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「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」
平成28年(2016)6月7日(火曜日)弐
通算第4926号
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~天安門事件から27年を閲し、学生運動はどこへ消えたか?
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六月四日、天安門事件から二十七年が経って香港では十三万人規模の集会が開催された。
ただし民主派団体がばらばらで結束せず、学生らは香港大学、中文大学でそれぞれが独自の集会を拓いた。
「反中国共産党」だけが合意点で全体の運動はダイナミズムを欠き、整合性はなかった。
香港の民主諸派の分裂は中国の工作員の潜入や脅し、嫌がらせなどが原因であり、しかし若者達はかえって反抗心を高めた。
欧米でも留学生等による集会があった。
さて日本でも四谷で数百人の在日中国人、留学生、これを支援する日本人が「六四天安門事件27周年記念集会」に集まり気勢を挙げた。
おりから来日中だったラビア・カディール女史も駆けつけ、ウィグルにおける人権弾圧の現状を報告した。このほかダライラマ猊下日本代表のルントック氏も演壇に立った。
なかでも注目されたのが天安門事件当時北京大学一年生、学生指導者として指名手配第一号となった王丹氏が記念講演に立ったことだろう。
ところが、である
筆者は王丹氏の講演を聞いて苛立ちを隠せず、おおきな違和感を抱いた。
彼は六月三日に現場を離れたので、実際に広場で何が起きたかは知らないと言った。また潜伏先に関しては公開しないのがルールだからおくにしても、なぜ米国に亡命できたのか背後の力関係や米国のコネクションに関しては語ることがなかった。
そればかりか中国共産党を「打倒する」との決意表明がなく、語彙はきわめて撰ばれたもので活動家の言辞としては迫力にかけた。本人は自らを歴史学者と言った。
かれは「理想」「勇気」「希望」という三つのキーワードを用い、中国の民主化を説くのだが、「国家は悪」「政府は必要悪」という立場で、中国の学生運動は「五四運動」の影響を受けたと語りだした。
五四運動は、今日の解釈では学生、労働者が立ち上がった反日の原点ということになっているが、実態はアメリカの宣教師が背後で日本のイメージ劣化を仕掛けたもので、当時、中国に学生は少数、企業は殆ど存在せず、したがって労働者はいない。
米国に仕組まれた五四運動が天安門事件の学生運動の思想的源泉というのは納得しがたい。
つまり米国の歴史解釈の立場を援用しているにすぎない。
▼天安門広場の学生運動の指導者らは詩を忘れたカナリアか
さらに王丹氏は「民主主義の基本は三権分立だけでは足りず、第四の権力としてのメディア、そしてメディアを監視する社会運動が必要である」となんだか、日本の左翼が訊いたら喜びそうなことを述べた。
そのうえで台湾の「ひまわり学生運動」と香港の「雨傘革命」が「日本の安保法制反対のシールズ運動に繋がった」と総括し、会場はやや騒然となった。
日本の実情を知らないからか、それとも本質的にこの人物は反日家なのか。いや、あるいはアメリカでの生活が長すぎたためにすっかり民主主義なるものをアメリカのリベラリズムの主張と取り違えたのか。
理想とはなにかと問えば「北斗七星に喩えられ、いつも空を見上げ目標を失わない指標であり、どういう形態であろうが、学生運動は支持する」とした。
アメリカで十年、ハーバード大学で歴史学の博士号を取得し、いま台湾の清華大学で教鞭を取る王丹氏にはアメリカ流の民主主義ドグマが染みつき、市民社会(中国語では「公民社会」)の実現が夢であるという。
「市民」とは、これまた胡散臭い語彙である。
その昔、サルトルが「アンガージュ」(参加)と言いつのって若者を左翼運動に誘う煽動をしたように、あるいはサルトル亜流の大江健三郎のヘイワの念仏のように中国の民主化という大目標はそこで論理が空回りするだけで会場には虚しい空気が漂っていた。
天安門事件当時の学生指導者たちは、ウルカイシガが台湾で孤立し、芝玲ともう一人はファンドマネジャーとしてウォール街で活躍し、少数をのぞいて「詩を忘れたカナリア」となった。
○○□▽み○△◎や□◇ざ○○き○◎○○
平成28年(2016)6月7日(火曜日)弐
通算第4926号
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天安門事件から27年を閲し、学生運動はどこへ消えたか?
香港も東京も反中国共産党の気勢はあがらず
***********************六月四日、天安門事件から二十七年が経って香港では十三万人規模の集会が開催された。
ただし民主派団体がばらばらで結束せず、学生らは香港大学、中文大学でそれぞれが独自の集会を拓いた。
「反中国共産党」だけが合意点で全体の運動はダイナミズムを欠き、整合性はなかった。
香港の民主諸派の分裂は中国の工作員の潜入や脅し、嫌がらせなどが原因であり、しかし若者達はかえって反抗心を高めた。
欧米でも留学生等による集会があった。
さて日本でも四谷で数百人の在日中国人、留学生、これを支援する日本人が「六四天安門事件27周年記念集会」に集まり気勢を挙げた。
おりから来日中だったラビア・カディール女史も駆けつけ、ウィグルにおける人権弾圧の現状を報告した。このほかダライラマ猊下日本代表のルントック氏も演壇に立った。
なかでも注目されたのが天安門事件当時北京大学一年生、学生指導者として指名手配第一号となった王丹氏が記念講演に立ったことだろう。
ところが、である
筆者は王丹氏の講演を聞いて苛立ちを隠せず、おおきな違和感を抱いた。
彼は六月三日に現場を離れたので、実際に広場で何が起きたかは知らないと言った。また潜伏先に関しては公開しないのがルールだからおくにしても、なぜ米国に亡命できたのか背後の力関係や米国のコネクションに関しては語ることがなかった。
そればかりか中国共産党を「打倒する」との決意表明がなく、語彙はきわめて撰ばれたもので活動家の言辞としては迫力にかけた。本人は自らを歴史学者と言った。
かれは「理想」「勇気」「希望」という三つのキーワードを用い、中国の民主化を説くのだが、「国家は悪」「政府は必要悪」という立場で、中国の学生運動は「五四運動」の影響を受けたと語りだした。
五四運動は、今日の解釈では学生、労働者が立ち上がった反日の原点ということになっているが、実態はアメリカの宣教師が背後で日本のイメージ劣化を仕掛けたもので、当時、中国に学生は少数、企業は殆ど存在せず、したがって労働者はいない。
米国に仕組まれた五四運動が天安門事件の学生運動の思想的源泉というのは納得しがたい。
つまり米国の歴史解釈の立場を援用しているにすぎない。
▼天安門広場の学生運動の指導者らは詩を忘れたカナリアか
さらに王丹氏は「民主主義の基本は三権分立だけでは足りず、第四の権力としてのメディア、そしてメディアを監視する社会運動が必要である」となんだか、日本の左翼が訊いたら喜びそうなことを述べた。
そのうえで台湾の「ひまわり学生運動」と香港の「雨傘革命」が「日本の安保法制反対のシールズ運動に繋がった」と総括し、会場はやや騒然となった。
日本の実情を知らないからか、それとも本質的にこの人物は反日家なのか。いや、あるいはアメリカでの生活が長すぎたためにすっかり民主主義なるものをアメリカのリベラリズムの主張と取り違えたのか。
理想とはなにかと問えば「北斗七星に喩えられ、いつも空を見上げ目標を失わない指標であり、どういう形態であろうが、学生運動は支持する」とした。
アメリカで十年、ハーバード大学で歴史学の博士号を取得し、いま台湾の清華大学で教鞭を取る王丹氏にはアメリカ流の民主主義ドグマが染みつき、市民社会(中国語では「公民社会」)の実現が夢であるという。
「市民」とは、これまた胡散臭い語彙である。
その昔、サルトルが「アンガージュ」(参加)と言いつのって若者を左翼運動に誘う煽動をしたように、あるいはサルトル亜流の大江健三郎のヘイワの念仏のように中国の民主化という大目標はそこで論理が空回りするだけで会場には虚しい空気が漂っていた。
天安門事件当時の学生指導者たちは、ウルカイシガが台湾で孤立し、芝玲ともう一人はファンドマネジャーとしてウォール街で活躍し、少数をのぞいて「詩を忘れたカナリア」となった。
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