パルデンの会

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80歳も通い詰めるファストフード。沖縄でA&Wのルートビアが愛される理由


沖縄以前にA&Wは神戸に来たはずである。
私は しばらく A&W のハンバーガーを薬の匂いのルートビアーとともに満喫、あの ルートビアーをお替りしていたような記憶があるが タダではなかったと思う。
マックが銀座に入る前の 時期でした。


80歳も通い詰めるファストフード。沖縄でA&Wルートビアが愛される理由

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沖縄にしかないファーストフードA&W
今回ご紹介するのは、沖縄県民に「エンダー」の呼び名で親しまれるファストフードチェーン『A&W(エイアンドダブリュー)』
A&W(エイアンドダブリュー)
ご存知の方もいらっしゃると思いますが、A&Wは沖縄オリジナルのファストフード店ではなく、本社がアメリカ合衆国ケンタッキー州ルイビルにあるコテコテのアメリカ企業です。
1922年に設立されたA&Wは、米国以外では、カナダ、オーストラリア、日本、バングラデシュ、マレーシア、パキスタン、イギリス、ドイツ、アラブ首長国連邦カタールタイ王国、フィリピン、インドネシアにも進出しています。
では、なぜその国際的なファストフードチェーンA&Wが沖縄においてジモトのココロでありうるのでしょうか。もしかしたら、疑問に感じられるかもしれません。というわけで、ここからは、「エンダー」ことA&Wが沖縄に根付き、世代を超えて老若男女に愛されるようになった経緯をひもといてみたいと思います。
A&W(エイアンドダブリュー)
まず、沖縄におけるA&Wの成り立ちの前に、アメリカにおけるその歴史を少々。
A&Wは1919年、アメリカ・カリフォルニア州のロイ・アレンという薬剤師が、病床の友人のために薬草や樹木の根などを原料にヘルシードリンクを作ったことにはじまります(ロイ・アレンはA&Wの創業者)。そしてそのヘルシードリンクの名が、ルートビア(沖縄に一度でも来たことがある方は、「ルートビア」という独特な風味の清涼飲料水を口にしないまでも耳にしたことはあるんじゃないでしょうか)。
A&W(エイアンドダブリュー)
すなわち、A&Wはそもそもがルートビアを売り出すためにつくられたお店なのです。その後、ルートビアを主力商品にハンバーガーやホットドッグを提供するレストランチェーンとして世界に広がっていきました。


そして戦後、アメリカ統治下の沖縄にA&Wがやってきます。1963年に北中城村屋宜原に沖縄1号店がオープン。ドライブインに車で乗り付け、車内で食べるアメリカ人に当時のウチナーンチュ(沖縄の言葉で「沖縄の人」)たちは、とても憧れたそうです。
A&W(エイアンドダブリュー)

現在、完全にアメリカ型のモータリゼーション社会になった沖縄では、ドライブインやドライブスルーは日常の光景となっていますが、50年前でしたらさぞかしオシャレに見えたことでしょう。オープン当時20歳前後の若者たちが現在80歳に手が届きかけています。それが理由かどうかわかりませんが、A&Wの店内にはお年寄りの方々もたくさんお見かけします。若い頃からのファンなのかも…。

A&W(エイアンドダブリュー)
ちなみに、日本国内初のファストフード店は、このA&W屋宜原店だとか。アメリカナイズされていく沖縄と平行してA&Wもウチナーンチュに浸透していったのはまちがいないですよね。その客層の広さは、50年以上県民に愛されてきた証といって過言ではないと思います。
A&W(エイアンドダブリュー)

ところで、ルートビアで始まったA&W。店内のドリンク中、ルートビアだけは何杯でもおかわり自由なんです。僕もけっこうルートビアが好きで必ず1度はおかわりします。ただその風味ですが、好きな人は極端に好きですし、嫌いな人は大嫌い、というように好き嫌いははっきりわかれます。それが理由なのか、沖縄以外に日本本土に進出したことのあるA&Wですが、すべて失敗し撤退しています。

A&W(エイアンドダブリュー)
日本人にはあまり受け入れられなかったルートビア。それを主力商品とするA&Wがなぜか沖縄人には受け入れられたという事実。
僕自身の見解ですがルートビアの風味が特に沖縄人に受け入れられたわけではないと思うのです。あるいは、ハンバーガーやホットドッグというアメリカンフードが特に沖縄人だけに受け入れられたわけでもないと思います。

外からの文化をおおらかに(無節操に?)受け入れる沖縄のふところの深さ、もしくはやわらかさ(いい加減さ?)がA&Wを排除しなかったのではないかと。今ではアメリカ的な文化も内包し、沖縄の文化のひとつのごとく、ですが、外の文化を取り入れ吸収していくのは、琉球王国時代からつづく小さな島国のしたたかさかもしれません(生き残っていく、食べていく術だったのかも)。

A&W(エイアンドダブリュー)
戦後、アメリカンフードが浸透し、モータリゼーションが進むのに比例するように沖縄県民に親しまれてきたA&W。アメリカンフードと自家用車の功罪は、いろいろあると思います(沖縄を全国有数の肥満県にする一助を担った面も否定できないでしょう)。
しかし、リッチなアメリカ文化が沖縄県民の生活水準を引き上げる原動力もしくはモチベーションのひとつであったこともまた否定できない事実ではないでしょうか。

というわけで、みなさんも沖縄ご訪問の際には一度足を運んでみてください。僕のおすすめ店舗は、今回ふれた屋宜原店です。レトロな店内や50年代っぽいドライブインも楽しんでくださいね。ちなみに、屋宜原店の駐車場から巨大なイオンモールイカム店が垣間見えるのも、どこかシニカルで笑えますよ。ぜひ、一度、『A&W』を体験してください。


1969年、沖縄生まれ。写真家。香川大学法学部卒。2007年夏、44日間で四国八十八カ所1,200kmを踏破。現在、沖縄県在住で、主に『母の奄美』という作品撮りのため奄美大島を撮影中。家族は、妻と三人の子。