熊本震度7は「南海トラフ」大地震の前兆か? 危険と隣り合わせの時代へ
甚大な被害をもたらした熊本地震。専門家の間では「南海トラフ地震の引き金になるとは考えづらい」とする意見が大多数のようですが、それでも将来的に避けられないこともまた事実です。メルマガ『国家権力&メディア一刀両断』の著者・新 恭さんは政府の南海トラフ地震に関する見解をチェックするとともに、憲法に緊急事態条項など盛り込んでも人命は救えないと厳しく批判しています。
熊本地震の数日前、立命館大歴史都市防災研究所・環太平洋文明研究センター教授、高橋学から知り合いの複数の記者あてにメールが送られた。
高橋に異変を感じさせたのは西日本各地で相次ぐ地殻の揺れだった。福岡の警固断層や兵庫の山崎断層で、小さな地震が頻発。熊本でも2月12日以降、M1.7~2.7の地震が起きていたのだ。
高橋は、これらの地震を発生させている大きなエネルギーに着目し、こう考えた。
フィリピン海プレートからの力が強く加わっているからこそ、あちこちが揺れている。個々の活断層にとらわれて問題を矮小化してはならないのではないか。
地球は、卵に例えれば殻にあたるプレート(硬い岩)で、表面が覆われている。その下にマントルという1,000℃以上のやわらかい岩があり、流動している。さらにその内部に、溶けた金属の球(コア)を抱え込んでいる。
マントルが動くと、その上に乗っているプレートどうしが押し合い、表面に割れ目や傷が生じる。固まっていない割れ目を活断層といい、プレートの圧力に耐え切れなくなると、両側の岩盤が食い違うように動いて、激しく揺れる。
日本列島は、海側のフィリピン海プレート、太平洋プレート、大陸側のユーラシアプレート、北米プレート、これら4つのプレートが押し合い、圧縮され、隆起して形成された。このため日常的にどこかで揺れが観測されている。だが、この1、2年の西日本はふつうではなかった。
昨年5月29日以降、鹿児島の口永良部島、トカラ列島などで大噴火が起こり、桜島では1,000回を超える火山性地震があった。9月には熊本の阿蘇山から2,000メートルの噴煙が立ちのぼった。今年に入って、2月に桜島が噴火した。さらに4月には異変が本州に拡大し、三重県沖でM6.1の地震が発生。神戸、茨木付近を震源とする地震も相次いだ。
個々の地震や噴火は小規模でも、紀伊半島から九州までの西日本全体を俯瞰すれば、巨大なエネルギーのごく一部があちこちで噴き出しているようにも見える。
そのため、南海トラフ地震の周期は「100年に一度」と定説のように言われてきた。
今のところ、熊本地震を南海トラフ地震と関連づけて発言する専門家は数少ない。読売新聞の記事によると、日本地震学会長の加藤照之・東京大地震研究所教授(地球物理学)は「南海トラフ巨大地震を誘発する可能性は、現在の地震学では考えづらい」との見解を示した、という。
では、我々はどのような心構えでいればよいのだろうか。南海トラフ地震に関する政府の見解をチェックしておこう。
最悪の事態を想定するのは当然だ。想定が甘かったため、東日本大震災で福島第一原発の未曽有の大事故が起きた。しかし、最大の想定をしても、それが「いつ起きても不思議ではない」のか、「滅多にないこと」なのか、どちらを強調するかによって、国民の防災意識は大きく異なってくる。
2013年3月、中央防災会議・南海トラフ巨大地震対策検討ワーキンググループは第2次報告をまとめ、以下のように「想定の性格」を記している。
モデル検討会で想定された南海トラフ巨大地震は、最新の科学的知見に基づく最大クラスの地震である。明確な記録が残る時代の中ではその発生が確認されていない地震であることから、一般的に言われている「100年に一度」というような発生頻度や発生確率は算定できず、1,000年に一度あるいはそれよりもっと低い頻度で発生する地震である。
筆者はこの文章にトリックがあるような気がしてならない。たしかにM9の南海トラフ地震が起きたという記録はない。だが、1707年の宝永地震はM8.4ないし8.7だったとされている。しかも、宝永地震のマグニチュードが正確に分かるはずがない。マグニチュードの計算方法が考案されたのは1935年以降のことである。過去の南海トラフ地震のマグニチュードは遺跡の地震・津波の痕跡や古文書の記述から推定しているに過ぎないのだ。「100年前後に一度」の周期で起きてきた南海トラフ地震のなかには、M9クラスのものが含まれていたことも否定できない。
一方で、政府は南海トラフ地震の発生確率について「今後30年以内に70%の確率で起こる」とも言っている。どういうことだろうか。「1,000年に一度」と、「今後30年以内に70%の確率」の間には矛盾はないのだろうか。官僚の頭脳は整合性があるように思わせるうまい理屈をひねり出しているに違いない。しかし、実のところは、政治、行政の力が有識者会議に働いたがゆえの、二枚舌に近いのではないか。
近い将来、南海トラフ地震が襲ってくることは予想できる。しかし、政府の立場は「人心の安定」をはかることだ。
「1,000年に一度か、もっと低い頻度で発生する地震」であり、さほど心配することはない。しかしひとたび起きると、甚大な被害をこうむる。だから「正しく恐れてほしい」と絶妙な言葉づかいで国民に語りかける。
しかしそこには、220兆円という途方もない経済損失予測を示し、国土強靭化と称する巨額予算を組む政治的思惑も垣間見える。被害想定は大きくして、公共事業予算の拡大をはかり、巨大地震の発生する確率はできるだけ曖昧にしておこうということなのだろうか。
1995年の阪神淡路大震災、2011年の東日本大震災を想定できなかった地震学者たちの、将来の言い訳づくりのような感もある。国交省官僚と結託して、防災という大義名分のもとに、観測や研究のための巨額予算配分の恩恵に浴してきたのが地震予知にかかわる「地震村」の学者たちだ。科学的考察より国策になびく精神構造が、被害想定の報告書をわかりにくくしたとも考えられる。
30万人以上の人命が失われ、200兆円を超える経済的損失をこうむるような巨大地震は、「1,000年に一度」なので滅多に起こらないのか、それとも「1,000年に一度」の地震がすぐそこまで迫っているのか。
高橋の見方はあくまでシビアだ。熊本地震が起きた後、現代ビジネスに寄稿した記事で次のように書いている。
今回の熊本の地震は、ステージ3の南海トラフ地震の「前奏曲的」な意味合いが強いと考えられる。筆者は2020年東京オリンピックまでに、南海トラフ地震の発生が懸念される状況にあると考えている。筆者の推計では南海トラフ地震の津波被害者は、47~50万人である。熊本地震を単体のものとしてとらえず、日本全体の「危機の前兆」と認識し、対策を講ずる必要があるのだ。
長野県伊那地方から紀伊半島、四国、そして熊本にいたる日本最大の断層系「中央構造線」の西端付近で起こったのが熊本地震である。フィリピンプレートが沈み込む南海トラフとの関連を疑うのはむしろ当然なのかもしれない。
いったん南海トラフが動くと、東京から沖縄付近まで被害が及ぶ可能性があると高橋は言う。東京、大阪、名古屋、神戸といった大都市が巻き込まれることにより、人的、経済的被害は東日本大震災とは比較にならないほど大きいだろう。このうえ、浜岡、伊方、川内など原子力発電所が破壊されるようなら…想像するのも恐ろしい事態となる。
太古より日本列島は地震、津波、風水害などさまざまな災害に見舞われ、そのつど人々はダメージから立ち直ってきたし、教訓を得て、被災しないよう予防策を講じてきた。
戦後、少なくとも伊勢湾台風の後から阪神淡路大震災が起こるまでは、比較的に大災害の少ない平穏な期間であり、大多数の国民は自然災害をさほど意識しないで暮らしてきた。「日本人は水と安全はただだと思っている」とイザヤ・ベンダサン(山本七平)が評したこともあった。
事業仕訳の手法を編み出したことで知られる非営利中立のシンクタンク「構想日本」は、このところ、「防災こそ『自分事』!!」というフレーズを掲げ、住民が受け身の立場である「他人事」から、防災計画の作成に関わる「自分事」にしていく仕組みづくりを提唱している。
いくら法律が整備され、行政が避難計画をつくっても、いざというときに役に立たないケースが多い。国民一人一人がリスクに向き合い、前向きに防災を考えていくことが何より大切だ。
憲法に緊急事態条項を盛り込むことなどは愚の骨頂。政治権力の暴力化に寄与することはあっても、実際の災害で人命を救うことについては、何ら意味を持たないのである。
著者/新 恭(あらた きょう)
記者クラブを通した官とメディアの共同体がこの国の情報空間を歪めている。その実態を抉り出し、新聞記事の細部に宿る官製情報のウソを暴くとともに、官とメディアの
構造改革を提言したい。
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