コラム:中国の「火薬庫」は香港にあらず
Julia Famularo
1931年の中華ソビエト共和国憲法大綱は、領土内の少数民族に対し、分離する権利と自決権を認めていた。しかし、1949年に中華人民共和国が成立する時までには、毛沢東はこうした権利を撤回。少数民族の住む地域を併合し、チベットとウイグルの自治を認めるとした。だが、中国政府は約束した権利と自由を与えず、法の支配を守っていないという批判を受けている。
しかしながら、この政策は効果があるとは言えず、持続しないことが証明されつつある。
習近平氏が2012年11月に中国共産党トップの座に就いて以降、抗議活動や混乱が劇的に増加。チベット自治区では、少なくとも127件の焼身自殺が発生した。その多くが自由拡大やダライ・ラマ14世の帰還を求めて自らに火を付けたが、中国当局は犯罪とみなした。焼身自殺を図った人の友人や家族までが、政治的に迫害されたり行方不明になったりしている。
では、香港のデモが火付け役になり得るだろうか。そうはならないだろう。
また、現地住民へのあからさまな政治圧力により、そうした問題についての議論もしにくくなっている。うわさを流布したとして逮捕される可能性もあるからだ。
香港のような抗議活動がすぐに広がる可能性は低いが、中国政府の政策が逆効果を生み、暴力につながりかねない社会不安は今後も尽きないだろう。
*本コラムは筆者の個人的見解に基づいて書かれています。
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