パルデンの会

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産経新聞が伝える 正確な シナ青海省のチベット人社会の今

産経新聞の支局長のレポート。 迫りくる チベット人の迫害は
まだまだ、この報道では十分には伝わってこない。

【藤本欣也の中国探訪】ダライ・ラマなきチベット あふれていたのは“あの人”だった


「民族大団結万歳」と記されたスローガンの前で警備に当たる警察車両=青海省玉樹市(藤本欣也撮影)
「民族大団結万歳」と記されたスローガンの前で警備に当たる警察車両=青海省玉樹市(藤本欣也撮影)その他の写真を見る(1/6枚)
チベット仏教の最高指導者、ダライ・ラマ14世(83)が中国を脱出してインドに亡命してから60年が過ぎた。中国側は、この間のチベット自治区の発展ぶりを強調し、「もはやチベット族ダライ・ラマを熱愛している者などいない」と豪語する。実情を探るべく、“世界の屋根”と呼ばれるチベット高原を訪ねた。
青海省玉樹チベット族自治州玉樹市。人口約10万人の93%をチベット族が占める。平均海抜は4493メートル。もちろん、富士山より高い。空気が薄く、歩くだけで息が苦しくなる。
玉樹市は2010年4月14日、マグニチュード(M)7・1の地震に見舞われ、死者・行方不明者2968人の大きな被害を出した。山崩れや建物の被害などは整備され、一見、被災地の惨状は過去のものになった観がある。
山の斜面には、「民族大団結万歳」と記された巨大な中国語とチベット語の文字が躍っていた。
訪れたのは3月下旬。残雪を踏みしめてとにかく前へ進む。風が冷たい。頭痛がしてきた。
(危ない…このままでは高山病になってしまう。少し休ませてもらおう)
ちょうど、道路沿いの家屋に入ろうとするチベット仏教の僧侶を見つけた。窮状を説明し、家に入れてもらった。驚いた。
習近平国家主席が玄関で笑っていたからだ
 
正面の壁に掲げられていたのは、宗教指導者ダライ・ラマではなく、中国共産党総書記である習氏の写真だった。
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ダライ・ラマ14世は1935年、チベット・タクツェル村(現・青海省西寧近郊の紅崖村)の小さな農家に生まれた。この村は、日本の6倍もの面積があるチベット高原のちょうど東端に位置する。
その後、当時のチベット政府に観音菩薩の生まれ変わりと認定され、4歳のときにチベット高原南部にある首都ラサ(現・チベット自治区ラサ)に移った。
中国が50年代に武力によるチベット統治を進めると、59年3月10日、ラサで数万人のチベット人たちが蜂起(チベット動乱)、中国軍に鎮圧された。23歳のダライ・ラマは3月17日、ラサを脱出し約2週間かけてインドにたどり着き、亡命政府を樹立した。
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玉樹市は、広大なチベット高原の中央付近に位置する。現在、外国人の立ち入りが厳しく制限されているチベット自治区に近い。
玉樹市でまず目指したのはチベット仏教寺院だ。
7世紀、この地を支配していた王国、吐蕃(とばん)に、唐王朝の王女が嫁いでいる。政略結婚だったが、当時はまさに、地の果てに嫁ぐ思いだったろう。唐と吐蕃の間につかの間の平和をもたらした、その王女、文成公主を祭ったチベット仏教寺院を訪ねた。
 
祭壇の周りには、幾人もの高僧の写真や肖像画が飾られていた。が、ダライ・ラマ14世のものはどこにも見当たらない。
案内をしてくれた僧に「ダライ・ラマの写真はないのですか」と聞いてみた。僧はニコリともせず、首を横に振った。
他のチベット仏教寺院でも同様だった。
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ダライ・ラマの写真を探していたのには訳がある。
チベット族の庶民でダライ・ラマを熱愛している者はいない」
3月上旬に北京で開かれた全国人民代表大会全人代=国会)のチベット自治区分科会。会終了後の質疑応答で、海外メディアの記者が「なぜ、チベット族の人々はダライ・ラマを熱愛すると思うか」と質問すると、自治区選出の代表(議員)であるチベット族の男性がこう否定したのだ。
自治区トップで漢族の呉英傑・党委員会書記は声を上げて満足げに笑った。
チベット人民たちは共産党がもたらした幸せな生活に感謝している」
中国で暮らすチベット族は約700万人。習政権は、チベット族が多数居住するチベット自治区青海省などで交通インフラや観光業の整備を進めている。2006年には西寧とラサを結ぶ青蔵鉄道が全線開通。チベット自治区の昨年の経済成長率は9・1%と全国1位を記録した今年はダライ・ラマが亡命してから60年であると同時に、中国当局チベット動乱の鎮圧をへて、“ダライ・ラマなきチベット”の完全な統治を宣言してから60年の節目でもある。
習政権は国営メディアを通じ、「この60年でチベット自治区の人口は3倍に増え、平均寿命も35・5歳から68・2歳に延びた」などと宣伝、民生の向上をアピールするのに余念がない。
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玉樹市内のレストランで、頭痛が和らぐまで休息を取った。
チベット族の女性店員(20)が中国語を上手に話すので、「学校で習ったの?」と聞くと、「働きながら覚えました。小学校しか出ていませんから」。はにかむように答えた。
彼女のように、街中で話をしたチベット族の若者には中学校に行っていない人が少なくなかった。中国の義務教育は日本同様、中学校までだ。教育施設の不備、過度の家庭内労働、貧困などが背景にある。
観光会社に勤めるチベット族の男性(44)も「子供を養っていくのはまだまだ大変」という。ただ、「最近は、中国の経済発展のおかげで暮らしが良くなってきた」とも話す。
中国当局は、チベット族など少数民族の居住地域で「中国語を学んで貧困から抜けだそう」と指導している。玉樹の住民によると、中国語を教えているチベット仏教寺院もあるという。
女性店員に「ご両親は中国語を話せるの?」と聞くと、彼女の瞳にみるみる涙があふれてきた。地震で両親ともに亡くしたのだという。震災から9年、その影響はまだまだ残っている。
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玉樹市内の長い一本道をとぼとぼ歩く私を見かねたのか、1台の自動車が追い越してから急停車した。運転していたのはチベット族の男性で、途中まで乗せていってくれるという。
車内で一息ついた後、ダライ・ラマについて質問してみようと、顔を上げた。「あっ」。思わず声が出てしまった。探し求めていた写真があったからだ。
運転席のバックミラーに、ダライ・ラマの写真入りのペンダントがぶら下がっていた。
チベット仏教寺院や僧侶に対しては、中国当局の監視の目が厳しい。チベットの独立をたくらむ「分裂主義者」として、当局が激しく非難するダライ・ラマを祭ることなどできない。
しかし、40代のこの男性は「庶民の家の中は大丈夫」という。実際、立ち寄った男性宅の祭壇にもダライ・ラマの写真があった。
 
 
青海省省都・西寧にあるチベット仏教寺院の名刹(めいさつ)、塔爾寺。参拝に訪れた30代のチベット族男性にも話を聞いた。
ダライ・ラマは私たちの精神的支柱であり救世主。みんな尊敬していますよ」。全人代代表のコメントを真っ向から否定した。
しかし、玉樹や西寧市内に掲げられているのは「習近平」の文字が記されたスローガンばかりである。
習近平同志を核心とする党中央に断固従え」
「“習近平による新時代の中国の特色ある社会主義思想”の揺るぎない信仰者であれ」
まるで、ダライ・ラマなきチベットに君臨する指導者が誰なのか、を教え示しているかのようであった。(中国総局長)

SNSでチベット住民監視 ダライ・ラマ支持者摘発か

インド・北東部アルナチャルプラデシュ州タワンを訪れたダライ・ラマ14世=2017年4月8日(岩田智雄撮影) インド・北東部アルナチャルプラデシュ州タワンを訪れたダライ・ラマ14世=2017年4月8日(岩田智雄撮影)

 中国チベット自治区で今年に入り、当局が会員制交流サイト(SNS)を使って住民同士の相互監視体制を築いていることが分かった。チベット仏教最高指導者ダライ・ラマ14世の支持者らを取り締まる狙いとみられる。7日付の共産党機関紙、人民日報系の環球時報(英語版)などが伝えた。
 自治区ゴンジョ県では、地元政府が村ごとに中国で普及している通信アプリ「微信」のグループをつくるよう義務付けた。グループを管理する住民に対して、SNS上のやりとりなどを定期的に報告するよう命じ、これまでに2千件余りの情報が寄せられたという。
 中国政府はダライ・ラマを「分裂主義者」として敵視しており、事実上の密告体制でダライ・ラマを慕うチベット族の摘発を加速させる可能性がある。(共同)