所持品散乱、逃げ惑う避難民 ミサイル攻撃受けた駅 ウクライナ東部
【クラマトルスク(ウクライナ東部)AFP時事】ウクライナ東部ドネツク州クラマトルスクで8日、避難民でごった返していた鉄道駅がミサイル攻撃を受けた。 ホームには犠牲者の所持品とみられるかばんが散乱。駅構外の売店そばでは地面に血だまりができ、20人ほどの遺体がビニールシートの下に横たわっていた。 「駅の中にいたら2回、爆発のような音がして、身を守ろうと壁に駆け寄ったの」。攻撃に遭遇した女性は、AFP通信に「血を流した大勢の人が駅に入ってきて、そこら中に人が倒れていた。けがをしただけなのか死んでいるのかは分からない」と振り返った。 着弾場所付近では警官ががれきを片付け、残された携帯電話を拾い集めていた。近くでは携帯電話を耳に当てた女性が「夫がここにいたの。捜しているけど(電話が)つながらない」と涙ながらに語った。 クラマトルスクは東部の都市では、これまでロシア軍に攻撃されることが比較的少なかった。地元州検察当局は声明で、8日の攻撃時、駅には約4000人の民間人がおり、その大半が女性と子供だったと説明した。 駅舎近くには焼け焦げた車が4台。そばに残されたミサイルの残骸には、ロシア語で「われわれの子供たちのために」と書かれていた。
ウクライナ駅砲撃、民間人死傷に非難相次ぐ クラスター弾使用か
[キエフ 8日 ロイター] - ウクライナ東部ドネツク州のクラマトルスクで8日早朝、ロシア軍の侵攻から逃れようとする人々で混み合う鉄道駅がミサイル攻撃を受け、子ども5人を含む少なくとも50人が死亡した。 ドネツク州のパブロ・キリレンコ知事は、同駅に命中したのはクラスター弾を搭載した「トーチカU」短距離弾道ミサイルだったと述べた。同地域からの列車による避難は継続するとした。 クラマトルスク市長によると、駅には女性や子ども、高齢者など4000人程度がいたという。 ロイターは事実を確認できていない。 クラスター爆弾の使用は2008年に禁止されたが、ロシアはこの条約に署名していない。 米国防総省高官は、ロシアの関与否定は信じられないとし、キリレンコ知事はミサイルの種類を正しく特定しているとの見方を示した。 RIA通信によると、ロシア国防省は攻撃への関与を否定。攻撃に使われたミサイルはウクライナ軍しか使用していないと指摘し、ロシア軍は8日にクラマトルスクへの攻撃を指示されていないと説明した。 一方、ゼレンスキー大統領はフィンランド議会でのオンライン演説で、攻撃当時、駅にウクライナ軍はいなかったと言明。ロシアは民間の鉄道および民間人を攻撃対象にしたと強く非難した。 クラマトルスク市長によると、犠牲者の中には腕や足を失った人々もいるという。 <欧米からの非難相次ぐ> ミサイルの残骸の側面には「(これは)子どもたちのため」と書かれていた。ロシアは何年にもわたり、ウクライナが東部の親ロシア派地域で民間人を殺害したと非難してきた。 このメッセージについて、欧州連合(EU)の執行機関である欧州委員会のフォンデアライエン委員長は「血も凍るような振る舞いは類を見ない。信じ難い」と激しく非難した。 同委員長は8日、民間人とみられる遺体が多数発見されたウクライナ首都キーウ(キエフ)近郊のブチャを訪問し、ロシア軍の「残酷な顔、無謀で冷淡な行動」が明示されたと述べ、ウクライナへの支援を確約した。 欧州連合(EU)のボレル外交安全保障上級代表とウォレス英国防相も、この攻撃を非難。米ホワイトハウスのベディングフィールド広報部長は「ロシア軍がウクライナで戦争犯罪を犯しているという証拠が増えている」と述べた。 また在ウクライナ米大使館は、ウクライナでのロシア軍による「新たな残虐行為」とし、「世界はロシアのプーチン大統領の責任を追及する」と言明した。 米国務省のポーター報道官も8日、記者団に対し「この残虐行為に恐怖を覚えている」と述べた。
アングル:後ろ手に縛られ頭部に銃弾、キーウ近郊ブチャの惨劇
By Reuters Staff
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*注意:この記事には遺体の写真が含まれます。
[ブチャ(ウクライナ) 4日 ロイター] - ウクライナの首都キーウ(キエフ)近郊・ブチャの道ばたには、後ろ手に縛られ、頭部に銃弾を受けた男性が倒れていた。ウクライナ当局の発表によると、ロシア軍による5週間の占領後に見つかった地元住民の遺体は数百人に上る。
ブチャのタラス・シャプラフスキー副市長は、ロシア軍の撤退後、ロシア軍による法を逸脱した殺害の犠牲となった約50人の遺体が発見されたと述べた。ウクライナ当局は戦争犯罪だと、ロシア政府を糾弾している。
ロイターは、死亡した住民を誰が殺害したのか、独自に確認することはできなかった。
しかし、ロイターの記者が3日に確認した3人の遺体は、いずれも頭部に銃弾を受けており、処刑されたとするアナトリー・フェドルク市長らの証言と状況が一致した。3人のうち1人は両手を縛られ、2人は縛られていなかった。
3人は、体の他の部位に目立った傷はなかった。全員男性で民間人の服装だった。手を縛られた遺体には、唇など顔に火薬による火傷の跡があり、至近距離から撃たれたと見られる。
両手は白い腕章のようなもので縛られていた。ある女性によると、ロシア軍はブチャを占領中、住民に身元確認のため腕章の着用を義務付けていた。
ロイターはロシアの政府と国防省に、記者が目撃した遺体について質問したが、回答は得られなかった。
ロシア国防省は3日の声明で、ブチャでロシア軍が「犯罪」を犯したと主張する、ウクライナ当局が公開した写真やビデオは全て「挑発」であり、ロシア軍は住民に暴力を振るっていないと説明した。
また、同省の声明では、3月30日に軍が撤退する際に、キーウ近郊の住民に452トンの人道支援物資を提供したと説明している。
一方、同副市長は、ロシア軍の撤退後、約300人が遺体で発見され、このうち50人がロシア軍に処刑されていたと述べた。ロイターは、この数字を独自に確認することはできなかった。
他の人々は複数の方向から銃弾を浴びるか、もしくは今のところ死因が分かっていない。
市長は「どんな戦争にも民間人に対する交戦規定がある。ロシア軍が、意図的に民間人を殺害したことが明らかになった」と述べた。
<浅い墓、供えられたウオッカ>
ロイターは、ロシア軍に身柄を拘束された後、遺体で発見された人がいると証言する住民や、頭に1発の銃弾を受けた2人の遺体が発見されたと話す別の住民からも話を聞いた。
ロイターは、こうした住民の証言の内容を独自に確認することができなかった。
タチアナ・ボロディミリブナさんは、夫の墓を指し示し、泣きながら、ロシア軍から受けた辛い体験を語った。墓はできたばかりで浅く、一杯のウオッカとクラッカーが供えられていた。
元ウクライナ海兵隊員である夫とタチアナさんは、自分たちが住む建物にロシア軍が司令部を設置した際、住居から引きずり出され、身柄を拘束された。
ロシア軍はブチャに入ると、住民に対して身元を明らかにし、書類を提示するよう求めたという。
タチアナさんは、チェチェン共和国出身と思われるロシア軍の兵士から「切り刻む」と脅されたという。この兵士がチェチェン出身だと分かった理由は説明しなかった。
4日後に解放されたが、夫は何日間か居所が分からなかった。だが、住居がある建物の地下の階段の吹き抜けに何体かの遺体があると知らされた。
「スニーカーとズボンで夫だと分かったの。ひどい切り傷を負っていて、冷たくなっていた」という。「近所の人がまだ夫の顔写真を持ってるのよ。頭を撃たれ、切られ、拷問されていた」──と語った。
ロイターが写真を確認したところ、顔や体に重い切創があった。弾丸による傷の有無は、確認できなかった。
タチアナさんは夫の遺体を取り戻し、近所の人たちと建物近くの庭に「犬に食べられない程度の深さに」埋めた。
タチアナさんの夫が発見された階段の吹き抜けにロイターの記者が行くと、まだ、別の遺体があった。住民が尊厳の印として遺体をベッド用シーツで覆っていた。
<左目を撃たれた>
女性の住民によると、すぐ近くの別の墓には男性2人の遺体が埋葬されている。2人はロシア軍に連行されたが、殺されるところは目撃していないという。遺体が発見されたとき、2人は左目を撃ち抜かれていた。墓の近くに集まった他の住民6人が女性の証言を裏付けた。
住民の1人は、遺体となった男性の1人が集合住宅の入居者で、ウクライナ軍の退役軍人だったと述べた。
ブチャは2月24日のロシアによるウクライナ侵攻直後、ロシア軍がチョルノービリ(チェルノブイリ)原発を占領し、首都に向かって南下してきた際に占領された。
北西から侵攻してきたロシア軍は、ブチャとその近くのイルピン北部でウクライナ軍からの予想外に激しい抵抗に遭い、進軍を阻まれた。この地域は、ロシア軍がキエフの北方から撤退するまで、首都防衛戦で最も血生臭い戦闘が繰り広げられた場所だ。
ウクライナは2日、キエフ周辺の全地域を奪還し、ロシア侵攻後初めて首都圏を完全に掌握したと発表した。
3日のブチャは、道路に不発弾が散乱し、焼け落ちた戦車の近くではロケット弾が地面に突き刺さっていた。敷地内で地雷やミサイルが見つかり、壁にチョークで「地雷に注意」と書いた住民もいる。
住民のボロドミル・コパチョフさん(69)によると、ロシア軍はコパチョフさん宅の庭の隣にある空き地にロケットシステムを設置した。ロイターの記者がその場所を取材すると、弾薬の箱や使用済みの薬莢(やっきょう)が散乱していた。
コパチョフさんの33歳の娘と、そのボーイフレンド、友人の3人は、ロシア軍が撤退する数日前に、パーティー用の紙リボンをロシア軍に向けて投げて射殺されたという。コパチョフさんの妻によると、兵士に危害を加えるつもりはなく、抵抗を示すためだったという。
コパチョフさんは「こんな目に遭うなんて、辛すぎる」と話した。この1カ月、家の敷地から出たことはない。「やつらは出合い頭に(人々を)撃っていた。『だれだ、なぜ外出している』と聞きもしなかった。ただ、撃っていたんだ」──。
(Simon Gardner記者)
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