パルデンの会

チベット独立と支那共産党に物言う人々の声です  尚 転載はご自由に

人権を守るために豪政府、ヴィザ政策を変更

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より転載
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宮崎正弘の国際情勢解題」 
令和2年(2020)7月10日(金曜日)弐
       通巻第6578号 
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~香港の自由な言論、人権を守るために豪政府、ヴィザ政策を変更
  留学生、技術研修生のうち10000人に永住権を付与する
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 豪政府はさらに厳しい政策変更の決意を表明した。
 7月9日、スコット・モリソン首相は「豪に留学中の学生ならびに技術研修などで豪に滞在している香港籍の中国人に、希望があれば永住権を付与する」。

 現在のヴィザの条件は留学生が五年有効、技術者ヴィザは二年有効とされている。
 2016年の調査で豪に住む香港籍の留学生などは8・7万人、現在の推定滞在者は10万人、このうちの一万人に永住権資格を与えるというのだ。

 「政治亡命、人権抑圧、人道上の保護が必要な香港籍の人々を、我々はヒューマニズムの価値観からも擁護しなければならない」とモリソン首相は付け加えた。

 お隣のニュージーランドもウィンストン・ピーター外務大臣が記者会見し、「香港の貿易関連で、戦略物資につながる(中国軍へ横流しの懸念が高い)品目の輸出制限に踏み切る」とした。(7月9日)。
 オークランド大学構内を歩くと中国人だらけ、街のど真ん中にはファーウェイの巨大広告塔、NZはこれまで英連邦の中でも比較的親中路線で知られたが、立ち位置の変更に迫られていた。

 中国はオーストラリアからの食肉輸入を禁止する措置を講じている
 またカナダとNZは、自国の鉱山、金属資源の鉱区や金属企業への中国のM&Aに関して、審査を厳密にすることも同時に発表している。

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集中連載 「早朝特急」(41) 
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第二部 「暴走老人 アジアへ」 第二節 南アジア七カ国(その7)

 第七章 バングラデシュは貧しさがゆえに

 ▼バングラデシュは人口大国

 バングラデシュはアパレル産業の工場である。
ユニクロもH&MもZARAも、どこもかしこも世界のアパレルメーカーは、この国のミシン女工に製品加工を依存している。
 コロナ災禍で、ぴたりと注文がとまった。ひとたまりもなかった。四百万人いた女工さんの過半がレイオフとなり、彼女たちの給金で生活が成り立っていた貧困地区の人々が悲鳴を挙げた。
 H&Mなどは注文した分に関しての支払いは保障するとしたが、秋の新製品のファッションデザインは決まらず、年内の工の再開は望み薄となった。

 バングラデシュに本格攻勢をかける中国はBRI(一帯一路)を拡充するとして、「BCIM」(バングラー中国─インドーミャンマー経済回廊)構想を打ち上げた。
 2019年7月5日に北京を訪問したハシナ(バングラデシュ首相)を厚遇し、九つの合意文書に署名した。とくにインフラ建設協力では電力発電所道路建設、農業支援などのプログラムを含み、総額310億ドルになるそうな。
 嘗て習近平は宿敵インドを訪問し、200億ドルの投資を約束した。モディ首相の出身地であるグジャラード州にも足を運んで、中印友好を演出したものだった。その後、約束は果たされず、実行されている案件は殆どない。そして国境で軍事衝突。

 こうした約束不履行への蓄積された不満が、インドでは中国製品排斥運動となって爆発した。
 中国はアフリカ諸国に300億ドルを約束したが、実行されたのは88億ドルだった。大風呂敷を拡げるのが得意な中国は大言壮語だけなして後日頬被りする癖があるが、バングラデシュに対する構想は、インドのバングラ支援を超える巨額である。リップサービスでインドを牽制しようとする計算があまりに露骨である。
 バングラ産油国ではないが、人口大国。したがって人件費が安いので、夥しい中国のアパレル企業が進出していた。そのうえ南のチッタゴン港近代化工事を中国が応札した。またミャンマーから移動してきたロヒンギャの避難民援助に中国は2500トンのコメ支援を約束した。
 貧困なバングラデシュに隣国ミャンマーラカイン州から流れ込んロヒンギャ難民は70万人! この救済と保護のために世界に支援を呼びかけている。

 ▼ 三方はインドに囲まれて。。。

 バングラデシュは周りをぐるりとインドに囲まれ、南は海である。
その国境地帯、とりわけ西ベンガルとアッサムの無法地帯には多くのテロリスト、過激派、分離独立主義者の秘密拠点がある。彼らはときに爆弾闘争に打って出る。
 地図をひもとけば判然とするが、西ベンガルバングラデシュの西北から北部一帯、じつに広い国境線がひろがり、アッサムはバングラデシュの東側、ミャンマー国境との間に広がる宏大なインドの辺疆地域だ。
 当然だろうが、バングラデシュ政府の統治は及んでいない。

 武装集団の跳梁に対してインドとバングラデシュの間に情報交換が円滑化しておらず、国家安全保障での共同作業がうまくいかない。あまつさえバングラデシュの山岳地帯とアッサム国境付近にもアッサム独立を唱える過激派のマオイストが盤踞している。
 バングラデシュ第二の都市はチッタゴン。この港湾整備の一角を中国企業が請け負っている。将来、中国海軍が軍港として利用する野心があると言われるが、チッタゴン郊外に大規模な工業団地を造成しているのが韓国である。
 近郊のアンワラ地区は多くの河川が流れる湿地帯で、工業団地の成と言っても土地の埋め立てに時間がかかる。森林には1700万本の木々があり、17の湖沼があり、この土地を整備し舗装道路をつくるのだが、土地使用許可さえまだ承認されず、プロジェクト自体が暗礁に乗り上げる可能性がある。
 当該土地はそれほどの密林、ジャングル、マングローブが密集、湖沼、そして氾濫する河川。こうした地域にテロリストが潜んで爆弾基地をつくっても当局はなかなか発見できない。

 成田からバングラデシュに直行便があるが、二回目の取材旅行では日程の都合で関空JALホテルに前泊し、ダッカへの道のりはクアラルンプール経由となった。
 やけに時間がかかる。しかもダッカで着陸をやり直した。北京のPM2・5騒ぎ同様に南アジアのヒマラヤの麓は砂嵐と霧で視界が滅法悪い。
上空から見ると駐機中の飛行機が泥水に沈んでいるかのように錯覚した。砂が霧状に立ちこめているからである。
 二回目にようやく着陸し首都ダッカの町へ入った。その聞きしにまさる交通渋滞は十年前とあまり変わりがない。筆者は十年前にもバングラデシュ各地を歩いた経験がある。
 人力車のタクシーが50万台というが未登録の闇リキシャがほかに50万台。合計百万台が市内の幹線道路を占領している。
 外国人を刺すような目で見る。
産業が少ないため男達に雇用機会が希少だからだ。ただし中古、オンボロ自動車は激減し新車が目立った。バングラの経済が上向きな証拠で、この現象は南アジアからミャンマーにかけて共通だ。走っているクルマは圧倒的に日本車だが、一部の金持ちはBMWやアウディを疾駆させている。
貧困国とはいえ財閥はどの国にもいるものだ。
 数年前に縫製工場のビルが崩壊し一千名の犠牲者がでる惨事があった。この事件で露呈したことはミシン女工が四百万人もいて、この半分が中国系企業に働いていることだった。町の看板はJUKIなど日本のミシンの宣伝である。ダッカ市内には五万人のチャイナタウン建設が喧伝されたが、まだ影も形もなかった。
 「五万人もの中国人がくる? 反対運動がおきるんじゃないですか」と地元の人々が言った。

 ▼闇ドル屋が姿を消していた

 ビルは六階建てくらいが上限、竹で足場を造り煉瓦を積み重ねる原始的な工法が多い。だから重量に耐えかね崩落事故が起きる。湿地帯だから地震の心配はないが、逆に陥没事故、落盤、洪水、台風が年中行事である。
 したがってミシン工場のほか目立つ産業は煉瓦、マッチ、セメント工場ていど。日干し煉瓦の生産現場は家内制手工業で、手で泥をこねて型にはめ、煉瓦をひとつひとつ作っている。労賃は一箇一円五十銭程度。一日はたらいて六百円である。煉瓦工場は無数にあり、煙突は規定で50メートルというが田舎へ行くと、どうみても30メートル、なかには瓦も生産しており、イタリアへ輸出しているという。
 十年前と比較して、もう一つの驚きがあった。両替商、闇ドル屋が町から消えていることだった。これは大きな変化ではないか。
 またバングラの東大といわれるダッカ大学はマオイストが猖獗していたが、構内からも毛沢東のポスターが消えていた。
 隣国インドでもモディ新首相の登場に前後して勃興したナショナリズムは町から闇ドルを駆逐した。自国通貨への自信回復は経済政策の根幹である。
 バングラデシュもまた外国通貨より自国通貨の流通に苦心しつつ邁進している(ネパール、ブータンスリランカではまだ米ドルが大手を振って通じる)。

 ちなみにダッカ市内の銀行で外国為替の両替順を書き写してみた。トップは米ドル、次は意外にも英ポンドだ。やはり旧英国植民地の名残り、その次がユーロなのは当然にしても日本円との交換レートは記載されていない。ならば四位以下はというとシンガポールドル、サウジ、マレーシア、UAE(アラブ首長国連邦)である。この順序こそはバングラデシュ人の出稼ぎ先ランキングでもある。それほど外国への出稼ぎ、彼らが懸命に働いた送金で国家収入の相当部分が成立しているわけだ。

 ▼出稼ぎの送金が途絶えると悲鳴を挙げる構造

 バングラは農業でも人が溢れているから出稼ぎに外国へ行く。そして外貨準備は出稼ぎ労働者の送金で成り立つ国ゆえに空港は産油国とマレーシア、シンガポールへ出稼ぎにいく人々でごった返している。
 出稼ぎひとりが外国から帰ると平均で十人が空港に出迎える。フィッリピンも一時期そういう風景が日常だったが、ダッカ空港では深夜でも出迎えの人々で周囲は鈴なりの人だかりだ。迎えの車が到着するにも一時間近い時間を無駄にした。
 コロナ災禍で出稼ぎからの送金が止まり、困窮家庭が顕著になった。出稼ぎに頼る経済構造は、もちろん抜本的な改正が必要だろう。

 ホテルは四つ星でも風呂のお湯はほとんど出ないし、日本との電話は繋がらない。FAXの送信は一枚300円もかかる。通信が貧弱で若者は時代遅れの携帯電話を持っている。町で日本語はまったく通じない。英語が少し通じるほどでコミュニケーションにも大きな支障がある。インフラ整備にもう少し時間を要するだろう。 

 首都のダッカばかりか、バングラは狭い国土に人間がひしめき合い、半分の国土は湿地帯ゆえに定住地は限られている。人口稠密度は世界一、そのうえ若者が多い。人口はじつに一億六千万人である。
 国民の識字率は低く、農業国家として農作物の輸出で糊口をしのぎ、あとは手先の器用な女性が大量にアパレル、服飾、繊維産業に流れている。しかし外国人の不動産取得が可能なため投資を果敢に展開する日本企業がはやくもダッカに存在している事実も驚きだった
 軽工業と農業が主体ゆえ地方へ行っても戦前の日本のように農村に夥しい若者がいる。農閑期になると昼間からぶらぶらしているのがやたら目に入る。めがねをかけた人はいない。都市部にも眼鏡屋を見かけない。
 外国人が珍しい所為もあって町を歩いているとワッとあつまってくる。物乞いは少なく、人なつっこい目をしている。ベンガル特有の黒褐色の肌だが、女性のなかには長身でモデルのような美人が多くなった。
 ダッカから南西へ二百キロ、クルナ市周辺は魚介類の養殖も盛んで主にエビが輸出の稼ぎ頭だ。湖沼、泥濘の湿地では小魚やバラエティに富む小魚にナマズ。昔ながらのカワウソ猟も観光用に残っている。このクルナからさらに南へ80キロ、世界遺産「シュンドルボン国立公園」の宏大な敷地が広がり、河川が縦横にながれマングローブの湿地帯が延々と続き、ワニ、猿、鹿、五百種類もの花々。ここだけは西欧人観光客が目立った。

 ▼マングローブ、湿地帯、カワウソ漁業。。。。。

 農村では懐かしき田植え風景が見られ、時代遅れの耕耘機やらリヤカー、牛車、馬車。ちなみに牛の糞を集めて棒にこすりつけた燃料が普及しており、一本三円。備中炭の焼き鳥なんぞ夢のまた夢である。飲酒は御法度でどこにも売っていないが唯一国産のビール「ハンター」をガイドに頼んでなんとか手に入れて貰った。一本500円もする。タバコは安い(10本入り一箱が24円程度)。
 コンビニはゼロ、日本でも半世紀前まで残っていた雑貨屋風の店がいたるところにあるが陳列商品が貧弱で、この風景はインド、スリランカ、ネパールなどと共通である。
 市場は主に屋台村とバザール。朝から活気に溢れ、野菜、果物、お米など物資、商品は豊富で安いのだが、日本人向けの食材は殆どない。米もインディカ米と赤米、ジャポニカはない。例外的にスーパーらしき店が高級住宅地にあったので、ためしに入るがスナック菓子まで中国からの輸入品。周辺には韓国バーベキューの店が多かった。
 こうなるとバングラデシュの今後の経済発展のカギは労賃の安さが最大の武器だろう。
 とくに軽工業、繊維、雑貨などにとっては魅力である。なぜならシンガポール、マレーシア、タイの賃金はもはや中国並みであり、最低賃金比較でみると、インドネシア、フィリピンも急上昇した。僅かにベトナムラオスカンボジアが川下産業の進出先として残るのが東南アジア労働市場の実情であるとすれば、南アジア、とりわけミャンマーバングラデシュインドが今後の有望地帯だ。

 バングラデシュ経済の浮沈は極端に言えば日本の6000億円の援助に大きく依存している。安部首相のダッカ訪問(14年九月)では巨額の援助をぶち挙げて世界の度肝を抜いた。
 安倍首相のバングラ訪問にはIHI、清水建設三菱重工などの企業二十社以上が随行し、インフラ整備などに向こう五年間で6000億円を供与するとした。日本経済界のバングラへの期待はベンガル湾からインド洋を臨む地政学的要衝という利点のうえ、ミャンマーと国境を接し、アセアンとインド経済圏を結ぶ架け橋でもあるからだ。
 バングラデシュ国民から見れば日本はまぶしい存在なうえ、各地の幹線道路や橋梁は日本が建ててくれた。日本の国旗がちゃんと工事現場の石碑に嵌め込まれていて感謝の意を表している。
 韓国の進出は日本より目立つが評判は悪い。中国は率直に言って嫌われている。理由を聞くと、独立戦争と爾後の安全保障、外交問題に繋がる。
 1972年まで「東パキスタン」を名乗ったバングラデシュは、「パキスタンからの独立」を掲げての戦争だった。だからパキスタンは大嫌い。その背後にいる中国はもっと嫌い。インドは保護国だから好き、インドと仲良しの日本は独立後最大の援助をしてくれたので大好きという構造になる。町中では日本国旗に似た、「緑地に赤」のバングラの国旗が溢れていた。
 貧富の差が激しくイスラムの戒律が厳しいが、人々の表情はなぜかは明るい。未来に希望をもっているところが日本の若者達とたいそう異なると思った。

 なお初回のバングラ紀行は下記ホームページに掲載されております
http://miyazaki.xii.jp/travels/index.html