営業時間:9:30~16:30
定休日:木曜
営業期間:4月下旬〜11月下旬
入館料金:無料

駐車場はありませんので車でおいでの方はロープウェイ駐車場をご利用ください
 

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チベット国旗、雪山獅子旗チベットの軍事顧問としてダライ・ラマ13世の厚遇を得てチベットに滞在していた元陸軍の矢島保次郎氏の発案でダライ・ラマ13世が1915年(大正4年)頃に制定。チベット研究者、青木文教も発案に加わったという説も
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上野 大樹
 
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