パルデンの会

チベット独立と支那共産党に物言う人々の声です 転載はご自由に  HPは http://palden.org

<節分。お嬢さん、今日も下品な業者にのせられて「アレ」をくわえますかあ>。


<節分。お嬢さん、今日も下品な業者にのせられて「アレ」をくわえますかあ>


有料ブログ 勝谷誠彦の××な日々 より転載
 3時半起床。
 相変わらず東京は冷えている。今週一杯は日本列島そのもので、この状態が続くようだ。インフルエンザに気をつけて下さい。いちばんいいのは私のように外に出ないで立てこもっていることだが、真っ当な人生を歩んでいる方々はそうはいかないものね。
 インフルを招くのはもちろん寒さや乾燥もだが、そもそもは感染症なのだから、パンデミックを防ぐにはそこの部分にもっと、公衆衛生的に着目すればどうなのかと私は思っているのだが。「働き方改革とか言って勤務時間をずらすことを政府は煽っているようだが、であれば「満員ラッシュ通勤」を劇的に改善すれば、ずいぶんとインフルの患者も減って、医療費も削減できるのでは。
 ウィークデーにこれを書くと、まさに読んでから出勤される方に申し訳なくてやめていたが、明らかに何かに罹患しているおっさんの顔が数センチの前にあって、咳なってされた日には目も当てられない。そこに地雷があるとわかっているのに「突っ込め」と言われているようなものである。
 会社にも「学級閉鎖」があっていいと思う。国富全体のことを考えれば。その場合の何か補填が国費であってもいいが、それが民業への官の関与だというならば、保険会社は何か商品を考えればどうだろう。ひょっとしてもうあるならごめんなさい。疾病の流行によって会社業務に齟齬をきたした時に、それを補填する保険。ありじゃないかな。だって個人の病気や怪我にたいするそれが存在しているんだから。

 節分である。どうもこの言葉が「拙文」に聞こえて、何だか叱られている気がする。だからか、なんとなく嫌な日なのだ。もちろん節季のひとつである節分に罪はないし、子どものころうちの親は豆まきをさせてくれて、楽しかった。子ども部屋と、外はガレージと、診察室にまいた。自分たちと、外の邪気を払うのと、患者の快復を祈っていたのだと思う。まいた豆を拾って食べるのが楽しみだった。
 ガレージのコンクリートの上のそれも、医師である父は「そんなの平気だ」と笑っていたが、診察室の床のものは「やめておきなさい」と止めた。もちろん清潔にしているのだろうが、子ども心におかしかったものである。懐かしいなあ。みなさんの家は豆まき、やりますか。子どもというのは、そんなささいな記憶を、この歳になっても覚えているものである。いまもそうなのか、豆とセットで紙でできた鬼のお面を父がつけて、それにぶつけたものだ。楽しいが切ない思い出。
 そんな節分がなぜ昨今どうも不愉快なのかといえば、長年の読者には耳タコだろうが、豆まきという、神事にも通じる伝統的な行事に、卑しい商売人が下品なものを持ち込んできたからだ。「恵方巻である。昨日に寄ったコンビニにもう並んでいて、まことに嫌な気分になった。
 お嬢さんをお持ちの読者におかれては、コンビニの下賤商人が煽っているように「今年の方角に向けてこれをくわえて立つのです」ということは絶対にやめなさい。くわえて立つのではなく、くわえて立たせるのだ。あっ、また朝からごめん。もう察しのいい方はお分かりだろうが、そもそもは花柳界の下半身芸なのだ。
 そもそも、歴史が浅い上に、何の根拠もなく、下品であった恵方巻を家庭に持ち込んだのはコンビニだ。理由は簡単で、買い物にいった主婦が予算内で買えて、それで一食、今夜の料理をサボれるからである。なんとか潰してやろうと考えてずっといろいろ調べているのだが、だんだんと面白くなってきて。発祥がよくわからない。ほぼすべてのヒトが知らずに今日もくわえるのだろうが。
 大阪の花柳界で大阪商人らしいアホなおっさんが(ごめんね)はじめたというのは、阪神ファンとしてはなんとなく腑に落ちすぎるのだが、京都説、江戸説もある。花柳界は日本中にあったのでどこであっても不思議はない。まあ、気分で「これ、くわえてんか」と言いそうなのが浪速だというのが私の偏見である。
 下品なものは必ず下品の方向に進化、いや本当は退化、するのである。予想通りで笑ってしまった。タイガースが調子がいいと、すぐに「純金の虎」とかを作ってデパートに飾る(史実は確認していない。これも雰囲気。でもありそう)あのセンスである。それにしても笑った。
 <買っているのは富裕層だけじゃない?/恵方巻の高額化が止まらない理由>
 http://www.itmedia.co.jp/business/articles/1802/02/news131.html
 <1本1万5000円。金箔のりに巻かれるのは本マグロの中トロやズワイガニなどの高級食材18種。そして上に置かれたキャビア
 これは、大丸東京店で販売される豪華食材恵方巻「〈中島水産〉2018年18種の十八番(おはこ)巻」だ。限定10本で2月3日のみ販売する。2017年に同店で販売した最高額の商品が1万800円(税込、以下同)だったので、約4000円も更新したことになる。そのほかにも、1本5000円のアワビふかひれ恵方巻限定10本)、1本5616円の米沢牛恵方巻(限定10本)といった高額商品がずらりと並ぶ。>
 金箔である。大阪ではなかった。さすが名古屋だぎゃあ。さまざまな業界がさまざまな仕掛けでいろいろな食べ物などの「ブーム」を起こそうとする。恵方巻は珍しく成功したわけである。「うちだけでやっていれば」と地団駄踏んでいる寿司屋などは多いことだろう。少なくとも「この日はここのを」とブランド化することはできたろうに、失敗したからいまの記事のように下品な高額化でメディアに載ろうとするのだ。
 1本5000円とかの巻寿司を買って帰って、どのツラで家族のテーブルで食べるの。くわえてナンボだから切り分けるわけにもいかないし。でも買う方々がいるのだ。私はかねてからこれを「プチ金持ち幻想」と呼んでいる。5000円の恵方巻なら買えるのである。だが家族でひとり5000円のまあまあな街場の寿司屋には行けない。商売人たちはその隙間を上手に見ている。
 ちなみに。自動車というのもそうだと私はずっと思ってきた。「家には手が届かないから自動車」で自己実現をはかる。だからやっと買った自動車をまるで自宅であるかのように飾りたてる。日本人の中間層のこの微妙で切ない感覚がこれまで経済を支えてきた。「なんてこと、一冊にしない?」というと編集者は「それはあまりにホントのことなのでやめておきましょう」と必ず言う。「刺されますよ」とも。だいたい、そこのところの微妙な「成り上がりのコツ」の本で、出版社は儲けてきたんだからね。おっと、ホントに刺されるかもしれない(笑)。

 国際社会でも国内でもいろいろ起きている。北海道で11人が亡くなる住宅火災など、少し前なら大事件だった。だが昨日、そうした情報を集めようと午前中からテレビをつけた私の前に登場するのは貴乃花親方ばかり。
 

<「改革派」自認も、口を開かず/貴乃花親方、惨敗の裏側> https://digital.asahi.com/articles/ASL22544KL22UTQP020.html

 <日本相撲協会の理事候補選で貴乃花親方(元横綱の挑戦は惨敗に終わった。自らの1票に上積みは1票のみ。「改革派」を自認し、現執行部と対立する姿勢は、親方衆には受け入れられなかった。
 最大の敗因は、横綱日馬富士の傷害事件に絡む対応への評価だった。巡業部長としての報告が遅れたほか、「警察の捜査を優先する」として被害者の貴ノ岩の協会聴取を度々拒んだことで、評議員会からは理事を解任されている。
 ある親方が言う。「なぜあんな行動を取るのか。いろんな人に説明を求められて困った」。協会関係者からすれば、説明を拒み、問題を長期化させる姿に見えたのだろう。それは拒否感にもつながっていった。
 頼みにしていた一門外の「貴乃花票」も今回は動かなかった。貴乃花一門と近い存在だった若手の親方に部屋の元師匠らから「もし、貴乃花に投票したら、支援を打ち切る」と通達があったと聞く。世間には現役時代から続く「貴乃花人気」があるが、内部のアレルギーは根強かった。>
 天敵の(笑)朝日新聞を引いたのは、まだしも中立的だからだ。それでも見出しに<惨敗>と入れている。すべてのチャンネルをチェックしていてわかったのは、予想通り「大マスコミは相撲協会とニギっていて、貴乃花をなんとか貶めたいとしている」ということだった。これは予想できたことで、そう、永田町とまったく同じなのである。永田町の方がまだ緊張感があって、記者はひいきの政治家を乗り換える。
 相撲は番付と親方株ての「ごっつぁん」の世界だ。テレビを見ながら、以前も紹介したが師匠・堤堯さんの「あれは中卒の馬鹿が裸でフンドシして男芸者の裸踊りをしているだけだ。まともにとってはいかん」といつも私に教えてくれていたのを改めて痛感した。
 私は現役時代の貴乃花関が好きだった。ちょっと少女マンガが入っている。ビジュアル的に、興福寺の阿修羅像に似ているでしょう。そんなビジュアルよりも進退の潔さ。お父さんのことも子どもだった私は大好きだったので。けれどもいまの貴乃花親方の態度を堤さんが「こんなマジメな奴は、引退してから苦労するなあ」と呟いていたことを覚えている。だから、今回のことでも、なんとなく気持ちは貴乃花ひいきだった。
 けれども。経緯を知るうちに「これは勝てない」とすぐに確信した。典型的な、自分だけが正しいと突っ走ってしまうオーナー社長や編集長のパターンだ。ブレーンがまず必要である。そのブレーンでもっとも大切なのはメディアに詳しくて、その中にディープスロートを持っていることだ。そこから得た情報を、今度はカンターパンチに持っていく。
 同じひとでもいいし「外面」がよくてあまり知られていない人物をメディア対応の広報にもするべきだった。待ち受けている各局のマイクに背を向けて、部屋に入っていく映像は多くのファンを失った。親方の数では負けている以上、貴乃花親方が持てるパワーは「世論」なのである。「世論」を経てメディアを味方につければ、あの脳味噌腐れデブ集団協会をひっくりかえすことすら、可能なのに、と私は頭の中で戦略を練りながら考えていた。
 私のところに来ればよかったのに。アンシャンレジームをひっくり返すのは、どうも私の本能的なものらしい。常に負けている。文藝春秋兵庫県。歴史上の革命家なら、とうに処刑されている。いい国だ。もっとも、政治的、論壇的、資金的には毎回抹殺されているが、まだこうして生きているなあ。