パルデンの会

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日本チベット学の祖  河口慧海をたずねて 堺・七道駅から(追加)

日本チベット学の祖  河口慧海をたずねて 堺・七道駅から



慧海は、慶応2年(1866)、泉州堺(堺市北旅籠町)で、樽桶製造業の家6人兄弟の長男として生ま れ、幼名を定次(治)郎といった。生来勉学好きであったため、家業を手伝うかたわら、晩晴塾(土屋鳳洲)で儒学を学んだ。その頃、運命を決定づけた1冊の本『釈迦一代記』と出会い、仏道に目覚め、信心を深めていく。一方、宣教師コルベー女史について英語、聖書を勉強したり、 数ヶ月ではあるが、同志社に入学し、新島襄の講義も受けていた。
 その後、小学校の教員となるが、哲学館(東洋大学)の講義録を館外生として通信購読したのをきっかけに、上京し(22歳)、本所の黄檗宗五百羅漢寺に寄宿しながら、念願の哲学館に通学することになる。直に井上円了「印度哲学」などの講義を聴くことができ、さぞ感慨無量であったに違いない。 向学心旺盛な、しかしながら、苦学の青年であった。
そして、同寺で得度し、「慧海仁広」の名 を賜り、住職となるが、もともと勉学が目的であったこともあり、哲学館を卒業した後、雑務煩多な寺の仕事を辞し、宇治の黄蘗山で一切蔵経を読むことに専念する日々を送る。 その結果、仏教をもっとよく理解するのには、あるいは、文献の比較研究をするのには、既存の漢訳経典の他に、サンスクリット語(古代インド゙語の1つ)原 典、ないしは、原典に最も近く忠実に翻訳されているチベット語訳経典が必要であることを痛感し、危険を承知しつつも、ネパール・チベット入りを思い立つのである(実は『西蔵旅行記』はここから物語が始まっている)。 時代は、「廃仏毀釈」、「キリスト教解禁」、「日本近代化」など、目紛るしい激動・変革のまっただ中であった。
 明治30年(1897)、下準備としてパーリ語を習んだ慧海は、神戸を出帆する。まずインドのダージリンへ行き、サラット・チャンドラ・ダース(『蔵英辞典』は、現在でもチベット語を学ぶものにとっては必携の書)についてチベット語を習得、カルカッタに戻り、ネパールを経由して、ついに明治33 年(1900)チベットに潜入、34年には無事中心都市ラサに到着した。
当時チベットといえば、全人未踏の地・秘境の代名詞であり、厳重な鎖国主義をとった、正に禁断の地であった。従って、この慧海の求法の行程 が、いかに想像を絶する困難の連続であったかが推察できる。そして、ラサで1年余り勉学・修行に励むが、日本人であることが露見しそうになったため、チベットを去る決意をし、インドに戻り、明治36年(1903)帰国する。
 その年、東京と大阪の新聞に記事が連載され、後にこれらは上下2巻にまとめられて、『西蔵旅行記』という題名で出版される。本書は単なる 読物としてのおもしろさの他に、チベット・ネパールの地理、民俗、宗教などを知る上で、学術的にも貴重な宝庫といっても過言ではない。
 翌年、慧海は再びインドを訪れ、大正4年(1915)までサンスクリット語研究に従事し、その間に、ネパールや2回目のチベット入国(1913。『第二回チベット旅行記』)も決行した。
2度に渡る大冒険を終えて帰国した慧海 は、その際に蒐集した膨大な資料―仏典、美術工芸品(仏像・仏画・仏具・曼荼羅)、民具など―を日本へもたらした。それらは主に東北大学東洋日本美術史研究室(詳細は『詳解河口慧海コレクション』、『河口慧海請来チベット資料図録』。 共に佼成出版社)や、上野の東京国立博物館(平成11年1月~3月まで、東洋館の記念企画展として「河口慧海将来品とラマ教美術」が開催された)に所蔵され、また、17種もの新種が見つかった植物標本は、東京大久保の国立科学博物館分館に保存されている。
 さらに慧海は、これらの資料をもとに、仏典の翻訳(『法華経』、『大日経』 ……)や、チベット語(『西蔵文典』、『西蔵語讀本』……)や、チベット仏教並びに仏教全般(『在家佛教』、『正眞佛教』……)などに関する多数の論文、単行本を著した(これらの著作は、『河口慧海著作集』全16巻・別巻2として、今年から刊行。大正大学・うしお書店)。 チベット語の日本語辞典を作らんとした時、かの高村光雲が資金調達のため、彫刻の原型を彫って援助したという逸話も残っている。
 その後、慧海は、母校である東洋大学チベット語を講じたり、大正大学で教授に就任するなど、後進の指導に情熱を傾けるのである。
 今度、『西蔵旅行記』という1枚の地図と、想像力というコンパスを頼りに、慧海と一緒に大冒険の旅に出かけてみてはいかがだろうか。未知 なる世界が、きっと皆さんを歓迎してくれることでしょう。
(文学部非常勤講師・井上円了記念学術センター兼任研究員 島田茂樹)

写真で見る東洋大学

 井上円了記念学術センターでは、毎年、「写真で見る東洋大学」という写真展を開催しています。これまでに行われた写真展のタイトルと概要はつぎのとおりです。 平成11年度は「冒険者 河口慧海 ヒマラヤ山脈を越えて」で、創設期の哲学館に学び、のちに鎖国下にあったチベットに渡って、貴重な仏典を日本に招来した冒険者河口慧海の生涯と業績を紹介しました。


東洋大学の資料を転載しました。
堺の足跡だけでなく 東京の足跡もこれから勉強していきたいと思います

参考文献
 2007年5月 講談社学術文庫 
 河口慧界日記・・・ヒマラヤ・チベットの旅・・・
 河口慧界、奥山直司編及び、

 チベット旅行記 全五巻  
 1978年10月 初版発行 2004年2月 第39刷発行
  株式会社講談社刊 を参考にさせて頂きました

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