パルデンの会

チベット独立と支那共産党に物言う人々の声です 転載はご自由に  HPは http://palden.org

7月3日から14日の儀式 カーラチャクラ灌頂伝授  ダライ・ラマ法王とナムギャル寺の僧侶、 高僧の方々ラダックのレー

ダライ・ラマ、79歳に=説法にR・ギアさんも

  http://www.jiji.com/news/kiji_photos/0140706at43_t.jpg
6日、79 歳の誕生日を迎え、米俳優リチャード・ギアさん(右)と握手するチベット仏教最高指導者ダライ・ラマ14世=インド北部ラダック地方レー郊外(AFP=時事)

 【レー(インド)AFP=時事】イン ド北部のジャム・カシミール州ラダック地方の町レー郊外で6日、チベット仏教最高指導者ダライ・ラマ14世が79歳の誕生日に合わせて説法を行い、ミャン マーやスリランカで相次ぐ仏教徒によるイスラム教徒への暴力をやめるよう訴えた。


〔写真特集〕チベット仏教


 ダライ・ラマは数万人の仏教徒らを前に、「ブッダは愛と慈悲を説いた。ブッダがそこにいれば、仏教徒が攻撃しているイスラム教徒を助けるだろう」と呼び掛けた。説法には米俳優リチャード・ギアさんも訪れ、ダライ・ラマをたたえた。(2014/07/07-00:03)



Mother Earth tours & travels / MILA'S HOUSE
 
より転載

ラダックのレーにおけるカーラチャクラ灌頂

レー(正確にはチョグラムサルにあるジウェツァル)でカーラチャクラ灌頂が行われるのは今回が2度目で、1度目は38年前の1976年に行われました。1988年にはザンスカールにて行われています。
 今回で33回目となるダライ・ラマ法王14世によるカーラチャクラ灌頂を間近に控え、簡単にその概要をまとめてみました。
【カーラチャクラ灌頂とは】
 カーラチャクラ灌頂とは、カーラチャクラの教えを受ける前に授かる入門儀礼です。一般には、密教の法流を学ぶ前に授かる灌頂を受けるには多くの規制がある のですが、この灌頂においては他の密教の灌頂とは異なり広く大衆に公開されています。それはこのカーラチャクラの教えが「世界平和への方便」とされている からで、法王はこの灌頂を世界で授け続けていらっしゃいます。
 チベットで取り入れられた密教はインドから伝わりました。インド密教は発展段階に従って前期、中期、後期と分類されるのですが、カーラチャクラ経典は後期 密教経典のなかでも最後期に成立したものです。そのためこの経典は“インド密教の総決算”とも表現され、その最奥義を伝えるものとされています。
 カーラチャクラ灌頂は、仏教・密教を学んでいる方々や修めている方々、チベット仏教圏に生きる人々にとって大変重要な儀式であることはもちろんですが、仏 教を詳しく知らないという方々にとっても、法王のお人柄、僧侶たちの舞踏、前行法話、美しい砂曼荼羅、会場の雰囲気などに触れることで、有意義な時間を持 たれる機会となることでしょう。
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ところで、カーラチャクラの砂曼荼羅は1995年に渋谷のワタリウム美術館でも制作されたことがあります。この美術館で開かれた『こころ・医・チベット展』 という展覧会でのことで、私も当時行かせていただきました。ダライ・ラマ法王が来日され、講演会や握手会なども行われました。カーラチャクラの砂曼荼羅は 灌頂では通例完成後に公開されるものなのですが、この展覧会では、ナムギャル僧院の僧侶たちが時間をかけて鮮麗な砂曼荼羅を作り上げていく過程を間近で見 させていただくことができました。砂曼荼羅は最後に崩され、川に流されます。その展示会での曼荼羅の砂は、隅田川に流されました。バスが数台用意され、た くさんの人と隅田川まで砂を流す儀式を見に行ったことを憶えています。灌頂の期間に完成され、そして壊される砂曼荼羅。砂曼荼羅を壊すという行為は「すべ ては無常であり、空である」という仏教の根本的な教えを表現しているそうです。今回の灌頂でも、その儚い美しさは多くの人々に感動を与えてくれることと思 います。
【灌頂スケジュール】
 7月3日から14日の儀式のなかで、灌頂伝授自体は7月10日から13日に執り行われます。7月3日から5日は、ダライ・ラマ法王とナムギャル寺の僧侶、 高僧の方々により、灌頂のために必要な地鎮祭と準備の儀式が行われます。これには砂曼荼羅の制作も含まれています。7月6日から8日は、ダライ・ラマ法王 によって前行法話を行われます。今回の法話は、ナーガールジュナ(龍樹)の著作である『友人への手紙』に基づくものです。この法話は「加行(前段階の修 行)」となるもので、灌頂を受ける前に仏教の基礎を身に付けるためのものです。7月9日は、ナムギャル寺の僧侶たちによるカーラチャクラの宗教舞踏が演じ られます。7月10日から13日は、法王によりメインであるカーラチャクラ灌頂伝授の儀式が執り行われます。灌頂伝授では、「水の灌頂」「宝冠の灌頂」 「絹リボンの灌頂」「金剛杵と金剛鈴の灌頂」「行動の灌頂」「名前の灌頂」「許可の灌頂」が授けられ、続いて「4つのもの(真言、目薬、鏡、弓矢)を授け る儀式」と「金剛阿闍梨の灌頂」が授けられます。最終日の7月14日には、法王のご長寿を祈願する儀式が行われます。www.dalailama.com/teachings/schedule
 
 
 
ダライラマ法王事務所HPより転載
カーラチャクラはタントラ(密教
カーラチャクラは、チベット密教の最奥義である無上ヨーガ(瑜伽)・タントラの代表的な聖典である。聖典によると、カーラチャクラは、シャンバラ国のダワ・サンポ王が受けた教えとされ、シャンバラ国はカーラチャクラの教えの行き渡った特別な国になったとされる。
カーラチャクラは、「時輪」と訳され、「カーラ」とは時間を意味し、「チャクラ」は存在を意味する。あらゆる時間は存在の中にあり、あらゆる存在は時間の 中にある。本来、生きるものは全て仏性を有し誰でも仏となる可能性を持っている。極めて高度な内容にも関わらず、世界平和への祈りが込められているため、 この教えの門は広く一般の人々に開かれている。
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カーラチャクラ曼陀羅
 
三身 ―カーラチャクラの基になるもの―
カーラチャクラでは、「空身(トンスク)」、つまり空のからだと言うものが説かれており、無上の不動の大楽、無上の不動の信仰、無上の不動の智慧を得ることを目的とし、「光明(ウーセル)」についての内容が最も強調されている。
死ぬ時に顕れる光明を「法身」と言う。人が死んで、新たな生を受ける時、「中有(パルト)」という「報身」があり、最高で49日後に、誕生の「化身」を持つ。カーラチャクラの教えは、これらの法身(死の光明)、報身(パルト)、化身(生、誕生)の三身を基にしている。
ルン ―カーラチャクラの鍵―
カーラチャクラでは、ルン*と呼ばれる「風」が、ウマと呼ばれる「中央脈官」に入る最初の過程から、カーラチャクラ・タントラの「究境次第」とする。他の無上・ヨーガタントラでは、「風」を「中央脈官」に集めてそれから究境次第の悟りを得るとする。
*ルン 光明としての心の乗り物となる微細なる風。生体エネルギーのようなもの。このルンにより、無上ヨーガ・タントラなど特別なヨーガが可能となる。
カーラチャクラも「空」の観点から観る  ― ダライ・ラマ法王のカーラチャクラについての説明 ―
「カーラチャクラというと、本当に実体を持ったもの、それ自体の側から現実に固有の存在としてある もののように思うかもしれません。カーラチャクラという実体のある本尊とか、その広まったシャンバラ国もそういう実体のあるものだと・・・。しかし、その ように考えてしまっては、般若心経を学んだ意味が無くなってしまいます。般若心経では、形も無く、音も無く、味も無く、五蘊もなく、生死もない、と言って います。・・・タントラを修行する場合、般若心経に説かれている無我を理解する智慧、これがなければ、タントラの修行は成就できません。
チベット仏教では、タントラのみならず、どのような経典でも、完璧な修行の道、つまり小乗、大乗、タントラの全てを含めて考えることを大切にし、それは優 れた点と言えるでしょう。カーラチャクラの場合にも、般若心経で無我を理解する智慧のことを学ぶ一方で、カーラチャクラのことを本当に実体性のある仏だな どと考えていたのでは、般若心経の教えと食い違ってきてしまうのです。ですから、カーラチャクラのことも、「空」の観点から観るべきなのです」
ダライ・ラマ法王が行ったカーラチャクラ灌頂の回数・場所・参加人数
番号 年月 場所 人数(人)
1 1954年5月ノルブリンカ(チベット) 100,000
2 1956年4月ノルブリンカ(チベット) 100,000
3 1970年3月ダラムサラ(インド) 30,000
4 1971年1月バイラクッピ(インド) 10,000
5 1974年12月ブッダガヤ(インド) 100,000
6 1976年9月ラダック(インド) 40,000
7 1981年7月マディソン(アメリカ) 1,500
8 1983年4月ディラング(インド) 5,000
9 1983年8月タボ・スピティ(インド) 10,000
10 1985年7月リコン(スイス) 6,000
11 1985年12月ブッダガヤ(インド) 200,000
12 1988年7月ザンスカル(インド) 10,000
13 1989年7月ロサンゼルス(アメリカ) 33,000
14 1990年12月サルナート(インド) 130,000
15 1991年10月ニューヨーク(アメリカ) 3,000
16 1992年8月カルパ・キヌール(インド) 20,000
17 1993年4月ガントク・シッキム(インド)100,000
18 1994年7月ジスパ・キロン(インド) 30,000
19 1994年12月バルセロナ(スペイン) 3,000
20 1995年1月ムンゴット(インド) 50,000
21 1995年8月ウランバートル(モンゴル)30,000
22 1996年6月タボ・スピティ(インド) 20,000
23 1996年9月シドニー(オーストラリア)3,000
24 1996年12月サルガラ(インド) 200,000
25 1999年8月ブルーミントン(アメリカ)4,000
26 2000年8月キ・スピティ(インド) 25,000
27 2002年10月グラーツオーストリア) 10,000
28 2002年10月ブッダガヤ(インド) 200,000
29 2004年4月トロント(カナダ) 8,000
30 2006年1月アマルワティ(インド) 100,000
31 2011年7月ワシントン(アメリカ)
 
 
冥想により、限りなき知性と底知れぬ優しさを。そこに次の時代が・・・。この世はドリームでもあり、リアルでもあり。
より転載
 
ダライ・ラマ密教入門(秘密の時輪タントラ灌頂を公開する)/ダライラマ/石濱裕美子訳/光文社」では、石濱氏が、オウム真理教が殺人や盗みを行った根拠の経典がこれであると言う。

なるほど、この灌頂中の金剛阿闍梨灌頂で、誓いの言葉として挙がっている言葉には、
『金剛の一族に属するものは殺生を行うべきである。
剣の一族に属するものは真実でない言葉を語るべきである。
宝珠の一族に属するものは他のもの財産を盗むべきである。
蓮華の一族に属するものは他のものの配偶者を盗むべきである。』
(上掲書P273から引用)
という不穏当な言葉が並んでいる。

あらゆる暗喩を適切に理解しなければたどり着かないタントラの奥義への道程において、どうしてこの部分だけ、文字通り「殺生、嘘つき、窃盗、不倫」と理解しなければならないのだろうか。そんなはずはない。

禅でも臨済は、道で仏に出会ったら仏を殺せと物騒なことを主張するが、それは殺人の勧めではなく、「他人が悟った」「他人が仏になった」という話があっても相手にしてはならない、自分がどうかというのが問題なのだということ。

この誓いの言葉の前段で、
『私は「大印契」(マハームドラー)(妃)をともなった、
「聖なる身体」(清浄身)として明らかになった。
これは大楽と空が不二となった究極の智慧が意識に現れるときの姿である。
それは金剛薩たの究極の身体である。』
(上掲書P271から引用)
と両性具有が実現されることを言っているので、十牛図で言えば得牛くらいの境地であることが前提で「殺生、盗み」などと言っていることがわかる。

なおなお大印契とは、交合図(サンヴァラ)であり、両性具有なのだが、それが金剛薩たでもあるとは・・・・。ただいずれにしても中心太陽突入のファイナル・ステージではない。

経典経文は、誰しも自分に都合よく読みがちなものであり、西洋で錬金術書の黄金を金属の黄金と思い込む間違いと、この「殺生、盗み」の字義どおりの解釈は同列だと思う。