中国・四川省から今年3月にインドに逃れたチベット人の30代女性が産経新聞のインタビューに応じた。中国の支配に反発し、急峻(きゅうしゅん)なヒマラヤ山脈を越えてネパールに抜け、チベット仏教の最高指導者、ダライ・ラマ14世が住むインド北部ダラムサラにたどり着いた。「家族を置いて故郷を去ったが、今はダライ・ラマのそばで幸せだ」と話した。
ダライ・ラマが1959年にチベットから脱出して以降、インドには一時、年間3千人近いチベット人が亡命した。だが、近年は中国による国境警備の強化などで、その数は激減。チベット亡命政府によると、2020~22年の亡命者は計5人だった。今年に入って亡命に成功したチベット人の1人がこの女性だ。
女性が亡命への思いを抱いたのは、中国による同化政策が進展する現状への反発からだった。学校で中国語を強要されたことが苦痛だったという。「音楽の授業も中国語で毛沢東賛歌や共産党を称える歌を歌うことだけしか認められなかった」と振り返る。就職先でもチベット人が冷遇され続け、不満が募った。
女性は共産党に従順であることを求められて苦しみ、ダライ・ラマのもとに行きたいとの思いが強くなっていったという。亡命の思いを家族に打ち明けた際、80代の母は「私は年で(インドに)行けないから、私の代わりにダライ・ラマに会って、長寿を願ってほしい」と快く送り出してくれた。
チベット亡命政府関係者によると、ネパール国内に亡命を助ける協力者がいるという。女性は移動費のほか協力者への資金などで、総額5万元(約100万円)を家族の貯金を集めて工面したという。
女性は昨年暮れに自宅を出て、チベットの中心地ラサまで3日掛けてバスで移動し、そこで2カ月以上潜伏して脱出の機会を伺った。第2の都市のシガツェまで車を乗り継いで移動した後、13日間歩いてネパール国境に到着。協力者と連携し、数日掛けて、滑落の危険を感じながら国境の山脈を越えたという。「(監視の目があるため)日中に登り下りする勇気がなかったので、夜に山を登った」と振り返る。
ネパールに入った後はしばらく洞窟で息をひそめ、協力者の助けを受けながらネパールを抜けてダラムサラにたどり着いた。ダライ・ラマに会った際は泣き崩れたという。「苦労しても、ここに来た理由はあった。ダライ・ラマのそばにいられることはかけがえのないことだ」と述べた。
気になるのは故郷で暮らす母親のことだ。盗聴によって身の危険につながる可能性があり、これまで一度も連絡を取っていない。だが、故郷に戻るつもりはないという。「私はダライ・ラマとともにここで暮らしたい。ただ、ダライ・ラマの本当の居場所はチベットだ。共産党政権が続く限り困難だが、願わくば一緒にチベットに帰りたい」と話した。(ダラムサラ 森浩)
インド北部ダラムサラに拠点を置くチベット亡命政府のペンパ・ツェリン首相が7日までに産経新聞の単独インタビューに応じた。
中国・チベット自治区でチベット人への弾圧が激しさを増し、中国政府が監視目的でDNA情報の収集を強制的に進めていると批判。国際社会に対応と支援を求めた。チベット仏教最高指導者ダライ・ラマ14世(88)の後継問題では「すべてダライ・ラマの考え次第」との見方を示した。
ツェリン氏はチベット人居住地区があるインド南部出身。亡命政府議会議長などを経て、2021年5月に首相に就任した。
ツェリン氏は、現在のチベットの状況について、
中国政府によるDNA情報の収集がここ2~3年で急速に進み、生体認証による監視目的で目の虹彩のデータも集めていると指摘。「政治活動で捕まった人物のDNA情報によって親族が特定され、容疑者として扱われるケースが増えた。その結果、デモなどの抗議活動の数は減少した」と述べた。
国連人権理事会の特別報告者は2月、
中国政府がチベット人の子供約100万人を家族から引き離して寄宿学校に入れ、強制的に漢族に同化させていると指摘。ツェリン氏は「言語、文化、宗教、生活様式などの面でチベット人を中国人に変える目的がある。チベットの文化に対する攻撃で、文化的虐殺に近い」と中国政府を非難した。
チベットの実情についてはほとんど海外に伝わらず、通信の制限などで亡命政府もつかみづらくなっているという。
中国は9月に入り外国の外交官をチベットに招待したが、ベネズエラなど中国に友好的な国に限られた。
「チベットは徐々に死を迎えようとしている。ヘビに締め付けられるようなものだ」と国際社会に関心を呼びかけた。
チベット仏教には高僧が死後に生まれ変わる輪廻転生(りんねてんせい)の考えがあり、ダライ・ラマ14世も先代の没後に生まれたチベット人の子供から選出された。14世を分離主義者と呼んで敵視する中国政府は、14世が世を去れば選出作業に介入し、独自の「ダライ・ラマ15世」を擁立する可能性が高い。
14世の後継をめぐっては、亡命チベット人代表らの会議が19年、継承の方法に関する決定権は14世本人にあると決議した。ツェリン氏は14世が90歳を迎える2025年に何らかの決定を下す予定があると言及しつつ、「すべてはダライ・ラマの考え次第だ。ただ、間違いないことがある。チベット人は、中国ではなく彼の決定を尊重するということだ」と強調した。
(インド北部ダラムサラ 森浩)
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チベット亡命政府 1959年に中国軍に対しチベット人が蜂起したチベット動乱後、インドに亡命したダライ・ラマ14世が樹立した亡命チベット人機関。世界各地の亡命チベット人による選挙で選ばれた首相が指導的役割を担う。中国政府は「中国からのチベット分裂を図っている」と批判している。