2.金賢姫氏インタビュー
平成24(2012)年11月28日ソウルにて、聞き手は救う会西岡力会長。
●金正日の工作員現地化命令
70年代後半から金正日が対南工作を直接指揮した。それ以前の工作活動を点検
し、「成果が少ない。画期的な対策を立てなければならない。そのためには外国
人を利用しなさい」と、現地化教育を含めた方針が立てられた。
そして70年代後半に、日本人を初め、全世界から拉致が行われたが、特に日本
人が多い。それは地理的にも近いので拉致しやすいし、北朝鮮人が偽装するのに
顔などが似ているからだ。それ以外にも、中国、東南アジア、ヨーロッパからも
拉致した。この時本格的に拉致が行われた。私が工作員になってから幹部たちか
らそのことをよく聞いた。
金星政治軍事大学というのはスパイ養成所だ。私は対外情報調査部所属、情報
班の1期生だった。全員で6人か7人、くらいだった。ついたてをへだてて授業
を受けるので正確には分からない。私と金淑姫が女でそれ以外は男だった。同期
生の5人か4人の男たちは、日本人化教育を受けたかどうか分からない。他の人
たちについては、全部秘密になっているから自分のことしか分からない。
招待所を廻りながら、「夫婦の日本人がいる」とまかないのおばさんたちの話
を聞き、相当日本人がいるのだなと感じたが、人数は不明だ。安明進氏が言って
いる日本人教官30人という数字は少し多いように感じる。日本人化教育はずっと
続けていた。しかし、1対1教育はそんなに多くない。
もともとの計画では、私は田口さんから日本人化教育を受け、すぐ日本に浸透
させようとしていた。しかし、日本で事故が起こったので計画通りにできないと
計画が変わり、84年に中国人化教育を受けた。中国人化して台湾などを廻って中
国人として日本に浸透する計画だった。日本に入って情報を得たり、日本に先に
入っている固定工作員を点検することが任務だったようだ。
●拉致の目的
外国人を拉致する目的が3つある。1つは、外国人の身分証明書を盗用するこ
と、2番目は、外国人を金日成思想で洗脳教育させ北朝鮮の工作員にして現地に
浸透させること、3番目は教官として使うことだ。
80年代に幹部たち、課長らが、招待所にきて「外国人を工作員として使おうと
教育して外に出した。しかし、出すやいなや裏切ってしまった。やはり外国人は
信頼できない。北朝鮮の若い人たちを工作員に教育する方法しかない」と話して
いた。
最初は対南工作に必要な人たちを選んで、狙って、誘惑して拉致したらしいが、
後にどんどん競争的になり、無差別に拉致した。めぐみさんは子どもだから洗脳
して工作員として使おうと拉致されたと思う。
4つめの拉致の目的として、秘密保護がある。浸入していて自分の正体が発見
され危ないと思ったら、殺したり、拉致する。また拉致する途中、工作員として
使う道がないと思ったらそのまま海に捨てることもあると聞いた。対南工作では
人権なんか構わない。証拠が残らないから海は捨てやすい。韓国人のこととして
聞いたが、日本人もそういう可能性がある。
金日成時代は南出身の人、南に親戚や友だちがいる人たちを工作に使ったが、
歳を取っていく。それで若い北朝鮮人で、南に関係がない人を選んで、現地化し
た。私は84年に、金勝一(スンイル、1987年に共にKAL機爆破事件を起こす)と
海外に出かけたが、金勝一はもう歳をとっているので、組織管理を交代させると
いう意味もあったと思う。次は若い私が彼の代わりにするというための海外実習
をした。
●KAL機爆破事件と金賢姫の自白
87年のKAL機爆破事件は、それとは別にソウルオリンピックを邪魔することが
主な課題だった。前に2人1組で出かけたことがあり日本人になりすますために
は、2人がよく似合うから選ばれた。もしKAL機事件が成功していたら、韓国も
大きい打撃を受けた。当時は誰がしたか分からない。日本人になりすました2人
はいるが、正確に確かめることはできないので日本が疑われる。韓国では反日デ
モも起き、全斗煥政府や安企部は自作自演だと疑われ、オリンピックがどうなっ
たか分からない。そういう雰囲気では日本もオリンピックに参加できないだろう。
また反日で日韓関係が悪くなっただろう。
バーレーンで捕まったときは最初日本人だと言ったが、偽のパスポートだとば
れてしまったから日本人はやめて中国人になりすました。もし、中国に送られた
ら中国と北朝鮮は親しいから私を助けてくれるかと思った。
韓国に来ても中国語を話し、北朝鮮人ではないと主張した。私がやったKAL機
事件が祖国統一を助ける仕事でなく、同族が殺し合う蛮行だと聞き、韓国は北朝
鮮で聞いていたような悪い社会ではなく、北朝鮮より発展して、物が豊富で自由
で、住みよいところなので、嘘の教育をされたと段々悟っていった。家族のため
に悩んだが自白した。事件の遺族のために私が最後にできることは、真実を明ら
かにすることだと思った。
そのとき、田口さんのことも証言した。彼女は一生懸命私に教えてくれた私の
日本語の先生だった。一緒に生活しながら彼女の苦痛、悩み、それをよく知って
いたからだ(日本政府が、最初に日本人が拉致されていることを国会で明らかに
したのは1988年3月、金さんの記者会見の2か月後だ)。
●日本人拉致について
2002年に小泉総理が北朝鮮に行って、金正日に会った。それまで認めていなかっ
た拉致を認めたことが大きな発展だと思う。もちろん北朝鮮側はお金を狙ってい
たし、秘密を知っていて返すと困る人は死亡だと言った。1番の秘密は金正日の
私生活、2番目の秘密が工作機関の情報だ。金正日が死んだから、以前とは違い、
(金正恩政権が生存を認めることに)ちょっと余裕があるのではないかと思う。
めぐみさんのご両親にも謝まったが、私はめぐみさんのことを知っていたが最
近までそのことを話さなかった。当時はみな拉致に関心がなく、田口さんを探す
のも本当に時間がかかった。そして金淑姫に誘われて秘かに会ったので、話すと
淑姫やめぐみさんが処罰されるかもしれないとも考えた。
ところが97年からニュースに出た。ああ、私が知っている人だな、と明らかに
したかったが、機会がなかった。韓国は左派政権になっていて、私はいじめられ
ていた。
●フランス人被害者、中国人被害者
私が84年、東北里2号特閣招待所に金勝一といた時、まかないのおばさんが、
フランス人の女性がここに前にいた、と話した。最初北朝鮮に来た時には、男の
工作員に誘われて恋愛するみたいになったが、突然その男が消えて、幹部たちが
来た。「(彼女が)『その男を出しなさい』と抗議したら、なぐられた、涙をポ
ロポロ流しながら泣いていた」と言いながら、写真を見せてくれた。
最初来た時か、名節の時か、記念写真を撮ったことがあるそうだ。普通サイズ
のカラー写真だった。目が青く、とても美人だった。
中国人被害者、孔令?(ホン・レンイン)さんには84年、めぐみさんに会う前
中国語を教えてもらった。本人は言わなくても、まかないのおばさんや指導員か
ら、「あの人はマカオから来た、弟がいる、最初来たばかりの時にインドネシア
大使館に逃げて行き、連れてきてひどい目にあった」という話を聞いた。
私たちを教える前に、女性3人に中国語を教えたと言っていた。中国語を教え
ると、実習しやすいからすぐ中国に送る。日本は直接行けないから困るが、中国
に送れば現地化ができる。
私がマカオから帰ったらもう結婚していた。淑姫と2人で一度自由主義をして
会いに行った。北朝鮮の工作員と結婚して龍城(ヨンソン)招待所にいた。子ど
もはいなかった。
●家族会、日本国民へのメッセージ
70年代後半から今まで、本当に長い歳月が過ぎました。被害者家族と日本国民
が今まで力を合わせて一生懸命闘争してきましたけど、大きな成果がなくてちょっ
と疲れていると思います。
でも最近北朝鮮では、政権も代わりましたし、また拉致問題を再調査するとい
う話も出ていますから、希望を絶対に失わないでください。
そして北朝鮮も、被害者家族の歳が段々高くなって、いつまでも待ち続けるこ
とができないことを分かってほしいのです。
家族のみなさんはいくら辛くても、彼らが帰ってくる日まで、最後まで希望の
ひもを放さないでください。ありがとうございます。
以上
■救う会全国協議会ニュース
国際セミナー北朝鮮・ その2 拉致被害者最新情報と救出戦 略」に参加した李英秀氏(仮名)の報告要旨
その1から続く