パルデンの会

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「ここは我々の国です。ネパールは主権国家、中国の政治的影響を受けません」   国家への誇りと伝統を自負するネパールの若者は教育の差によるのか?

宮崎先生のネパール旅行記、庶民と直接接して 本当の中国VSネパール情報を
伝えてくれています。
まだ何回か続くでしょうから 次回が楽しみです

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宮崎正弘の国際ニュース・早読み」 
平成25(2013)年9月28日(土曜日)
       通巻第4030号
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 「ここは我々の国です。ネパールは主権国家、中国の政治的影響を受けません」
  国家への誇りと伝統を自負するネパールの若者は教育の差によるのか?
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(ネパール紀行 その2)

 
 <承前> カトマンズで二日目の夜、雷がとどろき豪雨となった。ポカラからトレッキングへでかけた息子のことを案じつつ、夜明けを待つが、雨がやまない。雨期であることを思い出した。
どしゃどしゃと音を立てて雨が乱暴に降るのである。

  翌朝、七時頃にようやく雨が上がった。
案の定、道路はぬかるみ、クルマが水をはねて進むので、通りの商店街のシャッターに泥がはねる。排水が悪いうえ、このカトマンズの下町には歩道というものがない。いや、逆に狭い道路の辻々を小さな祠が占領し、さらに牛がのうのうと歩いている。だから交通渋滞は車のみならず人と牛でも起こるわけだ。

 凄まじいバイクの量、自転車は少ない。人力車は減りつつある。タクシーはどうやら九割がスズキ・アルト(超小型車)だ。
しかし悪道路事情にめげずに屋台の準備をする商人たちがいる。外国人と分かると執拗に声をかけてくるのはインド人のマナーと似ている。

  ネパールの風物を描いたペンダントを路上で売る手合いは結構しつこい。笛を吹いて、それを売りつける路地の物売りに混じって、道路で乞食が寝ている。辻のたばこ屋は客を見て値段を告げる(スーパーで値段を確かめると10円ほど高い)。

  道路の中央に砂利を積み上げてある理由がわかった。
 悪路が豪雨で水たまりができると、それで即席に補修をするためである。商店にはスコップが用意されており、自主的に道路を直している。そのうえ、電力が安定せず、停電が頻繁におこる。
 店先を占領するのはカシミア製品、絨毯にアパレル、エベレストやヤクを描いた帽子、毛糸、数珠、絵はがき、ペーパークラフト、タンカ(仏画)、登山用品の店がある。これらネパール人の店の間に、ところどころ漢字の看板がある。
食堂と安宿、旅行代理店、みんな簡体字で客を呼び込もうとしているが、それだけ中国人観光客が夥しいのである。

 
  ヒンズーの文化と伝統をかたくなに守る日常

  宿舎のあるタメル地区というのは市内の真ん中からやや西寄りで、観光客向けの土産屋がひしめき合い、客を奪い合い、その路地にはマッサージ・パーラー、タットウ(入れ墨)、洒落た喫茶店に混ざって、レストランが何軒もある。
しかしリゾートでみかけるような屋外式のバアがない。ガラス越しのパブもないので、欧米人がどこで呑んでいるかは分からない。奥まった中庭風の路地にはいると欧米人が屯するビアガーデン風のバアがあった。 
表通りから離れた場所にしか許可が下りないからだろうと推測する。

  ネパールの国民の九割方はヒンズー教徒である。仏教徒チベット系の人々が信仰しているが、文化遺産的な寺がたくさんあっても、カトマンズ市民はヒンズー教寺院にお参りを欠かさない。独特の灯明に、線香の臭いが鼻につく。

  バスの中で、若者と知り合った。先方から話しかけてきたのだ。
カレッジに通う20歳男性。日本語も習っているというので、テキストを見せて貰ったら、我が小学校高学年用の教科書の転用だった。「日本人が減ったら、中国語のほうが実用的ではないのか」と聞くと、「でも中国へ出稼ぎに行くわけでもないし、雇用を考えると将来、日本で働くか、日系企業に勤めたい」と目標を語った。
この若者によれば、大学の男女比は6vs4,女子学生がネパールでも急増していることが分かる。
「金持ちの子供らはシンガポールか印度に留学するけど、中国へ留学する話しは聞いたことがありませんね」

  バスは庶民の交通機関で市内は10円、ちょっと郊外へ行くときも20円か25円である。ぎゅうぎゅう詰めの満員が常態で、隣の客とふれあうのも当然だろう。
 
この国ではエリートは軍人である。軍学校は無料、しかし卒業後、軍に束縛されない。ポリスアカデミー日本大使館のそばになる。大使館前の道路は拡張工事のため、凸凹、未舗装、砂利とコンクリートの破片でタクシーに乗ってもガタガタ揺れる。その道を曲がって下り坂の途中に大規模なロシア大使館と中国大使館がデンと構える。とりわけ中国大使館の警備が厳重である。

  バスの中でいろいろ会話していると、隣に座っていた目つきの鋭い若者が会話に加わってきた。若者達はなかなか流ちょうな英語を駆使する。
「貧乏な家庭の子でも優秀なら陸軍大学へ行けるのですよ。その点は恵まれています」。

 わたしは話題を変えて中国の進出をどう思うかと尋ねた。
「中国の脅威?」、質問の矛先を変えると、次のように言った。
「中国は脅威ではありませんよ。投資したいメリットがあるから大量に来ているけど、中国人観光客を見ていると、行儀が悪いので、商人いがいは近づかないのでは。
マオイスト? あの連中は分裂しました。次の選挙では、それほど得票できるとは思いませんね。マオイストは、そもそも宗教を否定しているじゃありませんか。ストライキを指導しているのはマオイストではありません。ネパールの労働組合は賃上げと待遇改善を要求しているのであって、げんに見て下さい(ちょうどバスの横をデモ隊が通った)。彼らはネパールの国旗を掲げているでしょう」。
 
 「中国にネパールの政治が左右されるなんて、ないと思います。拝金主義の中国人とは、外交的計算いがいでうまくやっていけないだろうし、インド人も傲慢なところがある。ここは我々の国です。ネパールは主権国家ですし、われわれには投票できる権利がある。それも中国とは違いますよ」。
 なるほど、「ここは我々の国です。ネパールは主権国家、中国の政治的影響を受けません」と初対面の外国人に胸を張っていうあたり、日本の若者にも見倣って欲しいと思った。
 国家への誇りと伝統を自負するネパールの若者は教育の差によるのだろう。

 
  古都で考えたこと

  そうこうしているうちにバスは目的地へ着いた。所用一時間。タクシーなら四十分でいけるのが、中世の都市バクタプルである。
 町の入り口で「拝観料」を支払う。500ルピー(首からぶら下げるチケットと地図を呉れる)。
 カトマンズ郊外にあるこの都市は嘗て王朝の首都、当時の建物が保存されているので、百年ほど前の世界にタイムスリップしたような錯覚に陥った。ここで、古い寺院の三階にのぼって撮影をしていると、欄干に二人の若者がいた。
 話しかけると、上海から来た中国人だった。
     (つづく)