パルデンの会

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宮崎正弘の国際ニュース・早読み(ネパールの大変化、その1)




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宮崎正弘の国際ニュース・早読み」
平成25(2013)年9月27日(金曜日)
通巻第4029号
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ネパールに起きていた大変化
民主化とは混沌と無秩序の社会だが、人々は落ち着き払っていた
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(ネパール紀行 その1)

日本人が抱くネパール印象というのは、エベレスト、三浦雄一郎
シェルパ。そしてグルカ兵、東電OL殺人事件も?
別にエベレスト登頂に成功したのは三浦さんだけではない、
すでに6200人からが、登頂に成功している。ついでに書いておくと、トレッキングにも特別許可(追加ヴィザの一種)が必要で25ドルかかる(もうひとつ、ついで言うと空港で発行されるアライバル・ヴィザも25ドル)。エベレスト登山は、およそ200万円を別途ネパール政府に支払って登山許可を貰う。

それほどのブームだったネパール観光が、ずっと下火だった。
王室一家殺害事件とギャネンドラ国王への懐疑、そして、失政。
王室が廃止され、民主選挙が行われるや、マオイストの躍進があって治安が乱れた。王政の膝元に毛沢東礼賛主義の武装グループが猖獗を極めていたのだ。

日本人の観光が復活したのは、この三年の現象。
三浦登山成功で爆発的ブームが再来した。
と思いきや?
日本人だらけだったネパールに異変が起きていた。
小生にとっては42年ぶりのネパール! 往時、飛行場は掘っ立て小屋、
付近の子供達が待合室に勝手に出入りしており、菓子をねだった。ポカラの飛行場は馬小屋ていどだった。それが近代的なターミナルに変心していたことは、想像通りで驚きではない。
衝撃は市内へ入ってからだった。

カトマンズ空港に着くと、
ポカラからアンナプルナへとトレッキングへ行く息子と別れ、小生はホテルへ。
日本語もすこし通じる、
こじんまりとしたホテルで繁華街の路地裏にある。付近はバック・パッカー専用の安宿ばかりである。

狭いうえ、埃だらけ、舗装されていない道路に小型車、人力車、
タクシーが渋滞。その間を無数の観光客がひしめき合う。やけに埃っぽい町である。
そして驚きというのは、町中が、
どこへ行っても中国人だらけだったことだ。

日本食堂まで満席は中国人。それも若い女性が多く、
日本人と服装は同じ。食堂の店員いわく。
「日本人は最近滅多にしか来ないですが、
来ても平均700円くらいしか食わないけど、中国人は平均で3000円ほど食べていきますね」(一円と一ルピーは滞在中は等価だった)。

仏画(タンカ)を売る土産店の話。
「中国人は価値が分からないようで、
値切ることしか頭にないけど、実によく買い物をしてゆく」

カトマンズに次に目立つのは欧米人と韓国人、
日本人は滅多に見ない。
女性の一人旅とか、若者数名のグループが目立つ。
茶店でひとり携帯電話に没頭している若い女性、服装から仕草から、てっきり日本人とおもったら中国人だった。古都のパタンやボウダプールへ行っても、日本人そっくりの中国人の若者がいて、本当にびっくりするのだが、帰国後、ウォールストリートジャーナル紙の記事をみて納得できた(要するに中国人の海外旅行のスタイルが急変し、団体旅行より個人で個性的な旅行をする若者が突如増えている。それは「個人主義」の蔓延にもよるし、若者の所得があがり、近距離へ出かける傾向が顕著と同紙が分析している(9月26日号)。

ネパールはインドとのバランスをとるために中国を歓迎しているが
、投資はまだ本格的ではなく、また町中いたるところ、ダライラマ猊下の写真があっても、中国人は気にしていない(たぶん、ダライラマの顔を知らないのではないか、仏画の画家が言っていたが)。

さて、従来までネパールはインドの保護領のような存在だった。
そのインドに外交力が弱まり、不況に陥落するや、いつのまにか、
中国が進出していたのだ。
そして、民族としての誇り高きネパールは、「主権は侵されない」
「ネパールは独自の文化と伝統がある」「ネパールは世界第二位の水力供給地」「グルカ兵は世界平和に貢献」という謳い文句で、たいそう国民は誇り高いのである。それゆえバランスを取るために中国の進出をむしろ、計算しているのだ。

問題は経済的苦境をいかに乗り越えるのか。
教育程度が高く、
都市部の大学進学率は四割という数字も驚きである。大学は、カレッジが主体で無数に乱立しているような印象がある。猫も杓子も大学へ行く。

だが不幸なことにネパール国内にまともな就労先がなく、海外へ「
出稼ぎ」にでる。
日本にも出稼ぎに来ているネパール人が多いが、インド、タイ、
シンガポールへエンジニアはでていく。単純労働者はアラブ諸国へ散る。国内産業が育っていないからで、繊維産業のほかは、雑貨、弱電、部品、プラスチック加工にくわえて観光産業への従事者が、ようやく経済を支えているとみた。
だからネパール人は顕著なほどに英語が通じる。
(つづく)