パルデンの会

チベット独立と支那共産党に物言う人々の声です 転載はご自由に  HPは http://palden.org

長崎の 寺町にある 興福寺を たまたま訪れてみました

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yahooの検索で見つけた 「長崎、チベット、」で見つかった情報で 長崎寺町を歩いてみました。
情報は 曼荼羅の展示会が 興福寺であったこと。
本堂からは ピアノが流れてきます。 どうも夜本堂でコンサートがあるようですね。

チベット民族伝統 タンカコレクション展
コレクター:Wendell johnson(ウェンデル ジョンソン)
W・ジョンソンによるチベット民族伝統タンカコレクションは、彼が初めてチベットを訪れたとき平成7年(1995年)に始まった。その後、彼は1996年 と2000年、2002年、2004年、そして今年の7回ものチベット訪問をし、そのほとんどをラサ(Lahasa)、ガァンツ(Gahntze)、シ ガッゼ(Xigatze)や東チベットの都市に過ごした。
 W・ジョンソンは出身地カリフォルニア州サンディエゴの大学で美術を専攻したが、その時代からチベット文化や美術に魅了されていたそうで、昭和45年 (1970年)8月に米海軍基地内のE.キング・スクールに小・中・高校生を対象とするコンピューターサイエンスの教師として赴任して以来、佐世保に30 数年も住みつき、佐世保を郷里とし、愛するチベットのタンカを収集してきた。 また、彼の心に刻まれたチベットポタラの風景や街並みなど、彼が撮った多数の写真も展示される。 ◎ 一部のコレクションは即売される予定
興福寺の由来は、中国・明の商人が長崎に渡来しはじめた頃の元和六年(1620)、中国僧真円が航海安全を祈願してこの地に小庵を造ったことに始まります。江戸時代初期の長崎は、幕府の朱印船、唐船貿易の奨励により、ヨーロッパ諸国、イスラム、アジアなどの冒険商人や物資が集まる国際都市となりましたが、なかでも中国からの来航者は圧倒的に多く、市民の6人に1人は中国人というほどで、出身地別に寺を建立したのが興福寺をはじめとする崇福寺、福済寺などの長崎唐寺(とうでら)の始まりです。
また、この時代は、キリスト教禁令が厳しくなり、長崎在住の中国人にもキリシタンの疑いがかかったため、仏教徒であることを誇示するためにも、つぎつぎと唐寺が建てられたともいわれます。