今回の尖閣も日本国内では落胆ではあるが、それに注目して国際世論が日本を助けるのではなく、中国を押さえ始めた。
そしてノーベル平和賞の授与でる。
今度こそ 中国の内なる開放、そして チベット、ウイグル、モンゴルの人権抑圧および民族浄化と言う、とんでもない事が終わりになり、植民地政策が終了する事を切に望む。そのためにも
1-10/16国民大行動 (一万人集会)
10・16 中国大使館包囲!尖閣侵略糾弾!
国民大行動 東京青山公園
2-11/13 チベットピースマーチ
APEC および ダライ・ラマ訪日を頭に描いて
場所は 東京か横浜で未決
に参加しよう
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発行:株式会社 世論社
有料ブログより転載
<中国共産党の引退幹部ら、「言論の自由」求め公開書簡>
http://www.asahi.com/international/update/1013/TKY201010120378.html
<中国共産党の引退幹部ら23人が、中国の憲法が定める「言論の自由」などが政府や党によって
否定されているとして、その自由化を求める公開書簡を12日までにインターネット上に発表した。
服役中の人権活動家、劉暁波(リウ・シアオポー)氏のノーベル平和賞の受賞決定を受けての
行動とみられる。
23人は故・毛沢東主席の元秘書で党組織部副部長だった李鋭氏や、共産党機関紙の人民日報
元社長の胡績偉氏ら。>
興奮を禁じ得ない。支那人は苦手なくせに、三国志や水滸伝が好きな私は、あちらで何か
起きるとすぐに英雄豪傑に重ねてしまう。また、確かに動きにそういう「重み」があるんですね。
口惜しいけど(苦笑)。
李鋭という名前を見て「おおっ」と言ってしまうのである。毛沢東の側近にして共産党の重鎮。
胡錦濤や温家宝など彼にかかれば「小僧」であろう。もう確か90歳を超えているのではないか。
胡耀邦が亡くなる直前に招き「遺言」を残した人物である。趙紫陽にも近かった。つまり一瞬の
北京の春」を演出した傑物たちの遺志を継ぐものだ。
その老英雄が90歳を過ぎてなお立ち上がるところに口惜しいがかの国の凄味がある。
胡績偉さんも70年代から改革ののろしをあげてきたことを考えると、やはりかなりな歳だろう。
しかし、こういう名前を見ると天安門事件を同時代で報じた私としては、まさに伝説の中から
英雄たちが蘇ってきた思いがするのである。
これにはいまの独裁政権は震撼したに違いない。
<書簡の文書は中国の複数のネット上で転載されたが、すでに当局の指示によるとみられる
削除も始まっている。>
しかしご存じのようにウェブ上にいちど流れだしたデータは回収は不可能だ。支那の
人民の海」の中にまかれたこの「毒」は今の体制を苦しめ続けるだろう。
李鋭さんや胡績偉さんは確かに高齢だ。しかし彼らの言説をこうやってネットに流す若き
「協力者」たちがちゃんといるということだ。
一方でこんな動きも伝わって来た。
<
【劉氏に平和賞】劉氏釈放求め公開状 「天安門」犠牲者の親ら>
http://sankei.jp.msn.com/world/china/101012/chn1010122041001-n1.htm
<香港の人権団体、中国人権民主化運動ニュースセンターが12日伝えたところによると、
ノーベル平和賞受賞が決まった服役中の中国の民主活動家、劉暁波氏の釈放を求め、天安門事件
(1989年)の犠牲者の親らが中国政府に公開状を出した。
同センターによると、公開状は受賞決定によって犠牲者の親の会「天安門の母」は大いに
勇気づけられたと劉氏を称賛。中国政府に劉氏の即時釈放と人権活動家への監視の中止などを
訴えている。>支那政府が「事実関係」をつつかれることでもっとも嫌なのがチベット、
ウィグルへの侵略と天安門事件だ。劉さんの釈放要求とあわせて国際社会は
「天安門事件の再検証」を求めていくべきだろう。
天安門事件の前もこんな雰囲気だった。一気に氷が溶けるのではないかという空気があった。
しかし銃口がそれを沈黙させた。 私たちはここで恥ずかしいことを思い出しておかなくては
いけない。天安門事件を引き起こした独裁支那を、国際社会に引き戻すことに貢献したのが
ほかならぬ私たちであったことを。劉暁波さんが流した涙の相手である、あまたの義士たちの
思いを踏みにじったのが日本であったことを。
天安門事件を受けて自由主義諸国は支那に対して厳しい経済制裁を行なった。
それは支那の成長率を低く誘導するほどのものであった。困り果てた支那は突破口を外交力
ゼロのヘタレ国家、日本に求める。わが国の売国政治屋どもに働きかけて、
こともあろうに天皇陛下に訪中していただくことで「免罪符」にしたのである。
<史上最大の対日工作「天皇訪中」に秘められた中国の野望>
http://cotodama-6000.iza.ne.jp/blog/entry/513973/
<そして、その突破口として、銭が目をつけたのが、92年に国交正常化20周年を迎える
日本だったのである。
「日本は中国に制裁を科した西側の連合戦線の中で弱い部分であり、おのずから中国が西側の
制裁を打ち破る最も適切な突破口になった」
銭は2003年秋、引退後に出版した回顧録『外交十記』で、天皇訪中当時の国際情勢を振り返り、
日本を”ターゲット”に選んだ理由を語っている。>
天安門の義士たちの血をわが国は「無駄にした」のである。それもまことに畏れ多いことに
天皇陛下を使われて。劉暁波さんの今回の受賞に思いをはせる時、私たちはこのことも頭の隅
においておきたい。だからこそ、今回ふたたび支那の民主化の闘士たちが立ち上がるならば、
同じ過ちを繰り返してはならないと知っておきたい。
でも、やりそうなんだようなあ。よりによってこっちが最悪の売国内閣の時にこうなるとはなあ
(泣)。
<日中関係は好転=高橋さん拘束の解明必要―仙谷官房長官>
http://www.asahi.com/politics/jiji/JJT201010120036.html
とられていた人質を返してもらって「関係好転」とはどういうことだ。11月に日本で開く
APECに向けて支那の顔色をうかがっているらしいが、逆だろう。「招待状いるの?」
と脅しをかけりゃどうなんだ。
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