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やっぱり「愛子さま」は凄かった…伊勢神宮参拝「皇女」として、両陛下の気持ちを受け継ぐ責任感

やっぱり「愛子さま」は凄かった…伊勢神宮参拝でみせた秋篠宮家との「圧倒的な違い」

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現代ビジネス

過去のわが国には、10代8人の女性天皇がいたとされています。しかし、明治時代になりと、制定された明治22年(1889年)の旧皇室典範で、皇位継承は「男系の男子」だけに限定されました。 【写真】小室圭さんの様子がおかしい…2年前とはまるで「別人」に 専門家によれば、「側室制度のあった時代の古いルール」ということですが、その側室制度がすでに過去のものとなっているにもかかわらず、現行の皇室典範でも「男系の男性」に限っています。そんな皇位継承のルールは、「明らかな欠陥を抱えている」と識者は力説します。 『愛子さま 女性天皇への道』をこのほど上梓した、皇室研究者の高森明勅さん(國學院大學講師)に、そもそも天皇の地位を継承することにおいて、最も必要なことは何か――。前編記事<皇室存続の危機のなか、愛子さまが「もっとも天皇にふさわしい」と言える、2つの「シンプルな理由」>にひきつづき、そのシンプルな視点で、次代の天皇像ををうかがいました。

「皇女」として、両陛下の気持ちを受け継ぐ責任感

敬宮殿下が天皇、皇后両陛下のお気持ちをどれほどまっすぐに受け継いでおられるか。そのことがよく分かる出来事が令和6年(2024)の3月にありました。 印象深く覚えている人がいらっしゃるかもしれません。敬宮殿下が学習院大学を卒業され、日本赤十字社の常勤の嘱託職員として新しい人生のスタートを切られるにあたり、令和6年(2024)3月下旬(26、27日)に皇室の祖先神・天照大神を祀る伊勢の神宮(三重県伊勢市)と、初代の天皇とされる神武天皇の御陵(奈良県橿原市)に参拝された時のことです。 初日に伊勢神宮にお参りされ、翌日に神武天皇陵に移動される前に、同じ三重県内にある「斎宮歴史博物館」と「いつきのみや歴史体験館」(どちらも明和町)に立ち寄られました。これらは皇女などが「斎王」として伊勢神宮にお仕えした歴史にちなむ施設です。 ちなみに、秋篠宮家の内親王方が同じく人生の節目にあたって伊勢神宮神武天皇陵を参拝された時には、これらの施設に立ち寄られていません。そのことを考えると、敬宮殿下がご自身の「皇女」という立場を自覚されたうえで、とくに希望されたとコースだったと想像できます。 敬宮殿下が、皇女というご自身の立場を強く意識されていることは、大学の卒業論文のテーマに中世の歌人で皇女だった、式子(しょくし)内親王のうを選ばれた事実からも分かります。 式子内親王については、《繊細な抒情と孤愁を秘めた哀調とがよく調和し、洗練された作品が多い》(『日本古典文学大辞典』簡約版、岩波書店)と評されています。 皇女としてのご自覚には、両陛下のお考えやお気持ちを受け継ぐべき責任感も、ともなっていると拝察するのが自然ではないでしょうか。

国民の中に入っていく愛子さま

実際に、斎宮歴史博物館を訪れられた時の出来事が、そのことをよく示していました。この時、博物館の周辺には敬宮殿下をお迎えする多くの人たちが詰めかけていました。 その中には幼い小学生たちもまじっていました。敬宮殿下はそのことに気づくと、案内の人にあらかじめ確認されたうえで、ご自分から小学生たちに近寄られました。そして優しく子どもたちにお声をかけられたのでした。 これも予定外のご行動でした。子どもたちにとっては嬉しいハプニングでした。その微笑ましい光景を目撃した周りの大人たちも、殿下のお優しさに触れて、心がほんわかと温かくなったのではないでしょうか。 敬宮殿下はこのような場面で、誰かに指示されたわけでもないのに、ごく自然に天皇、皇后両陛下と同じような行動をとられました。 天皇、皇后両陛下におかれては、令和6年(2024)3月22日と4月12日と立て続けに、能登半島地震の被災地である石川県輪島市珠洲市と、穴水町能登町にお出ましになりました。 大規模な自然災害が起きた時に、現地の事情が許すなるべく早い時点で、天皇、皇后両陛下が被災地を訪れられる。そして被害に苦しみ、悲しむ人たちと身近に接し、その声に耳を傾け、思いをじかに受け止めることで、人々に大きな癒やしと慰め、さらに励ましを与えてくださる。 それは両陛下にとって、身体的にも精神的にも、想像を超えるご負担に違いありません。それでも、「国民統合の象徴」である天皇として欠かせない務めであると、天皇陛下の父親でいらっしゃる上皇陛下は思い定められ、平成時代の間、たゆまずにその重荷を背負い続けてこられました。 上皇陛下が平成28年(2016)8月8日、ご自身のご退位へのお気持ちをにじませたビデオメッセージを発表された中で、以下のように言及されていました。 「事にあたっては、時として人々の傍(かたわら)に立ち、その声に耳を傾け、思いに寄り添うことも大切なことと考えてきました」と。 被災者に寄り添い続けようとされることも、もちろんそのど真ん中に位置していました。その平成の皇室でのなさりようを、今上陛下はしっかりと受け継いでおられます。 さらに今回は、短い期間に繰り返し被災地に入られ、できるだけ広く多くの人たちに触れようとされました。上皇陛下のお気持ちを受け継ぎ、行動としてはより進められたと言えるかもしれません。

能登半島地震の被災地での天皇、皇后両陛下

天皇陛下らしさが発揮されたのは、二度目に石川県を訪れられた時の出来事でした。 穴水町を訪れられ、吉村光輝町長の案内で被災地を視察された時のことです。この時、深刻な被害の中でも、すでに営業を再開していた美容院がありました。 その美容院から、美容師やお客の人など何人かが手を振って、両陛下をお迎えする嬉しい気持ちを精一杯、伝えようとしていました。 その様子に天皇陛下が気づかれたのです。陛下は「声をかけていいですか」と町長に伝えられ、両陛下おそろいで、その美容院にわざわざ立ち寄られました。まったく予定にないご行動でした。 店内にいた人たちには、「お店はいつから再開されているのですか?」と尋ねられ、「お身体を大切にしてください」とねぎらわれたと言います。 その場にいあわせた人たちは、テレビ局のカメラの前で、興奮を抑えきれないまま、驚きと感激を語っていました。もしこのような場面に自分がいたら、誰だって驚くでしょう。最高のサプライズでした。 先の愛子さまの行動は、「国民の中に入っていく皇室」を目指しておられる両陛下のお気持ちに、平素から触れてこられたからに違いありません。 このような事実をひとつだけ取り上げても、令和の皇室にあって、ほかのどなたよりも両陛下のお気持ちをまっすぐ受け継いでおられるのは、敬宮殿下だということがよく分かると思います。 …つづく高森明勅氏の連載<じつは、悠仁さまにも大きな影響が…愛子さま女性天皇」問題で直面する「皇室存続の危うさ」>では、皇位にとって継承ルールの危うさをお伝えしています。

高森 明勅(皇室研究者)