訪日外国人客の増加が止まらない。日本政府観光局(JNTO)によれば2015年10月の総数は182万人で、前年対比43.8%の増加となった。中でも中国人客は前年の22万3000人から44万5600人へと倍増を遂げた。
 旅行消費額も伸びている。2014年は総額が2兆円を突破、今年も第3四半期だけでも1兆円を超えそうな勢いだ。そのなかで圧倒的多数を占めるのが中国人による消費である。同期における訪日中国人1人当たりの旅行支出は18万円を超えている。
 中国人の海外での“爆買い”を支えているのが、「銀聯(ぎんれん)カード」というデビットカードだ。銀聯カードの発行枚数は46億枚にも達している。中国政府は中国人の外貨の持ち出しを厳しく規制している。それにもかかわらず日本で爆買い現象が見られるのは、この便利なカードが存在するためだ。2015年第1四半期の銀聯カードの日本国内での取扱高は、加盟店とATMを合わせて約4800億円に達する。
銀聯カードには現金引き出し機能もある。日本にいても銀行のATMを利用すれば中国の銀行口座から預金を引き出せるのである。もちろん、引き出せるのは日本円だ。人民元はその日のレートで日本円に両替される。1日に引き出せる金額の上限は1万元だ(1元=19円とすれば19万円)。
 しかしこの秋、この現金引き出しをめぐり、日本でちょっとした混乱が生じた。銀聯カードを利用した現地通貨での引き出しに思いもよらない制限がかけられたのだ。

規制の裏にはマネーロンダリング

人民元預金が突然引き出せなくなった」――。
 11月初旬、東京都内に住むある中国人女性は「まさかハッキングにやられたのでは」と肝を冷やした。
 調べてみると、銀聯カードを使って海外で引き出せる額が制限されていることが分かった。10月1日から年末までの3カ月間、カード1枚につき最大5万元(約94万円)しか下ろせなくなっていたのだ。その中国人女性は引出枠をすでに使い切っていた。しかも、2016年からは1年の引出額の上限が10万元になるという。「通知されたのが9月29日で、施行は10月1日から。これでは対策のとりようがない」と女性は不満をのぞかせる。
銀聯カードは中国人観光客の“爆買い”を支えてきたカードだけに、都心部では「旅行消費が冷え込むのでは」と心配する声も聞かれた。なぜ、多くの中国人観光客が日本を訪れるこの時期に、突然規制強化が行われたのか。
 背景にあるのは「マネーロンダリング」(資金洗浄、以下「マネロン」)である。最近、銀聯カードを使った海外での多額の引出が急増している。これを中国国家外貨管理局が危険視し、不正所得を海外へ移転させないように動き出したのだ。
 中国からの資金移転の“裏技”については、前回、当コラム(「ますます加速!中国人があの手この手で資産逃避」)でもお伝えしたが、銀聯カードもマネロンの一手段として利用されてきた。
 別の中国人男性は、銀聯カードの“活用法”を次のように明かす。
銀聯カード1枚につき1日1万元まで引き出せる。銀聯の機能は銀行カードについているから、銀行ごとにカードを発行すれば、手元に10枚や20枚の銀聯カードを持つことができる。365日、毎日引き出せば、カード1枚で年間365万元(約6860万円)。つまり、10枚のカードを持っていれば年間7億円弱、20枚なら13億円以上を引き出せることになる」
 この資金移転の方法は地下金融の「銭庄」(前回コラムを参照)を使うよりも安全で手数料も安い。1回の引出の手数料は15元(約280円)ほどだが、「華夏銀行」などのように海外での引出手数料を無料としている銀行もある。
 最近、中国人による日本の不動産の爆買いが話題になっている。中には、多額の現金を詰め込んだ紙袋を持って不動産屋に現れ、即金で不動産を購入する中国人もいるという。その背景には、銀聯カードを使った資金移転があることも否定できない。

取り組みが遅れている日本

 テロが頻発する昨今、資金源を封じ込めるためにもマネロンの防止は世界的に極めて重要な課題だ。同時に国際社会が目を向けているのが中国人によるマネロンである。
 マネロンとは一般に「犯罪による収益の出所や帰属を隠そうとする行為」を指す。日本では「マネロン」は暴力団がらみの犯罪というイメージが強く、中国からの資金移転はあまり警戒されていない。だが、中国からの移民とともに莫大な資金が流れ込むカナダやオーストラリアは、中国人によるマネロンを大きな問題として認識し、警戒を強めている。
 例えば、最近カナダで波紋を呼んでいるのが中国からの電信送金だ。カナダ国内の一部の銀行が、中国からの年間の持ち出し金額の上限である5万ドルを超える金額を取り扱ったことが問題になっている。
 マネロン対策には、各国が協力体制を作ることが必要だ。マネロン対策の国際協力を推進する政府間会合に「FATF」(Financial Action Task Force:金融活動作業部会)がある。米国、英国、フランス、ドイツ、日本、イタリア、カナダのほか36の国・地域・機関が加盟している。
 日本も加盟国になっているが、日本は「FATF勧告遵守の取り組みが最も遅れた国の1つ」であり、「マネロンの抜け穴になる可能性」(警察庁)が高いと指摘されてきた。その後、各国と足並みを揃えるべく、2007年に「犯罪収益移転防止法」を成立させ、法改正を重ねてきたという経緯がある。
 犯罪収益移転防止法では、銀行や保険会社、宅地建物取引業者などが、顧客が「犯罪収益を隠匿しようとしている」との疑いを持った場合、速やかに行政庁に届け出ることを義務づけている。
 例えば、不動産を扱う宅地建物取引業者は、「多額の現金により、宅地又は建物を購入する場合」「短期間のうちに行われる複数の宅地又は建物の売買契約に対する代金を現金で支払い、その支払い総額が多額である場合」に届け出なければならない。
 だが、こうしたマネロン対策は各事業者に浸透していないのが現状だ。宅地建物取引業者からの届け出についていえば、「疑わしい取引の届出受理件数」は2013年にたった1件、2014年もやはり1件しかない。

銀聯カードを世界に広めてきたが・・・

 警視庁・刑事局組織犯罪対策部の犯罪収益移転防止対策室は「犯罪による収益の移転の危険性の程度に関する評価書」(2014年12月)という報告書の中で、「訪日外国人の利便性向上の観点から、海外で発行されたカードを使って日本円を現金で引き出せる現金自動預払機の設置を促進する動き」があることを指摘している。
 同報告書は名前こそ伏せているものの、「銀聯カード」が世界規模での資金移動を可能にすることを示唆している。報告書はさらにこう指摘する。「このような環境はマネーロンダリング等を企図する国内外の者に対して、マネーロンダリング等に係る様々な手段・方法を提供することとなる」
銀聯カードは中国人旅行者と受け入れ国に大きなメリットや経済効果をもたらす一方で、不正利用されかねない弱点も存在する。
人民元の国際化を狙って銀聯カードの利用を世界に広めてきた中国にとっても、今や“脅威”になっていると言ってよい。150カ国の120万台のATM機で利用可能な銀聯カードが、中国政府が最も危惧する海外への資金流出を促進しているのだ。
 10月から施行された銀聯カードの現金引き出し制限は、訪日中国人の観光にはほとんど影響はないと言われている。だが、日本を含めた海外での不動産購入にはブレーキがかかるだろう。中国を発生源とするマネロンを防止するための有効な施策となることを期待したい。


香港からも欧州からもいなくなる中国人観光客

年末、年始は日本に殺到か?

2015.11.25(水) 柯 隆
香港のショッピング街に掲げられた看板(資料写真)。(c)AFP/Antony DICKSON〔AFPBB News
 出張で香港を訪れた。

香港国際空港はいつも中国大陸からの観光客でごった返しているが、今回は入国審査を通過するのに10分もかからなかった。そこから市内に行くために「机場快車」という電車に乗ったが、乗客は4割程度だった。安い部屋を予約していたホテルにチェックインすると、オーシャンビューの部屋に案内してくれた。

 なぜここまで移動がスムーズで、おまけにホテルは待遇を良くしてくれるのか?
それは中国人観光客が大幅に減少したからである。

香港人反中感情が高まっている

 地元の銀行に行ってヒアリングを実施したところ、相手は開口一番「何しに香港に来たのか」と言う。質問の真意が分からないので、「というと?」と聞き返した。
 すると、「香港はなんでも高いだろう。日本のほうがめちゃくちゃ安い」と答えた。マクロ経済についてインタビューを申し込んだのだが、いきなりミクロの話になった。話題を変えるのももったいないので、そのまま香港のミクロ経済についてヒアリングした。

 香港では、昨年起きた民主化要求運動をきっかけに、香港人と大陸の人との対立が激しくなっている。11月17日、香港でサッカーワールドカップ(アジア2次予選)の香港対中国の試合が行われた。双方のサポーターが暴動を起こす可能性があったため、香港政庁は1200人の警察官を投入した。実際には暴動は起きなかったが、試合前の中国の国歌斉唱のときに一部の香港サポーターがブーイングし、ゴミをピッチに投げ入れた。

 中国人観光客にとって香港観光の魅力は大幅に低下している。見るところは少なく、物価も高い。香港で唯一繁盛しているビジネスは「外貨両替商」である。大陸の人間は、人民元を外貨(ドル)に両替してタックスヘイブン租税回避地)に飛ばしている。
 なによりも香港経済は中国経済の減速を受け、景気が低迷している。こうしたなかで見えてくるのは香港人反中感情の高まりである。

 香港に来る前に東京で山手線に乗っていたとき、数人の観光客に「中国人?」と聞いたところ、きっぱりと「いいえ、香港人です」と言われ、筆者は思わず「ごめんなさい」と謝った。香港人の心はすっかり中国から離れているようだ。おそらく大陸の中国人はこの変化をほとんど知らないだろう。

 中国人は生まれつき自分たちが世界の中心にいると思い込んでいる。また、共産党指導者は力で世界を動かせると考えている。しかし、権力で国を治めることはできても、人心を治めることはできない。ましてや他の国を従わせ、味方にすることはできない。

 11月7日、シンガポールで、習近平国家主席と台湾の馬英九総統が歴史的な対面を果たした。この対面は実質的な効果よりも、象徴的な意味が大きい。この対面について台湾では賛否両論がある。筆者は、個人的には会わないよりも会ったほうがいいと思うが、これで台湾と大陸が統一に近づいたわけではない。

 台湾と大陸が統一するかどうかは、大陸の民主化の進捗次第である。民主主義の台湾と専制政治の大陸とが統一できるとはとても思えない。
中国は経済力を盾に積極果敢な外交を展開している。しかし、高圧的な外交戦略は逆効果である。南沙諸島の埋め立て問題を受けて、ASEAN諸国は中国に対する警戒を明らかに強めている。

中国人がヨーロッパ旅行を次々にキャンセル

 さて、中国人観光客がいなくなるのは香港だけではない。
 11月13日、パリでテロ事件が発生し、約130人が犠牲となった。このテロ事件は日本に思わぬ効果をもたらす可能性がある。
中国の旅行社に聞いたところ、クリスマス、新年(元旦)と旧正月春節)にヨーロッパに旅行する予定だった中国人観光客が相次いで予定をキャンセルしているという。彼らは旅行先を日本に振り替える可能性が高い。
 これはなかなか回復基調に乗れない日本経済にとって間違いなく朗報であろう。ISISは「パリでのテロ事件が始まりに過ぎない」とアナウンスしている。向こう3カ月、中国人観光客は旅行先を欧米からアジア、とりわけ日本へと変更し、日本で爆買いすることだろう。

富裕層向けのサービスと商品開発を

 中国の景気減速と反腐敗キャンペーンの影響によって、日本に来る観光客が減るのではないかと心配されていたが、今のところそうした兆しは表れていない。
 だからこそ今、日本が行うべきなのは、外国人観光客を受け入れるインフラの整備を急ぐことだ。
 日本は所得格差が低いため、サービスが均一化している。例えば、新幹線はグリーン車と普通車しかない。なぜ飛行機と同じようにファーストクラスを設けないのだろうか(観光客向けのコンパートメントもあったほうがいいのではないか)。
 一泊数千円の格安ホテルは低所得層にとっては魅力的だ。だが同時に富裕層向けの施設とサービスの充実も不可欠だろう。免税店や観光地で売る商品も、ありきたりのお菓子だけではなく、高付加価値の商品の開発が求められている。
日本は、明日、中国人観光客が減ることを心配するよりも、今日、観光資源の開発と売り込みに力を入れるべきである