3年前、50歳をすぎて女性装を始めた東大教授の安冨歩氏。エリートが抱える心の闇やハラスメントの心理構造に詳しい安冨教授に、日本の中高年男性、そして彼らが築き上げてきた日本の組織が抱える過ちを指摘してもらう本連載、1回目は日本トップのエリート輩出校・東京大学のかかっている深刻な“病”について解説をしてもらう。

自分を抑え込み走ったエリート街道
今だからこそわかる「東大の病」

 私は京都大学を卒業後、住友銀行勤務を経て学問の道を志しました。いわゆる「エリート街道」をひた走る日々。34歳の時には、「日経・経済図書文化賞」という、経済学者なら誰もが欲しがる賞も受賞し、私生活では妻と2人の子どもがいました。傍からは順風満帆に見えたかもしれませんが、実は内心、自殺衝動と闘う日々を送っていました。
 当時の妻からはモラルハラスメントを受けていましたが、それでも良き夫・父として役割を果たすことを自分に課し、研究面でも歴史に残るような圧倒的な業績を積み上げようと必死でした。魂の空虚さを抱える日々を送るなかで、私は自分の内面を探求し、自分がさまざまな感情や思いを抑圧して生きていることに気づきました。
 そこからの離脱を決意して離婚し、それに猛反対した親との縁を切りました。その過程でやがて、自身の性自認に疑問を抱き、自分を癒すために女性装するようになったのです。
 エリートの価値観に一度はどっぷりと浸かり、そこから命からがら抜け出そうとしている私には、その歪みがはっきりと見える気がします。
 東大エリートは、霞ヶ関はもちろん、日本を代表するあらゆる大企業を支配しています。今回は、昨年、東大で起きた総合図書館閉館騒動から、典型的な「東大の病」とでも言うべき現象をお伝えしようと思います。東芝森友学園問題、加計学園問題などがなぜ起きるのか。その背景には、この「東大の病」があるからです。

大学なのに図書館が1年間閉館!?
トンデモ決定は誰が行ったのか

 事の発端は昨年秋、私も委員を務めていた「図書行政商議会」の会議でした。東大総合図書館は関東大震災からの復興の過程で、ロックフェラー財団からの寄付により1928年に建てられました。老朽化が著しく、改修工事の必要性に迫られており、当初は数年をかけて段階的に工事をする予定でした。ところが国の補正予算がまとまって付いたため、なんと2017年春から1年間、図書館をほぼ全面閉館して工事をすることになったのです。
 東大の総合図書館が1年間も閉館するなんて大事件ですが、私が驚いたのは、この重大な決定を正式に下した形跡が「ない」ことでした。
 図書行政商議会は、図書館運営の意思決定を正式に行う機関のはずですが、そこに出た議題は「1年間の全面閉館のあいだ、代替措置をどうするか」というものでした。その会議の前に、私が欠席した委員会があったのですが、その議事録を見ても、「代替措置」のみが話し合われているのです。つまり、誰が「事実上の閉館」という重大な決定を下したのかが見えてこない。
 恐ろしいことに、いつの間にか「1年間の全面閉館」が既定事実となっていたのです。おそらくは、補正予算は年度内消化が大原則であって、工事を担当する部局が「予算も付いたことだし、1年間閉館して一気にやってしまいましょう」と提案したことが、いつの間にか「決定事項」となったのでしょうが、こんな重大決定を「きちんとプロセスを経て決めない」こと、そして「明らかにおかしな話なのに、誰も異議を唱えないこと」に私は愕然としました。
 この会議に出席しているのは各部局の図書関係の代表者である教授ですが、誰も「それはないだろう」と声を上げなかったのです。文学部の某教授は、学生にしこたま勉強をさせることで知られる厳しい先生なのですが、この教授ですら「うーん、1年間も閉館だと学生が困るだろうなぁ…」と、独り言のようにつぶやくのみ。
 私は日頃、「東大エリートに知識を与えたら、他人を支配する道具にするだけだから、勉強なんかさせるな!」と公言しているのですが、予算がつかないから閉館するならまだしも、「予算がついたから閉館」なんて理不尽過ぎると思いました。そこで、こんなこと認められないと発言したのですが、大半の先生方は沈黙でした。そうしたら図書館長は、代替策をいまここで話し合わないなら、時間切れになるかもしれぬがそれでも構わないのか、と脅すのです。多勢に無勢でそのまま押し切られてしまいました。

「何となく」「空気で」…
恐ろしい意思決定プロセス

「でも、1年間閉館しないとできないほど大変な工事なら仕方ないじゃないか」と思われる読者もいるかもしれません。しかし、後に学生たちがこの理不尽な決定に決然と立ち向かった結果、大学側はアッサリと閉館期間を「1年」から、「2週間」に変更する修正案を出したのです。
 どうしたらこんなに短縮できるのか。元々はヤル気がなかったのが、急にヤル気を出した、としか思えません。私は心底あきれました。しかし、よく考えてみれば、日本のエリート組織で、このような不可思議な決定が下されることは、決して珍しくありません。
 東芝は、錚々たる学歴の役員たちがいて、著名な社外取締役たちも招聘していながら、原子力事業に身の丈を超えた投資をすることを止められませんでした。また、森友学園問題や加計学園問題では、エリート集団である霞ヶ関の役人たちが、安倍首相や昭恵夫人への「忖度」をしたのではないかという疑いが出ています。
 大変な決定なのにもかかわらず、「何となく」「空気で」もしくは「忖度しながら」進められた結果、後々に大事件に発展する、というようなことが今、日本社会の至るところで起きています。東大図書館騒動に関して言うなら、異議を唱えるのが面倒だったり、詳細を確認して本当に「1年間の閉館」がやむを得ないのかどうかを検討する労を惜しんだ結果なのだと思います。

東大エリートが得意な
「話題の巧妙な言葉のすり替え」

 図書行政商議会の場で1人で対抗しても事態をひっくり返せないと悟った私は、とりあえず、一番の被害者である学生たちに、この事態を伝えるべきだと考えて、ある学生にメールしました。それから、知り合いの東京新聞の記者にも公開可能な情報を伝えました。
 このことで、私は図書館館長から「リークをした」と責められることになりました。確かに、私が大学側からの正式発表を待たなかったのは事実ですが、図書行政商議会で決まったことは、最終決定なのですから、一刻も早く関係者に知らせるべきことなのです。しかも閉館まで4ヵ月くらいしか時間がありませんでした。
 そこから、学生たちはがんばりました。「閉館に反対する学生の会」が結成され、署名サイト「change.org」で1年間閉館への反対署名を集めるとともに、文部科学省で工事計画見直しを訴える記者会見も行いました。東京新聞のスクープを受けて行われたこの会見は、主要マスコミが取り上げました。
 この大騒ぎによって総長が、代替措置の徹底に責任をもって取り組む、と科所長会議で発言されたと聞いています。科所長会議とは、各学部・研究科と研究所の所長が集まる重要な会議です。なぜかこの発言は、公開された議事要録には出ていないのですが。その成果が、前述したように「1年間閉館を2週間に短縮」だったのです。
 総長は学生たちが行動を起こすまで、「1年間の閉館」を知らなかったのでしょうか?私は「聞いていたけれど、認識できていなかった」のではないか、と推測しています。というのも、東大エリートたちは「話題の巧妙なすり替え」が得意だからです。上述の、私が欠席した委員会では重大な決定が下されていたのですが、私は直後にその資料を慎重に読んだにもかかわらず、その時には「大した議題は出なかったようだ」と判断していたのですから。

“うやむや”に進めたがるエリートには
「明るみに出す」作戦が有効

 この一件では、最初の資料には「事実上の閉館」と書いてあったのに、騒ぎが起きるとこれを「利用制限」と表現するようになりました。綺麗に言葉の角を取り、あいまいでうやむやな表現にしてショックを和らげ、本質を覆い隠す。国会答弁でもよく見られる霞ヶ関官僚の得意技ですが、彼らはこれを東大で教わるのです。
 世間では時々、「エリート組織の暴走」事件が勃発しますが、ワンマンな人物が全権限を掌握し、反対者をなぎ倒して物事を進める、という分かりやすい構図ではないケースが多いのではないかと思います
http://diamond.jp/mwimgs/4/a/250/img_4a2d4ca8fb0c12e4cebfe9f20e827185518741.jpg安冨教授の最新刊「老子の教え」。5年の歳月をかけて誕生した、誰にでも分かりやすく読める老子の新訳本だ
「一体誰が?」と皆が首をかしげ、マスコミは血眼になって犯人探しをします。「こいつが悪の根源だ!」、「いや、こっちの方が戦犯だ!」といった具合に。しかし、この図書館閉館騒動のように「実は誰も積極的に主導権を握っていなかった」というケースもあるのではないでしょうか。実際に戦犯らしき人がいるケースでも、彼が強権を発動したというよりは、周囲の人たちに敢えて動きを止める根性がなかっただけ、に過ぎないと思うのです。
 特定の「誰か」が暴走するのではなく、組織全体がいつの間にか暴走してしまう。だれも責任を取らず、異議も唱えない一方、巧みな言葉の“すり替え”でごまかしながら、コトをするっと進めてしまう。そうこうするうちに既成事実となって歯車が回り始め、誰にも止められなくなる。これこそが「東大の病」の正体です。そして私は、大日本帝国がその滅亡に至る戦争に突入していった過程も同じではなかったか、と考えています。
 この病への唯一の処方箋は、「うやむやにされたことをきちんと明るみに出し、是非を問う声を上げる」ことです。誰かが歯車に身投げして、止めないといけないのです。今回、がんばってくれた学生たちは、声を上げることで「東大の病」を正すことに成功しました。彼らにとって、非常に大きな体験だったのではないかと思います。少なくとも私にとっては東大のみならず、日本の将来に希望を抱くことのできた貴重な機会でした。