パルデンの会

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キーシュ島(イラン)を中国が25年のリース契約説、飛び交う?

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宮崎正弘の国際情勢解題」 
令和2年(2020)7月13日(月曜日)弐
       通巻第6585号 
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キーシュ島(イラン)を中国が25年のリース契約説、飛び交う?
アーマドネジャット元大統領らが反対。「外国軍の駐留は許せない
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 突然、浮上してきたミステリアスな観測情報がある。
 中国が、イランの南の海上(陸地から15キロ)に浮かぶキーシュ島を租借し、軍事基地化する。その条件として、中国は400億ドルの投資をイラン政府と約束し、25年間のリースとする内容だという。

 現実の話かと思われるのは、強硬派で知られるアーマドネジャット元大統領らが反対の声をあげ「史上最悪の合意」「外国の軍隊が駐留するなどと、イランの威信にかけても許容できない」と騒ぎ出したからだ。密約が存在するというのである。ましてや、中国の過去の「実績」(ハンバントタ、ジブチグアダール)をみれば、あり得ない話でもなさそうだが???

 この島はアレキサンダー大王の昔から、ペルシア湾の航路の要衝として知られ、マルコポーロの『東方見聞録』でも「キシ島」として登場する。交易で栄え、アラブとインド商人らが貿易の中継地として活用していた。
 現況はどうか、といえば、ここは「ペルシアのハワイ」「ホルムズ海峡のドバイ」である。見違えるような豪華ホテルは、ドバイを連想し、豪華別荘はハワイを思わせ、海上バンガローの群れはタヒチのようである。つまり完全なリゾート地である。

 たしかにハワイも、海南島も豪華絢爛たるいリゾートだが、巨大な軍事基地があり、享楽と軍事が共存しているところが多い。だからリゾートの軍港化は考えられないシナリオではないものの、宗教的狂信者の国家が、無神論全体主義国家の海洋戦略のために、主権を放棄するような行為を取るだろうか?
 それが、唐突にでたキーシュ島を租借説への初歩的な疑問である。
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宮崎正弘の国際情勢解題」 
令和2年(2020)7月13日(月曜日)
       通巻第6584号  <前日発行>
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そんなに急いで香港をでることはない、移住先の条件をよく吟味しよう
BNO(英国籍海外居住者)、すでに35万人が申請し、取得。毫も条件を大幅に緩和
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 香港の国家安全法施行と、安全維持公署が事務所開き、香港の自由、人権は風前の灯となった。昨年の香港大乱以来、多くが香港を出国した。
 統計を警察の務犯罪証明書の発行枚数でみると2018年がおよそ二万枚、2019年は33252名。ことしも七月半ばまでに2782名、六月は1711名だったから、確かに増えている。書類の準備は着々と進んでいることになる。

 国家安全法直前から移民相談所の電話は鳴りっぱなし、訪れて相談に乗る客の合間に電話に対応できないから、秘書のいない事務所は電話も繋がらない状況という。

 英国はBNOを300万枚発給の準備があるとし、すでに35万人が申請した。このBNO(「英国籍海外居住者」)という特別のパスポートで、従来は英国に半年滞在が認められたが、新規の条件は五年間の滞在が認められる。特殊技能をみにつけた者には五年後に審査があり、永住権が付与される。毫も学生ヴィザを五年有効に切り替えた。

 カナダはすでに香港人で飽和状態、穴場はニュージーランドだが、中国への態度に煮え切らないところがあり、香港人は敬遠する。むしろ台湾に政治保護を求めるほうが手取り早い。

 香港をいずれ出る意図を持つほとんどの香港人は、これまでとは打って変わって「急ぐことはない。相手国の条件をよくよく見極めてから決めよう」という腹づもり、資料を取り寄せ、具体的な計画や、マンションの処分、引っ越し準備などコスト計算に余念がない。
そして香港には親中派いがい誰もいなくなる?
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集中連載 「早朝特急3」(第44回) 
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第三部 暴走老人、地球の裏側へ(その3)

 第三章 南アフリカ

 ▼黒人政権以後、経済は微増したが、貧富の差はそのまま。鉱山ビジネスが突出繁栄

 まったく地球の裏側、しかも南半球の突端が喜望峰だ。
 面積は日本の三倍以上、人口は5700万強。鉱物資源、とくに金鉱が外貨を稼ぐ。
 香港まで四時間半。そこでキャセイ航空の直行便に乗り換え、ヨハネスブルグまで十三時間弱。まさか治安の悪い南アへの旅客など少ないに決まっていると考えていたら、どっこい中国人で満員だった。
 筆者は1985年にもヨハネスバーグへ飛んだことがあり、二回目の南ア行きだが、およそ三十年ぶりの再訪では、様変わりの風景をみることになった。三十年前の南アの華僑と言えば台湾人だった。
 いまや、中国人ツアーばっかり。観光客は北京、上海、杭州はもとより西安や青島、厦門などあらゆる地方から香港へでて乗り換えるのだ。だから機内は五月蝿くて眠られないほど。
 まさに日本に押し寄せる蝗の大群、中産階級が大挙して世界の隅々に出かけた。だからコロナ災禍も世界中に拡がったのは当然といえば当然の結末だろう。

 南アは地政学から見ても、遠い中国の脅威などあるはずもなく、ひたすら中国からの投資を待っている。したがって反中国感情は稀薄である。旅行業界のみ、そのマナーの悪さを嘆いているくらいだ。
 唯一例外はエリートビジネスマンの読む『ビジネス・ディリー』紙で、その社説に「南アは一人あたりのGDPが一万ドルを超えて民主化された。中国はまもなく一万ドルを超えようかというのに民主化にはほど遠い」と痛烈に皮肉っていた。
 さて南アにイメージと言えば、日本における印象は決して良いとは言えない。
 嘗て米国はANC(アフリカ民族会議)をテロリスト組織と位置づけていた。マンデラは孤島に閉じこめられて幽閉されていた理由も武装暴力集団と米国が定義づけたANCの指導者だったからだ。
 その想い出は遠くなった。南アではANCが昔日、ネルソン・マンデラに象徴されるアパルトヘイト撤廃運動の中心翼だったことを若い人は知らないし、殆ど関心がない。
 獄中からでてきたマンデラアパルトヘイト撤廃後、初の黒人大統領となって就任式を当時の国会だったユニオンビルで行った。
 ここへ行くと、ユニオンビル前の公園に巨大なマンデラ像が屹立している。しかし金日成金正日親子のように崇拝し、拝む姿もなければ遠足で来る小学生も仰ぎ見る姿勢はなかった。野外教育で小学生にマンデラの功績を教師は懸命に説明しているが、こどもたちは外国人観光客のほうに視線を寄せる。
 そればかりか現段階の国民の認識でANCはマンデラ亡き後、ムベキ、ズマと大統領選挙に勝利してきたが、いつしか独裁権力と汚職が広がり、とくにズマ大統領は不適切という声が強かった。
 脱線して、このズマ大統領という勢力絶倫の暴れん坊について書き足しておくと、ズマはまずズールー族、六回結婚し、ほかに愛人に生ませて認知した子供が20人。腐敗の権化と非難され、豪邸にはプール。あまりのことに罷免され、裁判となった。
 しかし過去にはロベン島の監獄に十二年、釈放されても武装闘争にあけくれ、モザンビークに追放された。
このような輝かしい闘争活動家も権力を握ると、腐敗してしまったわけだ。
2020年現在、シリル・ラマポーザが大統領である。

 ▼治安悪化で外国から投資が停まっていた

アパルトへイト撤廃から四半世紀、南アは劇的な変貌を遂げていた。やはり現場に立たないと分からないことがあるものである。
 メディアはと言えば、テレビは地元の英語放送に加えて英国BBC、米国のNBC、CNN、カタールの「アルジャジーラ」の英語放送にくわえて中国のCCTVが入る。けれどもNHKは映らない。
 新聞は日欧米のような総合的な媒体はなく、娯楽とスポーツがほぼ全てのニュースだ。競馬新聞、株式新聞などのように特化されたものばかり、この国の政治論議はどうやら口コミに頼るようだ。
 ヨハネスブルグプレトリアの町並みを見た限りでは幽霊屋敷のように建設途次で工事を止めたビルが目立ち、そこら中のビルは「空室」の表示が多く、不動産景気は下落している。投資が停まっているのだ。
 とくに首都のプレトリアは人口構成で白人が過半数をしめるが、高級住宅地の需要は後退しており、商業ビルも建設は下火となった。
 対照的にケープタウンでは建設ラッシュが続き、「空室」は極めて少ない。そのうえ新築マンションなどの工事現場では、朝六時前からクレーンが動き、コンクリートミキサーがうなりを上げ、労働者が働き出している。
 ガイドにやって来たのは在留日本人女性だった。彼女によると、「夜は外出しませんね。商社の駐在員でも一年ほど経って慣れたなと油断がでたら必ず強盗被害にあっていますから」と治安問題を最初の問題とした。南ア全体で駐在日本人は千二百名くらいで、NHKが入らないのも無理はない。日本料亭はヨハネブルグに一軒しかない。
 強盗犯罪が多発するのは信号で車が停車したときに闇から現れて襲撃するケースが多いという。

 筆者が最初に南アへ行ったのは1985年だった。
 国連の決めた世界青年年(IYY)のヨハネスブルグ大会で「日本代表」に選ばれたためで(当時、39歳。「青年」の上限年齢だった)、まだアパルトヘイト真っ盛りの頃だ。國際会議では登壇した米国、欧州代表がさかんにアパルトヘイト撤廃を叫び、アジアの代表はどちらかというと「内政干渉にあたるから」と発言を控えた。
 ところがアフリカ周辺国からの参加者は、当時のレーガン政権の肩入れもあって反共、反ソ連武装勢力、ゲリラの代表などが「自由陣営」を名乗って来ていた。出自や身分も調べず「反共、ソ連」であれば、物騒な武装組織でも構わないという無節操ぶりだった。
 アンゴラのウニタなどは機関銃で闘うポスターを持参しており、先進国代表団とは意見を異にした。
アフガニスタンからもソ連と闘っていたタリバンの前身組織代表らが、さかんにアンゴラのウニタ代表と「戦争が先に終わった方から武器援助しようぜ」などと本気なのか、冗談なのか分からない会話も飛び交っていた。
 プレトリア見学は会議の前に日程が組まれており、また夜はサンシティというカジノの町に案内された。ヨハネスブルグのホテルで、たまたま筆者が誕生日と重なり、参加者がケーキを頼んで祝ってくれたことだけは鮮明に思い出すのである。
 あれから三十五年、アパルトヘイトはとうに廃止され、民主選挙が実施されて黒人政権が誕生した。ならばさぞ民主化されて平和が訪れ、そして経済的に繁栄し、人々は平穏な暮らしをしているのか?
 現実は民主化こそ形骸的に実現できているが、経済は全体的に調和が取れず、鉱山主体のビジネスは繁栄しているが、失業率は30%、そして治安は極度に悪いため外国人旅行社には「夜、ホテルから出ないように」と通達が出ている。近くのスーパーに土産を買いに行くのもホテルから送迎バスが仕立てられるほどだ。

 見えない差別が続いている。
 黒人居住区は相変わらず残存し、トタン板で無造作に組み立てた家にすむ貧困地帯がある(ただしパラボラアンテナが林立していた)。かと思えばビジネスであてた黒人は豪邸に住み、BMWを乗り回している。一流ホテルのバアへ行くと分かるが、大袈裟に呑んでいる多くは黒人である。
 昼間、道を歩く人もみな黒人である。白人もアジア系もいない。
 プレトリアで雇ったガイド(ギリシア系の白人女性)に聞くと、「そうよ、白人はたいがいが自家用で通勤しますから歩いている人はいない。黒人は住んでいるところから違う。差別は厳然と残存しているわ」
 さてヨハネスブルグと、プレトリアでは「ジャカランダ」という藤色の花々が綺麗に咲いていて、日本の桜のように見事である。しかし花見客もなく、屋台村もない。花を愛でるという習俗はないようである。この南アを象徴する草花はブラジルから百年前に移植され、あちこちに十月の1ヶ月だけ綺麗な花を咲かせる。
 ところが並木道の両脇が高級住宅地で、驚いたというより呆れたのは鉄条網に電流を通し、警備会社のカメラや警報ベルの装置。ARMED REACTION(武装警備員が即応する)と大書されていたことだった。やはり治安は想像した以上に悪い。

 ▼ケープタウンも、喜望峰も風が滅茶苦茶に強い

 ケープタウンは典型の港町である。
 ヨットハーバーには金持ちが集まり、観光名所のテーブルマウンテンが郊外に聳える。
 運悪く、筆者が行ったときは風が強く、ケーブルカーが運休。下から仰ぎ見ることとなった。それでも中腹の台地からケープタウン町全体が見渡せる。夜景はきれいである。
 近くにワイナリーがあるというので出かけた。
「グルート・コンスタンシア」という醸造元には宏大なぶどう園が拡がり、中央部に試飲設備と土産物売り場がある。
 ここで五種類のワインを試飲したが、美味。さっそく三本購った。やっぱり中国人ツアーで満員だった。一本はワイン通の河添恵子んへお土産。
 またサファリが催され、四輪駆動に乗り換えて広い園内(たとえばクルーガー公園の広さは四国に匹敵)をめぐる。シマウマ、ヌー、インパラ、象、キリンなどを間近に見た。
 筆者は動物、植物の豊かな景色より、南アの人々の生活に興味がある。
 ケープタウンの港には豪華ヨットが無数に係留され、隣接するショッピングアーケートは三階建てでブランド品のブティックが並び、地下にはスーパーマーケットが入っている。品物が豊かで、とくに食品とワインが山積みになっている。
 酔っぱらいが買い物の列に並んで奇声をあげていても誰も注意しない。なるべく関わり合いになりたくないということだろう。
 さて南アにやって来たのだから喜望峰を見なければいけない。町から三時間近いドライブで、先端へ行った。強風が続くため、草木が斜めに育ち、独特の木木や植物が生息している。
 ケープポイントを見たあと、Uターンをして北上すると通り道にサイモンズ・タウンという保養地として有名な場所がある。民宿も多く、独特な観光地でレストランも美味い。
 ここから二十分ほどの場所「ボルダーズビーチ」に生息するペンギンは身長が60センチほどの小型で、砂浜に数千頭
人なつっこく、よたよた歩きながら砂道を上ったり寝そべったり、この場所も世界中から観光客が集中するため合唱隊やら、名物のアロエの美容液、クリームなどを売る店が軒を競っていた。平和な一面もあって、ホッとしたのである。
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