パルデンの会

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勝谷氏戻ってきたようだ!!! 力士界の 魑魅魍魎

勝谷誠彦の××な日々。
の有料ブログより 転載  2018年9月27日号。


 
 

<検証号すら出してもらえずに廃刊になり、花田紀凱師匠と私という二人を世間に「排出」(輩出ではないよ・)した『マルコポーロ』>。

 
 
1時起床。築地市場の移転がしきりに話題になるおかげで、この時刻に私がキーボードに向かう理由について、看護師などに理解がが広がるようになってきた。「小売店が新鮮な魚を朝から店に並べるためには、みんなこのくらいの時刻から仕入れに行くでしょ。私の商品は情報で、しかもそれに包丁を入れて配達するので、こうなります」。
自宅にいるのなら時間が自由になるのでそれこそ4時起き(なんだか懐かしい)でいいが、朝食も含めてさまざまなイベントが入る病室ではこうなると説明している。
 
あれだけ昨日、貴乃花親方についてのテレビ各局のライヴを楽しんで書き散らした以上、今朝はこれでいちおう受けるしかないわけで。「本誌予想どおり」やっとつかまえた相撲に詳しい論客を各局、奪い合っていましたね。カリスマはもちろん、やくみつるさん。デーモン閣下も忘れてはいけない。だが、私がもっとも面白かったのは、藤田紀子さんだ。

藤田紀子貴乃花親方引退に納得いかない宮根に「言えることと言えないことある」>

<根は「残らないのがお弟子さんのため?」「分からない」と首を傾げるばかり。藤田は「(会見で)どうしてかと事情を話したと思う」と言ったが、宮根は「集中させてあげたい、環境整えてということは仰ってたが、具体的には伝わってこなかった」と食らいついた。
藤田は「それ以上具体的に言ってしまうと、もめる原因になりませんか?」と、言えない事情があると説明。更に「本人の言葉でしっかり会見し、質問も受け答えた。それをもうちょっとそのままとってほしい。言えることと言えないことがあると思いません?去るだけに言えない」と付け加えた。
宮根は「お弟子さんは納得しているのか?」「(貴乃花親方の意見が分かるのは)女将さんをしていた藤田さんだから。我々は分からない」と納得いかず。藤田は「一般の方に全部話して理解してもらうのは難しい。それをしてしまうと…」「全部話してしまうと、言って欲しくなかった人に迷惑が掛かる可能性もあるわけですよ」とこちらも一歩も引かず。平行線をたどっていた。>
典型的な「スタジオにいて現場を知らずに上から目線で分析をしている司会者」と、「息子の会見を、あるいは紙にしてすみからすみまで読み込んでいる、頭のいい母親」のやりとりである。久しぶりに、ナマでワイドショウらしい緊張感を感じた。
 
もうひとつ、なんとかネタがほしい各局がくいついたのが千賀ノ浦部屋。ほとんどの局のスタッフは名前すら知らなかったのではないか。千賀ノ浦親方は、元小結隆三杉。これも、若いスタッフは生まれるずっと前だもんなあ。彼は私よりもひとつ年下だけなので、私は同時代的に知っている。好きなお相撲さんであった。歌がうまく、洒脱。あのころの関取というのは、総合エンタテイナーで、だから巡業などというものも、もっと華やかだったのだ。
いまの番組スタッフが、隆三杉を知らないのは、仕方がない。だけど、年齢からみて、常識というものを働かせることはできるだろうが。ある局が出した、彼の写真というものを見て(今の,ね)私は「あっ」と思わず声が出た。とんでもないおじいちゃんである。先代であった。先代を間違えて出してしまったのだ。一瞬、私もビョーキなので、こう見えるのかと愕然としたくらい。
その千賀ノ浦親方は「義」のひとでもある。今回の貴乃花親方の弟子たちの移籍についてはまさに寝耳に水であったようだ。だが、結局は行司なども含めて「みんな来いよ」。これまでの行動も、因習の相撲界にあって「義」をつらぬいている。

貴乃花部屋の力士ら転籍の千賀ノ浦部屋、師匠は元小結・隆三杉>

<95年九州場所を最後に引退した後は、二子山部屋付きの親方として後進を指導。2004年2月に貴乃花親方が部屋を継承してからも部屋付き親方として在籍した。10年の相撲協会理事選の出馬を巡り、貴乃花親方が所属していた二所ノ関一門から離脱した際にも運命を共にしていた。
16年4月には出羽海一門千賀ノ浦部屋を、先代(元関脇・舛田山)の定年に伴い継承。貴乃花部屋付きだった親方が出羽海一門の部屋の師匠になるという異例の出来事だったが、その後は貴乃花一門へ。同一門が消滅した今年からは、阿武松(おうのまつ)理事(元関脇・益荒雄)を中心とした「阿武松グループ」にいた。>
今のところそういう考えはないと言っているが、貴乃花親方が新たな組織を考えた時に、千賀ノ浦チームは強力な武器となる。いわばそれまでこちらの兵器たる弟子たちを預けて育ててもらっているわけで、そのころ、彼らのひとりが綱でも張っていれば大きい。
昨日、ライブをもとに反射神経的にあれを書き、どうもJリーグ的なものを、貴乃花親方は考えているのではないかと示唆したが、一晩寝て、なんだかその考えが熟成してきた。少年野球も実業団サッカーも「前近代」であった。それがひとつのきっかけで(野球は新聞社が主催する高校野球というゆがんだ存在があるので、まだまだだが)画期的に活性化し、世界とつながった。
いまの大相撲は世界とつながっているが、それはモンゴルでだ。白鵬がまたまた偉大な記録を塗り替えたことを、若乃花親方は相撲人として尊敬しつつも、あの風景には何か触発されたのではないか。結局は、頭の悪い親方たちがよってたかって、モンゴル人の天才にぶら下がっている構図が見えたのではないか。今回の突然の発表の裏には、そんなこともあるのではないかと、事実よりも心理を感知したい作家は考えるのだ。
そうなると、貴乃花親方は、今の協会と「戦う」ことは眼中にない。新たな組織を育て、ごく自然に上書きをし,「そういえば、大相撲とかいうものがあったっけ」と、後の世の「世界のスモー」に熱狂するひとたちを、懐かしがらせるのである。Jリーグについて書いたが、あっという間に日本ローカルが世界とつながり、むしろ世界の中心のひとつとなっているのに,格闘技がある。文明開化、鹿鳴館を言うまでもなく、いったん始まると,日本人はこういのが好きだ。カンボジアのサッカーの指導を、この国のカリスマがやるとかね。あっ、あれも最近のニュースだけに、敏感すぎる貴乃花親方に、何らかの影響を与えたかもしれない。
 
話が大きくなってしまったが、今夜の呑み屋で一発芸でつかえそうなネタをひとつ「本日記独自」としてご提供しよう。隆三杉は、決して強い力士ではなかった。確か70場所くらいも幕の内にいたのに、三賞をとったことがないという珍しい記録を持つ。最高位も小結に少しいただけ。これを頭にいれておいて以下の話。
貴乃花親方に対抗する記者会見をしたのは、相撲協会芝田山広報部長だった。元横綱大乃国だ。彼はいま、メディアの世界で「いいひと」で売れている。関取といえば酒だが、なんとスイーツに詳しい。スイーツにくわしいデ…もとい、ふとった方は、女子には「かわいい」のだそうだ。今後、私は酒の取材はしないので、スイーツとランチに走って「いいひと路線」を…無理でしょ。この芝田山親方貴乃花親方と、犬猿の仲なのは、相撲界とそのタニマチたちの間で有名だと聞いたことがある。あの会見も、言うべきことはいいながら、芝田山親方が原稿を書いたのかい、と思うほど、ネチネチと厭味だった。
強くはないけれども、義にあつい、お相撲さんらしいお相撲さん、隆三杉は現役時代にたったひとつだけ金星をあげた。その相手が大乃国。どう、ちょっといい話でしょ。もし、将来本気で、貴乃花親方と千賀ノ浦親方が義の旗のもとに立ち上がったとき、ようやくどこかのメディアが気づいて伝説のひとつとするかもしれない。カンのいいところだと、今日明日…おっと、この日記を読んでいるひとも多いから,出てくるかな。
 
わかりますよ。『新潮45』休刊(雑誌はこういうのが伝統だが、まあ、廃刊)について、私の話を聞きたいひとたちがいるのは。文芸春秋で『マルコポーロ』が同様に部数的、金銭的なことではなく廃刊になった時に、現場でぶいぶい言わせていた男なのだから。
だから私はいま、アクセスしにくい病院の個室にいて、いい女に,車椅子を押させて、軽井沢ならぬ、某所の大物を気取っているいる。「廃刊の大物」だけれどもね。ごめんなさい、看護師諸嬢。
だが,話をしてあげるとしても『新潮45』と『マルコポーロ』とでは、廃刊という一点が重なってみえるだけで、事情はまったく違う。『新潮45』はドメスティックで時事的な反発を受けた。『マルコポーロ』は外圧であた。それも、国際エセ同和のユダヤ人団体が潰し、いや、脅しに来た。『新潮45』はまがりなりにも検証する次号を出したが『マルコポーロ』にはそれは許されなかった。調子に乗った国際エセ同和は、文春がジャーナリズムのために身体を張らなかったために、そのあと次々とこの国の大手出版社への恫喝と収奪に成功している。
これからのことだが、新潮社では何人が社を去るのかも気になる。文春では田中健五社長が、引責で辞任した。編集長であった花田紀凱師匠は解任されて、映画かマンガのように窓際に追いやられた。コトの本質が、外圧を利用した花田一派の排斥であったことは確かで「忠臣」たる私は、あらゆることを観察し、電磁的なものも含めて記録した。それは某所に今も保管されている。それをやってのけて、廃刊から1年目の日に「辞職願」を出した。文春はやさしい会社なので「引退届」でなきゃダメとも言わずに受けとってくれた。その前後の顛末を書いたのが拙著『失業論文』である。もう20年前。あれからどれほどの本を出してきたか。もう書くべきものは、書きつ…。などとこの状況でつぶやくと叱ってくれるひとがいるのでやめておく。
廃刊をめぐっては、部数低下などを理由にする報道が多いが、私は「広告」だと思う。世界的なブランドなどが入り広できる媒体は『45』しかないのだ。それをつぶすというのは,実は会社の存亡にかかわる。だからひょっとして新潮社の作戦は本当に「休刊」であって、似たタイプでオピニオン臭のない雑誌をすぐに考えるかもしれない。文春の場合も、いちばん痛かったのは本誌こと『文藝春秋』の国際ブランドのスポンサーに、エセ同和が圧力をかけてきたことであった。
ふう。実は今朝はすべて書き上げたところで、小指がキーに触れてなぜか40行ほどを残して消えてしまった。新しいマシンはスーパーカーだが、軽自動車しか運転した能力しかなく、しかもけがをしている。だから、本人の責任で、こういう事故が起きる。なんとか間に合ってよかった。
 
昨日のヨロンさんは「書きすぎ」なので猛省を促すとともに、何か改めて書いて、稀釈してよと言っていたのだが、くそお。字数がもうないではないの。ヨロンさんのひとことがないと、みんなさびしがるので、私が「やめてえ」と言った部分についてはまた後日として、とりあえず、何か足してね。
 
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おはようございます。高橋ヨロンです。また大型台風が近づいているということで、特に西日本は天気が悪いですね。気温が下がってきた上に天気が悪いと、気持ちが上向かない方も多いのではないでしょうか。
 
「なにか足してね」と書かれてもなあ。とりあえず昨日、『新潮45』を『新調45』と書いてしまいました。お詫びして訂正いたします。それと、選挙の話についても「書きすぎだ」と言われましたが、自分では抑えたつもりが、なかなか難しいものです。夜、事務所に頼んでもいない寿司が届けられたときは、「刺客が来たか」と思いました。幸い、うちの事務所はオートロックのため、運んできた方には丁重にお帰りいただきましたが。
 
昨日、病院に行って先生のお話を勝谷さん本人同席のもと聞いてきました。一緒に肝臓の数値やCTの画像などを見ながら説明を受けました。
詳しい話は本人に書いてもらうとして、ザクッと説明すると治療は順調に進んでいます。私は他人事として聞いているわけですが、患者の容体を診ながら薬の種類や量を微妙に調節していくという、命に関わるプロの仕事を目の当たりにできるという貴重な体験をさせていただきました。
面白かったのは、勝谷さんが細かく先生に質問を入れていることでした。なんだか会見に臨んでいる記者のような感じでした。しかも、驚くほど素直で。別人のよう、と書くと怒られちゃうかな。
 
10月1日からこの『勝谷誠彦の××な日々。』を正式に再開させます。すでに再開しているようなものですが(笑)。そのために、明後日29日に10月分の購読料を決済させていただきます。ご了承ください。この一ヶ月、「見舞い代わりに購読料を取ってくれ」というお話もたくさんいただきました。そのお気持ちが本当にありがたかったです。
一ヶ月前は、治るのかどうかもわからず、帰ってこられないのではないか、と思っていました。入院当日に先生から話を聞いたときは、明子さんとT-1君と私は、まるでお通夜のような雰囲気になっていました。それが一ヶ月で笑い話にできるようになりました。
 
外の天気は曇りですが、気持ちは秋晴れです。
 
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