先週末、チベット本土では2人の女性がそれぞれ抑圧からの解放を求めて自らに火を放ち、亡くなった。チベットの自由を求めて、ダライ・ラマの帰還を願って、2009年2月にアバでタペーhttp://www.previewshots.com/images/v1.3/t.gifが炎に身を投じて以来、これで焼身自殺者は25人を数えるという。
タペーは毎年3月10日のラサ蜂起記念日、その前に北京で始まる両会(全人代と政協会議)を前にして治安当局の警戒が厳しくなるのを見越して、その直前に行動を起こした。抗議の声すら上げられない抑圧の隙を狙って、チベット本土のチベット人たちは行き場のない怒りを自らにぶつけているかのようだ。
4日のRFAhttp://www.previewshots.com/images/v1.3/t.gifから。
4日日曜日、アバ(四川省阿壩チベット自治州)のキルティ寺門前でリンチェンという32歳の未亡人が自らに火を点け、その場で死亡した。キルティ寺には昨年初めから数百人の僧侶が軟禁されており、武警が厳戒態勢を敷いている。リンチェンが火を点けたのは、その警備詰所の目の前だった。リンチェンには4人の子供がいたという。
「彼女はダライ・ラマのチベットへの帰還とチベットの自由を求めていました。そして炎に包まれたその場所で命を落としました」とインド・ダラムサラにあるキルティ寺の僧侶、カヤ・ツェリンは話した。
3日土曜日には、カンロ(甘粛省甘南チベット自治州)のマチュ(瑪曲)にある野菜市場で、蔵族中学の女子生徒が焼身自殺した。中国人の業者たちが公安を呼び、公安は彼女を市場から逃がすなと伝えた。
「菜市の中国人たちは燃える彼女に向かって石を投げました。菜市にいたチベット人たちは興奮し、もう少しでチベット人と中国人との衝突が起きるところでした」と現地とつながりがある亡命情報筋は伝えている。
リンチェンの遺体は僧侶たちの手でキルティ寺に運び込まれたが、マチュの女子生徒の遺体は公安に押収されてしまったという。
瑪曲県蔵族中学は、チベット人に対する政府の弾圧を中止するよう求めて学生が抗議を行った場所でもある。当時、当局に歯向かった多くの学生たちが拘束された。
事件は、
チベットの不穏な情勢が取り上げられる見込みの
全人代が北京で開幕する前夜に起きた。
マチュで死んだ女子生徒は瑪曲県蔵族中学初級3年だったという。市場のトイレで全身に綿を巻き付けて、灯油をかぶり、火を点けたのだという。燃えながらトイレから出て来た彼女に、中国人たちは石を投げつけ、暴行をふるった。
加えて、きょう(5日)アバでドルジェという18歳の男性が焼身自殺をはかり、その場で死んだというニュースがたったいま入ってきた。これで26人目だ。
蜂起記念日の10日から、2年前に騒乱が広がった14日まで数日間はひとまずチベットでは何事もなかったようだ。何度も書いているとおり、政府の取り締まりの成果であり、事実上の戒厳令下ではどうしようもない。
きのうのRFAによれば、チベットのはずれとも言えるアムドのマチュで14日に抗議があったという。きっかけは中学校の生徒だった。
チベット全土に広がった騒乱から2年。甘粛省の中学校で数十人の生徒たちが、政府の厳しい統制に反発して抗議を行ったという。一方、ラサではその日、商店は通常通りに開店することを命令され、静かな蜂起記念日だったと住民は伝えている。
「3月14日、午前11時か12時頃、マチュ(瑪曲)県蔵族中学の30人ほどの生徒が、町の中心部近くの通りで抗議をしたのです」と地元に住む人は伝える。
「彼らに、500~600人のチベット人が加わりました。彼らは自由がないことに抗議して叫び、チベットの独立を呼びかけました」。
彼によれば、彼らは武警に包囲され、少なくとも40人が日曜日午後に拘束されたという。この拘束が一帯の人口の50%を占めるチベット人たちの怒りに火を点けた。
「400~500人が県政府の前に集まり、拘束者の解放を要求しました」。
マチュ在住の人の情報では、約3000人の武警が一帯に配置されており、緊張が高まっているという。
マチュ出身で現在はダラムサラに住むドルカ・キャブによれば、「一部の人々はダライ・ラマ法王の長寿を叫び、中国とチベットとの対話による解決を求めていた」という。「武警に包囲されるまで、30~40分にわたって彼らは抗議を行ったそうです」。
瑪曲県公安局は電話取材に対しコメントを断り、「その事件については何もわかりません」とだけ答えた。チベット人だという瑪曲県政府職員の女性は電話口で「そんな話は知りません」と話した。
瑪曲県蔵族中学には1500人の生徒が在籍しているという。専門家によれば、一帯のチベット人はほとんどが遊牧民だが、生活は比較的豊かだという。
RFAの記事は厳戒態勢のラサの様子も伝えているが、ひとまず日本語はここまで。