パルデンの会

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3月15日の雨、放射性物質運ぶ/原発北西方向に「帯


勝谷氏有料ブログより

「何が 風評被害! 本当の情報に国民は気ずくべき!
マスゴミは遅すぎるのだ!」



その風評被害や実際の汚染作物を作り出してしまった重大な理由の
ひとつを今朝の朝日新聞は報じている。
<3月15日の雨、放射性物質運ぶ/原発北西方向に「帯」>
http://www.asahi.com/national/update/0908/TKY201109070689.html
東京電力福島第一原発から北西に帯状に延びた高濃度の放射能汚染地帯は、3月15日午後の気象条件が重なり形成されたことが日本原子力研究開発機構の解析でわかった。2号機の事故で放出された大量の放射性物質が雨で地表に落ちた。降雨がなければ、汚染度は大幅に低くなったという。>
私たちの世代は放射性物質と雨の怖さを知っている。支那がウィグルなどで地上核実験を行って放射性物質をバラまいていたころ、親や学校の先生にいつも「雨に濡れるな」と言われていたからだ。事故のあと、私は都心にいながらも雨に対しては厳重な警戒を怠らなかった。
回、特に子供たちにどれほどの注意がなされたのか、この記事を見ていると切なくなる。大量の放射性物質が放出されてから実際に雨が降り出すまではわずかではあるが「時差」があった。
<同機構の永井晴康・環境動態研究グループリーダーの推定では、大量の放射性物質が事故で2号機から放出されたのは3月15日の午前7~同11時と、午後1~3時の2回。特に午後の2回目の放出ではガス状の放射性物質などが集まった放射性プルーム(放射性雲)が、西から次第に北西方向へ流れた。県内各地で線量が上昇。夕方には飯舘村原発から北西約39キロ)、福島市(同約63キロ)でも上がった。
このときに雨で放射性物質が地表に落ち、帯ができたと見られる。気象庁によると、飯舘村では午後5時から約半日、1時間あたり0.5~1.5ミリの小雨が観測されている。>
明らかな「人災」である。菅直人前首相以下は該当地域の住民のみなさんの被害に対して責任をとらなくてはいけない。
図を見てもらえばわかるように20キロ圏30キロ圏の同心円はほとんど意味がない。風向きを示す矢印はそれらを楽々とこえて福島市に迫ろうとしている。いまもっとも汚染と風評被害に苦しんでいる地域だ。
記事を読み直してみよう。濃度の高い放射性プルームが福島市方面に飛散したのは15日の午後3時までである。そしてたとえば飯館村で雨が降り始めたのは午後5時から。2時間の時差がある。猶予と言ってもいい。
菅さんたちが隠蔽していた「SPEEDIのデータがきちんと出ていれば、そして降雨に対する警戒を呼びかけていれば、この地域の人体への影響はかなり防げたのではないか。少なくとも「外に出ないで下さい」「雨に当たらないで下さい」とのアナウンスは可能であったろう。農作物や藁などで取り込むことができたものもあったろう。「人災」であると私が言う理由である。
それにしても朝日新聞をはじめとする大マスコミはどういう神経でこうした「事実」だけをシレッと書くことができるのだろう。この記事を読んだ該当地域の人々がどれほど悔しいかということに思い至らないのだろう。想像力の欠如というものだろうか。
いや大マスコミだけのせいではないのかも知れないな。ファミレスのメニューの記述を思い出しながらこの記事を見る時、私たち日本人全体の中から、ある美質が消滅しつつあるような気がしてならない。だったらふたたびそういうものを創りあげる仕事を託するべき子供たちを私たちは「人災」によって放射性物質の雨にさらしてしまったのだ。


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