パルデンの会

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水木さんの「遷化」は、まったく悲しくない。こう言っては失礼かも知れないが


勝谷誠彦氏の有料ブログより転載

勝谷誠彦の××な日々。

9:01 (41 分前)



 2015年12月1日号。<マンガ馬鹿だから解説する。水木しげる先生がどれほどの「巨樹」であったかを>。


 3時半起床。
 何ということだろう。わずかな間に日本国はそのもっとも大切な「
美」に続いて「智」をも喪った。原節子さんを追うように、水木しげるさんが逝った。おふたりとも90歳を過ぎて天寿をまっとうされたとは思うが、先日書いたようにあまりに続くこの国の宝の逝去は、天が何かを私たちから奪う意図を持っているかのようにすら思われる。
 <水木しげるさん死去/93歳/描き続けた妖怪と戦争>
 http://www.asahi.com/articles/DA3S12094553.html
 <「ゲゲゲの鬼太郎」などの作品で知られる漫画家の水木しげる
みずき・しげる、本名武良茂/むら・しげる)さんが、30日午前7時18分、多臓器不全のため東京都内の病院で死去した。93歳だった。
 1922年生まれ。鳥取県境港市出身。43年、
召集され現パプアニューギニアラバウルへ。米軍の空襲で左腕を失う。46年、復員。紙芝居作家を経て58年「ロケットマン」で漫画家デビューした。
 幼い頃から妖怪に興味を持ち、「河童(かっぱ)の三平」「
墓場鬼太郎」など、一貫して妖怪を描き続けた。代表作「鬼太郎」は、68年から2009年にかけ6作もテレビアニメシリーズが作られた。戦争体験に基づいた「総員玉砕せよ!」「コミック昭和史」水木しげるラバウル戦記」など、戦争を告発する作品でも名作を残した。>
 「逝った」と書いた。しかし私は本当はその言葉を使いたくない。
「遷化」と記したい。「遷化」とは高僧の時に使われることばだが「この世での教化を終えて、彼岸での教化をはじめる」という意味だ。その境地になると幽明の境などというものは何ほどのものでもなく、小川を飛び越えるように「あちら」へと渡るのである。水木さんとはそういう方だろうと私は感じる。ニューギニア戦線のラバウルで一度は「死んだ」水木さんには「あちら」の世界がとうに見えていたのではないか。それを幼いころから出会っていた妖怪に仮託したのではないだろうか。ごく自然に水木さんは幽明の境を越えられた気がする。ご本人もほとんど気付かぬうちに。だから頭でっかちの『築地をどり』のコラムニスト気取りが「日本を代表するコラム」のオチでこう書くのが、マンガに人生を賭けてきた私としては腹が立ってならない。
 <水木しげるさん冥界へ>
 http://www.asahi.com/articles/DA3S12094556.html
 <享年93。砂かけ婆(ばばあ)に手を引かれて、
戦友のもとへ向かっているか。>
 失礼な。典型的な「
読んだこともない作品をあわてて調べて雰囲気で書いたコラム」である。知らないなら書くな。もし妖怪を登場させるとしても「あまたの妖怪たちを引き連れて、ある時とつぜん『あれ、川を渡っっちゃったか』とあの顔で驚かれるのだろう」と、私なら書く。やっつけで書いたけど、原稿ならもっと推敲する。すみません(苦笑)。天声人語子ごときが突然お勉強してもわからないほど、水木さんというのは、屹立した巨峰であった。日本を代表する「智」だとさきほど書いた。私でもその全貌は実のところなかなかわからずに、迂闊に書くと失礼に当たるのではないかとおびえている。

 ご存じのように私はマンガと軍事については、
いささか遊んできた。この二つのどちらかをとっても、水木さんは巨人であった。少しばかりマンガ好きの方々が喜びそうなことを書く。戦後のマンガの世界で、芥川賞直木賞の売れっ子作家を選ぶとどうでしょうか。これは厭味なたとえであって(縁がないので・泣)まあ純文学と圧倒的なベストセラーの能力を持つ作家と言い換えてもいい。前者がつげ義春先生、後者には池上遼一先生を私が勝手に選んでも、そう異義はないのではないだろうか。
 マンガをあまり読まない皆さんのために解説しておくとつげ先生は
ねじ式」などの「不条理」「貧乏」で熱狂的なファンを持つ。しかし寡作。池上先生は「男組」や「サンクチュアリなどなどまことに量産される。私がときどき書く、そうだなあ、私が水木さんくらいの歳になったら軽井沢の拙宅で車椅子に乗って、紬を着た美少女にそれを押させて、首相が「御前!」と跪くという妄想は、池上さんの作品によく出てくるシーンのパロディである。ええ、キ印です。あっ、これも私の世代ならばよく覚えているだろう『釣りキチ三平』の矢口高雄先生も、水木さんにいろいろと助言を受けている。オノレがキ印な大マスコミによって「釣りキチ」という表題が言葉狩りで使われなくなったのだが。
 日本のマンガのシーンに記念碑的な作品を刻み続けた先のお二人が
、なんと両方とも水木しげるさんのアシスタントであり、さきほど触れたように矢口先生も深い関係があった。つげさんはいざ知らず、池上さんなどはそこでまたあまたのアシスタントを育てておられるだろうから、水木しげるという存在はこの国のマンガという樹木の「幹」であったことがわかる。あの、のんのんとした風貌や態度に騙されてはいけない。恐るべき、強靱な意志を持ち、将来への計算ができる方であった。この言葉がいい。
 <楽しいな/妖怪愛した人生/水木しげるさん、戦争も原点>
 http://www.asahi.com/articles/ASHCZ5WNGHCZUCLV017.html
 <2003年、
81歳で手塚治虫文化賞特別賞を受賞した水木しげるさんは、贈呈式のスピーチで「徹夜続きの手塚さんは早死にした。私は半分寝ぼけたような一生だったが、長生きした」と会場を笑わせた。>
 せっかくだから、私と同じようにマンガを愛する人が、
水木さんの言葉を3つ、きちんと拾って下さっているものを、リンクしておこう。素早く、鋭い。
 <追悼/妖怪の世界を描き続けた「水木しげる
さんの魅力について/「水木力」あふれる名言3選>
 http://rocketnews24.com/2015/11/30/672263/
 <あんな93歳はほかにいない。作品はもちろん何よりも「
水木しげる」さんご本人が一番の傑作だと断言できるほどだ。水木さんが幸せになるための知恵を説いた『幸せになるための七カ条』は有名だが、それ以外にも数々の名言を残しているので紹介したい。>
 いい文章である。『天声人語』との差を感じつつ、
以下を読んでほしい。この著者に私はかなり賛同するものである。
 <「水木力」が感じられる言葉3選>
 として、まずは「マンガ家にでもなるか」
という連中に対する言葉。
 

<その1・餓死です、そういう連中を待ってるのは。私はそういうヤツには「死にたければやれ」と言うんです。「死んでもいいです」と言ったところから、出発するんです。>
 いやあ、これは「ミュージシャン」でも「ライター」でも同じだ。私は今でも「ああ、死ぬかなあ」とずっと思っている。死ねばいいのである。にんげんとしての生き方の惨めさは「死にたくないな」から始まる。水木さんはそれをニューギニア戦線で乗りこえてしまった。この戦時の経験については、あとでまた触れる。次。

 <その2/戦記物をかくと、わけのわからない怒りがこみ上げてきて仕方がない。たぶん戦死者の霊がそうさせるのではないかと思う。>
 これもあとで書くことにつながるな。創造者というのは、それ自体が「メディア」なのである。共鳴装置なのである。しかし、ほとんどの人はそこから逃げている。水木さんは逃げなかった。このことは大きい。次。

 <その3/人生はあんた、面白くなりかけたころに寿命がくるんです。秘密がわかりかけたころに。神様がわからないようにしてるんだ。>
 これは深い。しかし私が書いた「遷化」に通じるところがあると感じる。「彼岸」の秘密を「此岸」がわかってしまうと、神様は失業なのですよ。だから、そこは絶対に遮断する。水木さんは、少しだけ「彼岸」が見えてしまっていたのだろうな。だからこういう発言が出来るのではないか。

 ずっと引っ張ってきて申し訳なかったが「水木しげる先生と戦争」について触れておきたい。「軍事を知らずして平和を語るな」という私の言葉は、ありがたいことにずいぶんと人口に膾炙しているようで「経済を知らずして軍事を語るな」もまあまあ、ひろまりつつある。しかし大東亜戦争という「敗けいくさ」について本当のところ、私たちがどこまで知っているのだろうか。敢えて言うが、戦後一貫して書かれてきたものは左巻きによる「告白」かそれなりの地位にいた軍人の「自慢」だった。戦跡を歩いてきた私は、そうではないとずっと感じていた。「普通の兵隊の記録」はそうは多くはない。
 あなたや、あなたのお父様やおじい様はどうだろう。私の「
シュレ父」は前線には行っていないのでわからない。しかし、まさに現場にいた人々は戦後、口を閉じている人が多かった。それだけ、ひどい状況だったのである。その中で、あの独特の描線で戦場の真実を描いてきた水木さんの度胸は美しい。それをしてこその陛下のまことの赤子である。水木さんこそ愛国者であったというほかはない。こちらも日本国を代表する知性である梅原猛さんの哀悼の辞が、まさにその通りだ。
 <「冷静な視線、優しさも」/水木しげるさん死去、悼む声>
 http://www.nikkei.com/article/DGXLASDG30HFL_Q5A131C1000000/
 <哲学者の梅原猛さん(90)は2010年に水木さんと対談。「
一度きりの出会いだったが、友情を感じた」。神話や妖怪の話などで盛り上がったという。「総員玉砕せよ!」など一連の戦記物は「大岡昇平の『野火』に続く名作。現代を代表する芸術家の一人だった」と評価した。>
 ああ『野火』ですね。私もいつもそれを感じていた。
このような実際に戦場を体験した世代の作品を私たちはもう手にすることができない。それがない中で、我らが防人たちを危地に派遣する危うさを、左巻きとは別に、私は感じている。私が出来ることは何なのかと考えている。水木さんの「遷化」は、まったく悲しくない。こう言っては失礼かも知れないが。いつもの朝のように彼岸で「あれ?」と目覚めているように思われて。

 隣国であり、先の戦争で泥沼に引き込まれたわが国としては「
こいつらにかかわるとヤバいよ」ともっと言った方がいい。
 <人民元のSDR入り、IMFが決定/円上回る比重で>
 http://www.nikkei.com/article/DGXLASFK30H8K_Q5A131C1000000/
 <国際通貨基金IMF)は30日の理事会で、特別引き出し権(
SDR)と呼ぶ準備通貨に中国・人民元を採用することを正式決定した。ドルや円などに次ぐ5通貨目で、現制度になって約35年間で構成通貨の追加は初めて。元はドルや円と並ぶ国際通貨として「お墨付き」を得たことになる。貿易・投資で元の利用に弾みがつくが、中国当局にはもう一段の取引自由化が求められる。>
 この日記で私が一貫して言っていることは
自由や人権に対する哲学が違う連中と、経済で一緒にツルんでいいの?」ということだ。EUの中だけでもギリシャという「哲学」の違う国を経済に巻き込んで苦労している。支那共産主義ですよ。独裁国家ですよ。経済屋というのは、自由や人権に対する配慮がまったくない。だから政治家の出番で、オバマ大統領が止めなければいけないのだ。日本が出ると嫉妬のようなのでね。しかしオバマさんにその能力はない。これ、そのうちに、ど破綻をするように私には思われる。

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