モンゴル・ウランバートルに住む少年(8歳)が、チベット仏教の高僧の転生(生まれ変わり)であると明らかにされた。少年が「ジェブツンダンバ10世」であると認定したのは、中国共産党政権が敵視すだ。経済発展が進む現代モンゴルに転生した少年は、モンゴルやチベット、中国などが複雑に絡む渦中で人生を歩み始めた。(中沢穣)
ジェブツンダンバの転生 転生(生まれ変わり)はチベット仏教の独特の制度で、転生によって代々地位が継承される高僧は現在、ダライ・ラマなど200人程度とされる。このうちジェブツンダンバ(モンゴルでの尊称はボグド・ゲゲン)は約400年前から転生が続き、8世は1911年に清から独立したモンゴルの君主でもあった。24年の8世死去後、社会主義国となったモンゴルでは宗教が弾圧されたため、32年にチベットのラサで生まれた9世の転生は秘密にされた。チベットやダラムサラで人生の大半を過ごした9世の存在が公表されたのは、モンゴルが民主化された後の91年。8世も9世も民族はチベット人。
今年3月、ダライ・ラマ法王庁が公表した写真に、緊張した面持ちのマスク姿の少年が写る。チベット亡命政府のあるインド北部ダラムサラで、灌頂 という儀式に参加していた。法王庁によると、ダライ・ラマ14世が少年を「ジェブツンダンバの転生者」として信者らに紹介したという。
ジェブツンダンバはモンゴルにおけるチベット仏教指導者として権威が最も高い。9世は2012年に死去した。
米紙ニューヨーク・タイムズなどによると、10世の少年はチベット仏教の伝統に基づき、14、15年に生まれたウランバートルの男児8万人から選ばれた。9人が一室に集められた認定の最終段階で、幼児だった少年は9世が生前に使った数珠や鈴を手に取り、9世の側近に近づいてひざの上で遊んだという。
■大富豪出身…「上流国民が」と反発も
ダライ・ラマ14世は16年にモンゴルを訪れた際、「9世の転生者をモンゴルで認定した」と明かしたが、まだ幼いため身元などは公表しないと述べていた。
しかし徐々に明らかになった少年の身元は、モンゴルで物議を醸した。大富豪の家庭出身だったからだ。
少年の祖母は元国会議員で鉱山会社の創業者。母はこの会社の経営トップであり、父はモンゴル国立大で数学を教える。チベット仏教では高僧が裕福な家庭に転生することは不自然ではないが、モンゴル近代史に詳しい神戸大の橘誠准教授は「モンゴルは貧富の差が激しく、『上流国民』に転生したと反発もあった」と指摘する。
■家族は戸惑い「通常の環境で育ってほしい」
一方、同紙は息子が転生と認定された家族の戸惑いを伝えた。母親らの「通常の環境で育ってほしい」との考えから、少年は学校に通いつつ、放課後などに僧院で仏教の修行に励む。18歳になった時点でジェブツンダンバ10世として生きるかを本人に選択させるという。10世の道を選べば、ダライ・ラマ14世のようにチベット仏教界を束ねる存在になることが期待される。
チベット仏教への統制を強める中国政府は高僧の転生にも介入してきた。ダライ・ラマに次ぐ権威のパンチェン・ラマ10世が1989年に亡くなると、中国政府は独自に11世を選んだ。一方、ダライ・ラマ14世が11世と認定した中国国内の少年は現在も行方不明だ。
■双子、米国籍…「介入されにくい少年」
こうした介入を防ぐため、ジェブツンダンバの転生に向けチベット仏教界は布石を打ってきた。チベット仏教に詳しい早稲田大の石濱裕美子教授によると、死期が近づいた高僧はダライ・ラマに「死ぬ許可」を得る伝統がある。9世は「モンゴルで正月に死ぬように」と言われ、実際にチベット暦の正月に死去した。「モンゴルでの布教という前世の仕事を続けるため、モンゴルに転生することが確定的になった」(石濱氏)
また10世の少年は双子であり、兄弟のどちらが10世かは未公表だ。米国生まれで米国籍も持つ。モンゴルに転生したことも含め、橘氏は「介入されにくい少年が認定された」と話す。
中国は10世転生に公式な反応をしていないが、同紙によると、モンゴル政府に対し、10世がダライ・ラマ14世に接近しないよう警告した。中国は16年に14世訪問を受け入れたモンゴルに制裁を科したこともある。
石濱氏は、さまざまな誘惑や政治的な圧力の中で「今後、少年が研さんを積み、尊敬される高僧になれるかが重要だ」と指摘する。