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「宮崎正弘の国際情勢解題」
令和五年(2023)8月2日(水曜日)
通巻第7845号
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ウクライナはクリスマスをカソリックの12月25日にする
ゼレンスキー大統領はユダヤ教からカソリックへ改宗した。
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ウクライナのゼレンスキー大統領はクリスマスをカソリックの12月25日にすると発表した。これはウクライナの歴史を揺るがす「大事件」である。
ゼレンスキー自身はユダヤ教からカソリックへ改宗した。
7月28日だった。クリスマスをロシア正教会が採用するユリウス暦(旧暦)の1月7日から、カトリック教会と同じ西暦の12月25日に変更する法案にゼレンスキーは署名した。ロシア正教会との決別を宣言したことになる。
ウクライナ議会のHPにかかげられた法案説明では、「アイデンティティを求める絶え間ない闘争が成功を収めたことは、ウクライナ人全員が独自の伝統や祝日を持って自分の人生を送りたいという願望に貢献している」との文言がある。
この法律の目的は「1月7日にクリスマスを堂々と祝うというロシアの伝統を放棄する」ことだ書かれている。
ウクライナ正教会は東方正教会系がアルメニア、グルジアを経由して十世紀にウクライナに拡がった。ロシアより早くキリスト教を受け入れたのだ。
いわば先輩格であるにもかかわらず、ウクライナ正教会はソ連時代の宗教弾圧の残滓を引き継いで、ロシア正教会の管轄下にあった。
ところが、2014年のクリミア併合以降、独立機運が高まり、2018年にロシア正教会管轄から独立した。一部は地区の独自性からロシア正教会傘下にとどまっていたが、ロシアによるウクライナ侵略以後は、関係断絶を宣言していた。ロシアのミサイル攻撃は、こうした改宗教会が標的となった。
最初の攻撃は2022年3月12日、ドネツク州のウクライナ正教会(モスクワ総主教庁系)修道院の近くで爆発、これは生神女就寝スビャトヒルスク大修道院で、モスクワ管理から離脱したばかりだった。
2023年7月23日、ユネスコの世界遺産となったオデーサ大聖堂がミサイル攻撃で損壊した。ウクライナはロシアの攻撃と批判しているが、ロシアでも戦意をたかめるための自作自演説が根強い。真相はわからない。
戦争が始める三年ほど前に筆者はオデッサに四日ほど滞在した。
絵に描いたようにきれいな町でオペラ座前の広場にはエカテリーナ女帝の像が聳えていた(その後撤去)。観光名所の「ポチャムキンの階段」付近は世界からの観光客に溢れ、付近に日本料亭があったことも拙著に書いた。
クルーズ船で黒海沿岸をみた。豪華別荘がたちならび、じつに壮観、豪華ヨットも舫割れていた。旧市内の中心部だけが寂れた感じをうけた。ガイドに聴くとユダヤ人街で多くが海外へでていったからだと解説された。
攻撃された大聖堂を含む世界遺産の「歴史地区」には豪壮華麗な建物が林立し、美術館も、劇場も、そしてチェーホフ文学館もあって、とてもすべてを回りきれない。
▼宗教戦争の断面を見落としていないか
ロシアは戦争中に教会の攻撃は極力控えてきた。例外はロシア正教会がウクライナ正教会に宗旨替えした教会だけだったのだから。その後、協会の宗旨替えは活発化した。
ウクライナの宗教分布は東方正教会(ロシア正教)72%、東方典礼カトリック教会(ロシア正教の礼式でカトリックを受容)が14.1%、プロテスタント2.4%、カトリック1.7%、イスラム教0.6%、ユダヤ教0.2%、その他9%となった。ロシアの侵略以後、この分布地図はさらに激変し、各宗派のシェア拡大争いとなった。カソリックへの改宗が目立ち、現在の推定で12%程度がカソリック教徒ではないかといわれる。
バチカンはウクライナを全面的に支援していることは明らか、このバチカン系カソリックの最も強い国がポーランドである。
欧州の信仰の度合いには温度差があるとは言え、おおむねカソリックである。プロテスタント系が強いのはドイツくらいだろう。
また米国はプロテスタントの国の筈だが、諸派に分裂しているため少数派のカソリック信者の大統領はJKF以後、多い。バイデンもカソリックであり、ゼレンスキーのカソリックへの改宗も、そうした打算にもとづくのではないか。
それにしてもクリスマスの日取りの変更は大きな反発を呼んでいる筈で、ウクライナ社会も分裂を深くしたように観測される。
ユリウス暦とは共和政ローマのユリウス・カエサルによって紀元前45年から採用され、1年は365.25日とする太陽暦である。太陽年は365.24日でその差は11分15秒。しかし十六世紀にローマ教皇グレゴリウス13世が、太陽年との誤差を修正したグレゴリオ暦を制定した。
▼ユリウスの由来がシーザーだったとはブルータスも驚いただろう
わかりやすく言えばカソリック系はグレゴリオ暦、東方正教会系はいまもユリウス暦を導入している。
科学的合理性から言えば、グレゴリオが理に適っているが、伝統への固執はナショナルアイデンティティに属し、文化的心理的感性を尊ぶ側に立てば、異教徒の掟は受け入れがたいということになる。
日本のカレンダーは縄文遺跡から天文台に似た構造物が発見されているように古くから存在したが、詳細は不明のままである。
記録が残っている最古の暦は「日本書紀」欽明天皇14年(553)、百済から「暦博士」を招き、「暦本」を入手しようとした記事がある。
大化の改新(645)以後の律令制では、中務省陰陽寮が暦見の作成にあたった。古代の暦は「太陰太陽暦」で、月が地球をまわる周期(29.5日)に添って、30日と29日の長さの月で調節した。
天平七年(735)に吉備真備が唐から持ち帰った大行歴(だいえんれき)が、およそ三十年もの準備期間を経て、天平宝字元年(764)、藤原仲麻呂が実施した。その直後に仲麻呂は叛乱に失敗して斬となるが、暦は百年近く用いられた。
したがって万葉集も源氏物語も、この古代の暦から季節感を鑑賞する必要がある。
爾後は、貞観4年(862年)に宣明暦が導入され、それから和暦、貞亨暦を経て明治新政府は明治六年にユリウス暦、その後、明治31年からグレゴリオ暦に適応させて欧米と暦もあわせた。
したがって東方正教会系のユリウス暦に、かなりのウクライナ人には違和感があったことは事実だろう。
◎☆□☆み□☆☆□や☆◎☆□ざ☆□△◎き☆□☆◎