伸びぬ四川地震募金 関係者が贅沢三昧…中国赤十字スキャンダル多発
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震災発生から5日目の24日午前、四川省成都市中心部の広場に、大地震のための中国赤十字の募金コーナーが設けられたが、足を止める通行人はほとんどいなかった。5年前の同省●(=さんずいに文)川での大地震の後にも、同じ場所で同じようなコーナーが設置されたが、当時は行列ができるほど熱気にあふれていた。
中国赤十字への中国国民の不信感は、5年前の大地震の後から強まった。当時、国内外から巨額な募金が集まったが、その使い道についての説明が曖昧だったことがメディアに指摘され、国民の不満が高まった。2011年2月、中国赤十字上海支社の関係者十数人が1回の食事で、農民工家庭の1年間の生活費にあたる約1万元(約16万円)の公費を使ったことがメディアに伝えられ、批判された。
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死者196人、負傷者が1万3千人を超えた中国の四川地震の発生から27日で1週間を迎えた。21人の安否が確認されておらず、救援物資が届いていない地域も多くある。しかし、震源地の雅安市蘆山県中心部を歩くと、中国共産党と政府への感謝が書かれた赤い横断幕ばかりが目立つ。チベット人の支配が長く続いた政治的に微妙な地域ということもあって、習近平指導部は党と政府の主導による災害救助を強くアピール。しかし、その姿勢が住民たちの不満をさらに募らせる結果になっている。(雅安=中国四川省 矢板明夫)
25日午前。四川省の省都、成都からの救援物資を運ぶトラックに乗せてもらい、亀裂が走る山道をゆっくり走りながら蘆山県へ向かう途中、道の両側に子供たちが突然現れた。「政府に感謝!」などと書かれたスローガンを掲げ、「ありがとう」と一斉に叫んでいた。
◆感謝も「やらせ」
“異様”な光景に40代の男性運転手は、「これはやらせだ。子供たちがそんなことを思いつくはずがない」と言った。トラックの後ろを走っていた地元のテレビ局の取材車が停車し、子供への取材を始めた。事前に打ち合わせがあった可能性もある。
被災者に「共産党の懸命の救援姿勢に感動して、4人の専門学校の学生が入党した」という地元紙、四川日報が伝えたニュースへの感想を聞くと、ほとんどの人が「出来レースだ」と冷ややかだった。
◆通行証もらえず
「震災対応で愛国主義、民族主義ばかりが強調されている」。複数の地元知識人の感想だ。
被災地では「雅安、がんばろう」などと書かれた赤い布で覆った企業の支援トラックをいたるところで見かけたが、「中国石油」など国有企業のものばかりだ。ある日本企業関係者によれば、支援を申し出た外国系企業も数多くあるが、「車の数を制限している」との理由で被災地に入る通行証を発行してもらえないという。
5年前に起きた四川大地震で胡錦濤前指導部は国際協調を重視、日本をはじめ多くの外国の救助と医療チームを受け入れた。しかし中国政府は今回、外国からの人的な支援をすべて拒否した。
「最新の機材と豊富な経験を持つ外国の救助チームが来ていれば、何人かを助けられたかもしれない」との声は被災各地で聞かれた。
◆信者連携を警戒
警備も異様といえるほどの厳しさだ。被災地に向かう自動車は数キロごとに止められ、警察官が搭乗者の身分証明書をチェックする。成都市の政府は26日夜、「地震に絡み、抗議デモをあおるものを厳しく処罰する」との内容の通達を出した。
習指導部が、政府批判の動きに神経をとがらせる背景には、雅安地域の民族的、宗教的事情があると指摘されている。
雅安市は中華民国時代の西康省の主要都市で、長らくチベット人の勢力範囲だった。共産党政権成立後、四川省の一部としたのは、チベット人地域を分断させる狙いがあったからといわれている。現在は移民してきた漢族が多数となったが、チベット仏教の寺院は今も多くある。
また、被害が深刻だった宝興県は、19世紀から20世紀前半にかけてキリスト教が浸透した地域。新中国建国後、同省のキリスト教総本山とされる教会の使用が禁じられ、信者らは多くの地下教会を作った。地震後、信者らは横の連携を強めたとの情報もある。
共産党は自分たちがコントロールし切れない「組織」の影響力が拡大することを警戒しており、それが一連のアピールにつながっているようだ。