パルデンの会

チベット独立と支那共産党に物言う人々の声です 転載はご自由に  HPは http://palden.org

ソープランドや ヘルスを肯定する社会が 何で60年前を否定するのか?


『 慰安婦 』 問題について マスコミ人を教育する必要がある。
そして 朝日新聞や TBSの記者や NHKの職員 その他マスコミと称する者たちが ソープランドや ヘルスに入った情報は 大いに ネットで喧伝するべきである。

そうしないと 本音と建前の社会が これからも続く。

ヘイトスピーチはなくならない。どう制御するか、だけ。

2013524日 1711
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山本一郎です。電車の対面に座っているおじさんがビール片手に携帯電話見てニコニコしているのを見て羨ましく思うぐらいはフライデーな感じです。
ところで昨今、在特会その他、さまざまな団体が我が国の韓国人街新大久保に繰り出しては騒ぎを起こすという話がネットでトピックスになったりしておりまして、いわゆる「ヘイトスピーチ問題」に発展しています。
とはいえ、この「ヘイトスピーチ」については定義がとても曖昧で、あまり共通して納得のいく線引きの意味で意味を共有して議論しているのを 見たことがありません。ある人は、韓国人が嫌いという言葉自体がヘイトスピーチであるとし、またある人は理屈に基づかない憎悪発言がヘイトスピーチなのだ といいます。ニュアンスが細かすぎて良く分かりませんので、取り急ぎ本稿では法律の解釈に基づき「差別」に関連して行われる言動であるとしておこうと思い ます。
で、この「差別」という問題ですけど、平たい話が英語圏のカントリーサイドにいくと日本人であっても嫌な顔をされるときがあります。留学時 代、アメリカ人クラスメートの父親のホームパーティーに呼ばれたら、ホストが「うちのプールに飛び込んでみろよ」というので本当にやってみたら、それまで 入っていた白人たちがみんな上がってしまったとか。逆に、今年訪れたロシアの僻地でホテルのサウナに入っていると「韓国人は出て行け」と言われ「日本人 だ」と言うと急に愛想が良くなってサウナの中でウォッカを振舞われ、泥酔させられた挙句、気がつくとそのロシア人が御代を払わずこちらが彼の分も全額払う ことになるなど楽しい思い出がたくさんあります。
海外を旅していて思うのは、日本人だろうが外国で暮らしている人たちだろうが、一番重要なのは風習、価値観、行動様式に対する相互理解を深 めることが差別感情を拭い去るファクターだということです。基本的には、相手が何を考えているのか分からなければ、やはり人間は恐れます。相手の顔つきや 風習で、自分に対してどんな感情を持っているのかさえ分からなければ、私たちは彼らを理解できるようになるまで距離を置かなければならなくなるでしょう。
そして、ある程度相互認識ができたとしても、今度はその相手の風習が好きか嫌いかという選択が待っています。これは、その相手国の人とどう いう体験をしたか、彼らと付き合うことによってどんな思いを持ったかというところに依拠するんですけど、私の場合はやはり韓国が嫌いです。ビジネスでご一 緒したときに、やはり交渉ごとだけでなく決まったことがきちんと守られるのか、大事な知的財産やパートナーを無断でもっていかれないか、事業が完遂するま で監視し見届けなければならないという、非常に手間のかかる業務を余儀なくされるのです。
では、韓国人が全員嫌いなのかと言うとそうでもありません。あまり多くはありませんが、韓国人ともお付き合いはいまなお続いています。ま あ、呼ばれても「爆弾」と呼ばれる高度数の酒を混ぜ合わせた飲料を一気飲みさせられたり、あまり食べないようにしている牛肉を喰わされることになるのでソ ウルはなるだけ足を向けませんが。
あるいは、以前私が住んでいた赤坂では一本二本道を隔てるとそこは韓国街で焼肉や豚バラ焼きなどが建ち並ぶ韓国料理屋や、本場の中国火鍋に 中華料理をマジもんの中国人が営んでいたり、インド人がやっぱりカレー屋をやっていたり、タイ人がやってるタイ料理屋があり、ベトナム人がやってるベトナ ム料理屋があります。最近はかなり減りましたが、一時期は韓国人ホステスが仕事終わりなのか路上で大声で深夜喋っていて煩いであるとか、歩いている腕を掴 む感じで客引きをする韓国女性の顔に湿疹を隠したような厚化粧が広がっているとか、彼らは必死で生きているんだろうけれどももう少し日本の風習に配慮して 欲しいと思うことは数多くあります。
私はまだ、ある程度韓国人とのお付き合いがあり、良い人も微妙な奴も見てきているのでそれほど腹も立たなくなってきましたが、そういう日韓 間や他の国との関係のコンテクスト(文脈)を特に知らず、友人も当該国には少ない人たちからすると、やはりネットや一部報道などで「自分が信じたい情報」 で補強された韓国人をイメージとして強く持つことになってしまいます。
ヘイトスピーチとは、つまりは自分から遠い存在、自分を脅かす存在、嫌いな存在などなど、対象がどうなっても構わないような相手であれば、 驚くほど自然に口から出てくる代物だと思います。89年ぐらい前は、私自身も一再ならずブログで韓国人に対するヘイトスピーチ記事を書いた記憶がありま すが、一度仕事でご一緒してそういうものかと理解するようになってからはあまり腹も立たなくなって、ここ5年ほどはそういうことは書かなくなりました。
昨今の排斥的なヘイトスピーチに関して言うならば、偏狭なナショナリズムの発露だというような批判も高いのかもしれませんが、ただ彼らは正 直に韓国人に対する感想を隠さず述べているだけです。ただそれが差別感情に基づいており、行う発言のレベルも高度とは言えないものも多く含まれるので、品 がないと思われているのでしょう。間違っても「殺せ!」「死ね!」というような発言を軽々しく使ってはいけません。私は生まれてこの方「死ね」など言った ことも書いたこともありませんので、彼らの気持ちをまったく理解することが出来ません。
申し訳ございません。嘘を吐きました。
ただ、心がけるべきことと言うのは「ヘイトスピーチというのは数が多くなれば感染する人もまた増えていくこと」です。この手の差別感情とい うものは、誰かを自分よりも下に位置する存在と心のどこかに持っておかなければ、自分のプライドやアイデンティティをうまく保つことが出来ない人にとって は「死に至る病」です。
ネットであれ、自身の周りであれ、延々ヘイトし続け呪詛を垂れ流さずにはいられなくなってしまう。それは、当然生産的なことではないし、一時の気は晴れてもそれが具体的に何の意味に繋がっているのかも分からず、またせっせとヘイトスピーチを書き綴る羽目になります。
それがある途中でその人の「正義」に変わることがあるんですね。
だからこそ、ヘイトスピーチを考えるときに必要なのは彼らのいるレベルにみだりに降りていかないということです。そうすると、先日の津田大 介さんと荻上ちきりん女史の問題のような状態になってしまいます。つまりは、ヘイトスピーチと同次元でこれに反論する者は、絶対に議論では解決しない、和 解の余地の乏しいところへ自らの人生を構成する時間をブチ込むことに他ならないわけです。
しかし、自分が好きなものが誰かに口汚く貶される、あるいは自分が嫌いなものが図らずも賞賛されているというのは辛いものです。つい、反論 したくなります。頭にくることもあるでしょう。ただ、ヘイトスピーチは一度使ったら人生で何十分か何時間かを無駄にする可能性が高くなります。19歳から 33歳ごろまでにいたるまで、時間を無駄にし続けてきた私が言うのですから間違いありません。
そして、一番の落とし穴は、日本で起きているヘイトスピーチというのもまた、韓国や中国の一部で起きている反日、抗日の考え方や価値観、教 育といったものをバックグラウンドにした、批判されるべきシステムによって成り立っているのだともいえます。在特会在日韓国人に対するヘイトスピーチに 反感を抱くものは、同時に韓国政府が韓国人青少年に対して行っている反日・差別教育についてもおおいに批判しなければならないのです。
実際、例年の世界各国の好影響調査では、我が国は中韓という隣国から否定的な感情を抱かれているだけで、それ以外の諸国からは相応の評価を 頂戴しています。この中韓とは、国益において競う部分があるだけではなく、やはり反日的な教育を続けてきた結果として、その影響が色濃く残ってしまってい るという部分もあるのではないかと考えます。
実 際、諸国を仕事や旅行で旅してみると分かるのですが、日本人は日本人なりに各地で尊敬されています。それは、戦後日本がその経済成長を達成したこと、それ そのものに対する評価もあるでしょうが、本当は60年以上の長きに渡り、戦後の日本人が世界の人たちと一緒に繁栄しようと各国へ進出し、信頼関係を築いて きたからなのだと実感します。
その中で、中国や韓国の日本に対するヘイトスピーチの奨励は、格式高く撤回を求め、反日教育の即時撤回をお願いしつつ、相手の日本へのヘイトスピーチと同じレベルでやり返さないことが、それ以外の国々から最大の敬意を勝ち取る方法だろうと思います。
とかなんとか書いていたら、移民成功国とEUからも羨まれていたスウェーデンで大暴動が起きているようです。大丈夫なんでしょうか とま あ、各国ではこのようにナショナリズムと移民の間での大きな衝突が起きる世界が広がっており、日本はまだ面白団体の人々が道を練り歩くという状態で収まっ ているというのは幸せなことなのかもしれません。
投資業務とコンテンツ開発が仕事のメイン、独立17年め。イレギュラーズアンドパートナーズ株式会社代表取締役。仕事と家庭を両立させるながら、40歳になんなんとする人生の節目を感じつつ一歩ずつ坂道を登って生きたいと思います。