戦後70年目の広島から(2):平和願い、カトリック・聖公会・チベット仏僧らが共同の祈り
記者 : 土門稔
集いには、カトリックからは岡田武夫大司教(東京大司教区)、池長潤大司教、前田万葉大司教(共に大阪大司教区)、高見三明大司教(長崎大司教区)の4人の大司教と10人の司教、日本聖公会からは、植松誠首座主教(北海道教区)はじめ11人の主教が列席した。この他、世界教会協議会(WCC)のメアリー・アン・スウェンソン監督(米合同メソジスト教会)、バチカン教皇庁大使のジョセフ・チェノットゥ大司教、韓国・済州教区の姜禹一(カン・ウィル)司教らがゲストとして列席した。
そして、連祷と福音朗読に続き、スウェンソン監督がメッセージを語った。2歳で被爆し、千羽鶴を作れば元気になると信じて折鶴を作り続けながら12歳で亡くなった佐々木禎子の本を読んだ時の思いなどを交えながら、約20分にわたり、平和と戦争について話し、「核兵器と決別する時が来ました」と述べた。
戦後70周年に当たり、わたしたちは主に在って一つであることが“平和のしるし”となることを覚えます。そして『日本聖公会の戦争責任に対する宣言』や『日本聖公会〈宣教・牧会の十年〉提言』に掲げられている取り組みを丁寧に実践し、主キリストの十字架の死と復活によって示された和解と平和を告げ知らせて行きたいと願います。
以上の歴史的経緯を踏まえるならば、わたしたち日本司教団が今、日本国憲法の不戦の理念を支持し、尊重するのは当然のことです。戦争放棄は、キリスト者にとってキリストの福音そのものからの要請であり、宗教者としていのちを尊重する立場からの切なる願いであり、人類全体にとっての手放すことのできない理想なのです。
この祈願文は、ダライ・ラマ14世が1960年9月10日にインド・ダラムサラで樹立した亡命政権において書いたもの。チベット人たちの祖国における平和と、仏教・文化・自治権の返還を願う祈願文だ。亡命チベット社会の学校をはじめ、チベット社会全体でチベット問題の解決を願っているという。
三世の善逝(ぜんぜい)よ 彼の子息よ 弟子たちよ 我がこの真実の慟哭(どうこく)を聞き入れ給(たま)え殊には雪域の敬虔な持法の民たちが 暗黒からの野蛮な軍隊により無慈悲に侵略され
無情な凶悪なる破壊で流した血と涙の数々のこの流れを ただちに止め給う彼の仏の慈悲力の部隊よ 示現し給え(配布された日本語訳より一部抜粋)
とりなしの祈りでは、この集いの中心となったシスターが、「この70年間、日本の若者が戦争に行って戦うということをしないで過ごせたことを心から感謝します。この夏、日本が大きく変わろうとしています。そして、たくさんの人たちがそのように変わってほしくないと願っています。どうぞ経済的な発展を優先するのではなくて、私たちが一人一人の命と尊厳を大切にする社会を、これからも、今日集まっているこの若い人たちと大切にし、守りつないでいくことができるように力を与えてください」と祈った。
若い助祭は、「原爆投下後70年間祈りが続けられてきました。私はこの祈りの場こそが神の国であり、ここから広がって行くのだと思います。私が平和、私たちが平和。そう思う。このことの大切さは差し迫っている、もはや躊躇(ちゅうちょ)している場合ではない。私たちが平和、というと少し傲慢(ごうまん)だとか、こんな自分が語る資格があるのかと迷うこともあります。しかし、それでもあなたを愛していると言ってくれるのがイエス・キリストです。イエスを平和がない場所にお連れすることが、平和への一歩だと信じて歩みたい」と述べた。