パルデンの会

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東日本大震災から3年、ダライ・ラマ法王14世が東北で語りかけたこと

ダライ・ラマ法王が述べたお言葉は その日、ホールに集まった震災被害者だけでなく、世界中の人々にも伝わる言葉であった。

THE PAGE(ザ・ページ)
 より転載
2014.4.12 09:00

東日本大震災から3年、ダライ・ラマ法王14世が東北で語りかけたこと

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[写真]ダライ・ラマ法王14世

東日本大震災
か らちょうど3年の節目にあたる2014年、チベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ法王14世が神社関係者らの招きで仙台市を訪れました。そして「大切なも のを失った時、英知と自信を育む方法」と題した特別講演を行い、被災者を含む1600人の聴衆を前に「自分を信じてきっとこの困難を抜け出すことができ る。これを自分が乗り越えられるのだというような自信を持つということこそ、私たちがそのような状況から抜け出すことのできる唯一の手段」と語りかけまし た。以下、特別講演の全文で、会場の通訳によって日本語に翻訳されたものです。
 今日のトピックは、大切なものを失ったときに、それを支えるためにどのようにして英知と自信を得たらよいかという、その方法論についてお話しする ということになっています。そこで、ナーガルジュナが書かれているお言葉の中に、私たち人間はさまざまなときに苦しみに直面したり、あるいはさまざまな困 難に直面したりもするわけです。そのようなときに苦しい立場に立ったからといって落胆してしまうと、私たちはそのような状態から抜け出す希望というものを 見つけることができなくなってしまうわけです。そのようなときに、私たち人間は、そういう中で自分に自信を持つこと。そして、自分を信じてきっとこの困難 を抜け出すことができる。これを自分が乗り越えられるのだというような自信を持つということこそ、私たちがそのような状況から抜け出すことのできる唯一の 手段と考えます。 被災者の方々がたくさん見えていると思いますけれども、実際に被災されて、津波などの害を実際に遭われた方、手を挙げてみていただけますでしょうか。そのように実際に被災された方々に対しましては、本当に心から皆さまに慰めたいという気持ちを私自身が持っております。
 2年前に私は被災地である石巻市に実際に訪問させていただいているわけです。そして実際に被災された方々にお目にかかり、そしてそういった方々と お話をする機会がありました。そういった方々のお話を伺っていますと、私も本当に涙があふれてきたということをよく覚えております。そのときに被災者の 方々に私がお話したことはどういうことかと言いますと、本当に落胆してしまって心配ばかりをしているということは、決して皆さま方のためになることではな いということをお話ししたわけです。そのように不幸な気持ちを抱いたままでいつまでもとどまっているというようなことは、皆さま方は十分、地震、そして津 波、放射能というような問題で苦しまれている上に、さらに苦しみを加えてしまうようなことにしかなりません。そこで特にそのような状況に立たされたときに は、自分自身が自信を持って勇気を振り絞って、なんとしてでも自分の力でこの問題を乗り越えていくのだ、乗り越えていけるのだということをぜひ考えていた だきたいということを、そのとき私は被災者の皆さま方にお話をいたしました。


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[写真]ダライ・ラマ法王14世の講演が行われた仙台市内のホール
 
そこで、そのような大変な目に、非常に困難な状況に遭われたというような体験をされてこられた方々も、決して落胆をし、そして心配ばかりをしてい るというような状態ではいけないわけなんです。そこで私自身は、この世界中さまざまな国を訪問させていただいているわけなんですけれども、そこで私はいつ もそういった全ての国の方々にお話ししていることがあります。それは何かと言いますと、ドイツの方々、そして日本の方々、この2つの国家の方々は第2次世 界大戦におきまして本当にひどい苦しみと、破壊というものを体験され、そして味わってこられた国の方々であったわけです。しかしながら、戦後になります と、この2つの国の方々はまったくの焼け野原の灰の中から新たに素晴らしい近代国家と再建されたという実績を残しておられるわけなんです。
 ですから、この地に、このドイツと日本の国では経済的にも、民主主義を取り入れているという面に起きましても、そして政治的な面でも大変強い安定 した近代国家を再建されました。これは本当に素晴らしいことだと思います。そして、これらの本当に偉大な業績を残されたということは、この2つの国々の国 民の方々が、個人個人が自信を持って、そして本当に計り知れない苦しみを味わわれ、破壊の中から新たなそういったことを成し遂げることができたというの も、自信と、そして強い決意の力、楽観的に物事を捉えて前向きに生きていくという態度、このような態度を持っておられたからにほかなりません。
 そこで、そのような生き方をしていくならば、たとえどのように本当に悲しむべき悲劇を体験されたとしても、社会の共同体のレベルにおいても、そし て家族的なレベルにおいても、個人個人のレベルにおいてもそのような大切なものを失われるという悲劇を必ず乗り越えていくことができるということを実証さ れておられるのではないかと私は思うわけです。ですから本当に非常に困難な状況に直面したとしても、そしてどのような悲劇に直面したとしても、皆さま方が もし強い決意の力と、そして勇気と自信を持って前向きに人生を歩んでいってくださるならば、亡くなった人々、そして家をなくされた人々、家族や友人をなく された人々、そのような方々であっても、必ずや今からの人生というものを建設的に生きていかれることができると私は思うわけです。
 もちろん、そういった悲劇が起きてしまうというのは非常に悲しいことであるわけです。しかしながら、昼も夜も常にそういった悲しみのことばかりを 考えて、そして心配しているというような状況では、おそらく亡くなってしまわれた親しい方々、友人、家族、そしていとしい人々も、もしかして彼らはすでに 天国に行っているかもしれませんけれども、もし残された皆さま方がずっと悲しみを心に維持し続けて生きておられるのをご覧になったならば、きっとそういっ た亡くなられた方々の気持ちというのも悲しいものになってしまうのではないか。そのような気がするわけです。
 ですから、たとえどのような悲しい出来事を体験しなければならなくても、そのようなことを乗り越えて生きていくためには、皆さま方が持っている強 い自信と、決意と、勤勉さ、楽天的なものの考え方、親切を語って生きる、そして1人の慈悲深い正直な人間として生きていくということを皆さま方ご自身がし ていただけるならば、天国に行っておられる皆さま方の本当にいとしい方々もきっとそれを見て喜んでくださるのではないかと、私はそのような気がするわけで す。
 そこで、私は今、大して大切なことではないかもしれませんが、皆さま方と分かち合いたいなと思うお話を1つさせていただきたいと思います。それは 私自身の人生についてのことです。私の人生の中で、私は16歳のときに自由を失いました。そして24歳のときに自分の国を、祖国を失いました。そして、そ れから約54年間、私はインドの地において難民としての生活を送ってきたわけなんです。その54年間の中には非常に困難な状況に直面するというような、そ ういった時代がずっと続いてきたわけです。そしてたくさんのことを非常に一生懸命やってこなければいけないようなこともたくさんありました。
 しかし、そのような中で私は決して諦めるということだけはしませんでした。常に希望を持って、諦めずに自分の固い決意と自信と持って頑張るという姿勢を崩すことはなかったわけなんです。
 つまり基本的には、まずこの地球という惑星の中で私たちは住んでいるわけですけれども、この地球には約70億人の人間たちが住んでいるわけです。 そして、その70億人の人間たちは、私たち自分自身の兄弟姉妹と言える人々であるわけなんです。ですから、もし私たちが困難な状況に直面したりすると、自 分以外のたくさんの人が助けの手というものを差し伸べてくれるわけです。日本の方々も本当に、被災されたのちにはお互いに協力し合うというような、互いに 助け合いという精神を発揮されて、本当にお互いによく助け合ってこられたがゆえに、今日まで皆さま方が頑張ってこられたのではないかと思うわけなんです。

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[写真]手を合わせるダライ・ラマ法王14世
 
 ですから、日本というのもこの世界の全ての国々の一部であります。そして70億人の人間の中の、日本人は一部であるわけなんです。ですから、決し て絶望してしまい、もう駄目だと諦めてしまうような理由はどこにも存在していません。その逆に、私たちが絶望感に満ちてしまい、他の人を信じることができ ず、不信感や懐疑感などにさいなまれてしまうと、その方は孤独感に陥ってしまうということになってしまいます。ですから、もっと良き面を見るということ。 つまり、この地球上に住んでいる約70億人の人間たちが自分の兄弟姉妹なのだと、人間家族という1つの大きな家族の一員なのだということを考えるならば、 決して孤独感に陥るというような必要はないわけなんです。さらに、私たち人間は社会生活を営みつつ生きていく類いの生きものであるわけです。そこで、たと え悲劇が起きたとしても、その悲劇が起きた場所の地域の方々を、また別の人たちが来て助けてくれるということがあるわけです。そのようにして協力体制をし き、そして助け合いの精神を発揮し、他の人のことを心から思いやるという気持ちを忘れずに頑張っていくならば、このようなスピリットを、精神をますます高 めていくならば、必ずやどこかに希望の綱を、絆というものを見いだすことができると思うわけです。ですから、そのようにして私たち自身も、チベット人難民 の全ても、そのようにして現在まで私たちは頑張って生きてきたわけなんです。
 そして、常に厭世的にならず、楽天的なものの見方をするということも非常に大切なことではないかと思います。そのような背景から、私たちチベット 人の難民の状況というものも、大丈夫な状況に今はなっているということが言えるのではないでしょうか。ごくごく、このインドに難民として亡命してきた最初 の時点におきましては、まるでジャングルのような場所を与えてもらって、そういったところにチベット人居住区を立ち上げたわけなんですけれども、非常に辺 鄙で、最初から木を切り倒し、切り開いていかなければならないような土地でした。
 そして、1960年代の最初のころには、チベットという涼しい高地から移ってきた私たちにとっては、そういった居住区の中で生きていく人々は本当 に暑くてたまらないと。もうこれでは暑くて死んでしまうというような方々が本当にたくさんいたわけなんです。そこで、ここではとても生きていくことができ ない。なんとかして別の地域に、涼しい地域に移りたいというようなことをcomplain(不満)を出した方々もたくさんいました。そして扇風機のような 設備がなんとしても欲しいとか、そういうことを考えたこともたくさんあったわけなんです。
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[写真]ダライ・ラマ法王14世が賞賛したコースター
 
しかし、そのような中で、暑い昼間には休んで寝て、夜に涼しくなったら起きて働くというようにしたり、そのようにして年月を重ねていったわけなん ですけれども、その後、1年後、2年後に私がそういったチベット人の居住区を訪問したときには、もうこのままでは暑くて死んでしまうと言っていたような 人々を、そのとき私は非常に勇気付けたわけなんです。励ましたわけなんです。そういった方々がまあまあに大丈夫な状況で、元気でいてくれたという状況であ り、そのとき私は「皆さんは、もう暑くて死んでしまうと言っていたのに死んではいませんよね」という冗談を言うと、そのチベット人の人たちも笑っていまし たけれども、このように、
人の心というものは、自分の決意と自信に満ちて歩んでいくとき、どのような困難な状況に直面したとしても必ずやそれを乗り越えて いくことのできる力を私たちは持っているわけなんです。ですから、自信というもの、そして決して諦めないということ。そして、どのような状況でも一生懸命 働いてそれを乗り越えようという勇気を持つということ、そのようなことをしていただけるならば、必ずや皆さんもそれを乗り越えていけるのではないかと思い ます。
 そして今年の1月にバンガラというところにあるチベット人居住区を私が訪れたとき、非常にこの何十年もの中におけるチベット人居住区の中で、一生 懸命働いてきた人々の結果というものが、ある種の成功を収めたと。皆さんが非常にまあまあな状況で落ち着くことができたということも、この目で見ることが できました。ですから、これは1つの良い例ではないかと私自身は思うわけです。ですから、どのような状況に陥っても決して諦めないということ。楽天的な態 度を維持するということ。そのようなことによって、私たちは必ずやそれを乗り越えていくことができます。ですから皆さま方も、全てのことは自分の心の持ち 方次第で全てが変わっていくということ。これを理解して自分の中に自信と決意を高めていっていただきたいと思うわけです。
 そしてもう1つは、決して非現実的な考え方をするということではなく、考え方は現実に即した考え方をし、そして現実的な態度で現実的な実践をしていくということによって、全ての困難を乗り越えていくことができると思います。
 竹製でしょうか。コースターなんですけれども、竹を編んだような、かごのようなきれいな塗りが施してあるコースターなんですけれども、日本の製品 だと思いますけれども、本当に素晴らしく作られていますね。ですから皆さん方、日本人の方々が持ってらっしゃる伝統というものの中には、本当に洗練された 優れた技術というものも存在しているわけです。本当に素晴らしいと思います。
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[写真]修祓の儀で祓い清められるダライ・ラマ法王14世
 
私は初めて日本を訪問させていただいたのは1967年のことでした。そして、そのときに私は日本の皆さま方にお話ししたことがあるわけなんです。 それは何かと言いますと、日本というこの国の中には近代的な科学技術、そして物質的な向上というものが本当に素晴らしく発達した国であるという一面を持っ ています。しかしながら、その反面で非常に強い、素晴らしい日本の伝統的な面というものが存在します。それは先進的なレベルにおける価値であり、それが神 道であり、仏教であり、そのような精神的なレベルにおける皆さまの持ってこられた伝統であるわけなんです。この物質的な面というものと、そして伝統的な素 晴らしさというものをぜひ結び合わせていくことができたならば、これは本当に大切なことであり、それを結び合わせることによって、皆さま方は非常に多くの ことを成し遂げていけるのではないかということを、皆さま方にそのときにお話ししたことを覚えています。
 ですからこのような近代性というものと、そして伝統的な部分というものですけれども、物質的な部分というのはもちろん概念的なレベルにおけるもの であり、伝統的な部分というのは精神的なレベルのものに関連してきます。日本の方々、伝統の中には、年配の方々に対する心からの尊敬を表明するというよう なこともありますし、非常に素晴らしい親子関係を持っているという部分もあると思います。このようなことは基本的な人間の持っている優れた価値観ではない か。そのように私は感じているわけです。ですから、そのようなお互いに対する敬意、そして愛情や思いやりというものを維持し、ますます高めていくというこ とが非常に大切なことではないでしょうか。
 そして日本の友人の皆さんを見ていますと、非常に礼儀正しくて、どこでも何度でも何度でもお辞儀をするわけです。そのお辞儀をするということは、非常にいい背中の運動になるような気がするわけなんです(編集部注:ダライ・ラマ法 王14世によるユーモア)。もちろん、このことが自然に成し遂げられている、つまり外面的にそのように他の人たちに対する敬意を表明すると同時に、その気 持ちを皆さま方の心の内面においても同じように維持していただきたいと思うわけなんです。心の中ではそのようなことを持たず、単に外面的にお辞儀をしてい るというだけでは偽善的な人間になってしまうわけなんです。ですから、そのようなことを注意していただきたいと思うのと同時に、また一方では、日本の方々 は非常に形式的な部分というものを尊重されるということから、あまりに夷然を正して、しかつめ正しく座っておられる。そして笑いがない。そして笑うときに は人工的な笑いというものは、あまり好ましくないのではないでしょうかと思います。
 そして、最後に1つだけ、ささいなcomplain(不満)というか文句を1つ言わせていただくならば、日本食についてのことなんです。日本食と いうのは非常にいろんな種類のお皿が並んで楽しいわけなんです。しかしながら、量が非常に少ないというのが私のちょっと満足しないところであるわけであり (編集部注:ダライ・ラマ法 王14世によるユーモア)、もちろん質が高いということは非常に大切なことですけれども、量がおなかを満たしてくれるということも大切なことではないかと 私は考えています。日本の食べ物は非常にきれいで、まるで飾り物のように美しく、目を楽しませてくれるわけなんですけれども、それだけではおなかは満腹に はなりません。そして、これはおそらく私だけではなく、私の知り合いのイタリア人の友人も同じようなことを言っていました。
 西洋から来た使節団の方々が日本の招待ディナー、あるいは招待ランチなどに行かれると、それが終わったとたんに皆さんで「レストランはどこです か」と聞いて、おなかを満たすために次のレストランを探さなければならないというような状況もあるわけなんです。ですから、私はちょっとこのことをいつ も、つい日本に来ると思い出して、皆さま方にもお話ししています。ありがとうございました。