辞職の届け出を県議会議長へ提出し、会見した静岡県川勝平太知事=10日午後、静岡市葵区(岩崎叶汰撮影)
 

――ならば、(リニア中央新幹線の早期開業を目指す)期成同盟会に入って、知事はこの2年弱、早期開業に向けて何をされたんでしょう

「一生懸命、われわれは南アルプスのこの基本的なこの期成同盟会も含めた共通理解は、この総会で決まるわけでございますけれども、南アルプスの自然の保全、水資源の保全と、それからリニアの開通と、この両立を図るということであります」

「ですから、それをするためには南アルプスの自然を守れるか、水資源が確保できるのか、この点についてずっとやってきたわけで、それについても情報共有ができるというのが、この期成同盟会のメリットであります。したがって、どこにも私どもは早期開通に対しまして足を引っ張っているというようなことをしたことは一度もありません」

――午前中に退職届を県議会議長に出す前に知事室前で心境を聞かれた際に、細川ガラシャさんの辞世の句を詠まれましたけれども、どういう心境で

「長く、15年ぐらい知事やってるんですけれども、きょうはここでしかしゃべる予定がなかったんですが、懐かしい方(記者)がそこにいらしたのでですね。思わず無視するのはご無礼だと思いまして、とっさに出てきたわけですが」

――その際の心境ではなかったということですか

「いや、すばらしい辞世の句だと思います。ガラシャというのは、キリスト者カトリックですね。ですから自殺するわけにいかないんですが、辱めを受けないために死を決意されたわけですね。その死の決意のときに、泣き叫ぶわけでもなく、逃げるわけでもなく、この『散りぬべき 時知りてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ』というふうにうたわれたのは、感動的です。それは昔から行動規範として持っているものであります」

 

――今、改めて退職届を出した心境を教えてください

「改めてと言われるとですね、懐かしい人がそこにいらっしゃるわけですけれども。そうですね、最近、こちらに来られた方もいらっしゃるし、ずっとこの15年間、私の動きを直接お話をしたりして見てきた人もいらっしゃいます。私にとりましては、このリニアの問題は非常に厳しい問題でした。やはり国家権力というか、政府、それから大企業ですね。これは営利企業とはいえ、公共性を持ってるということで、国家的事業と言っておりますけれども。一方、南アルプスは国立公園ですし、これを保全するのは国策です。ユネスコエコパークですから、これを保全するのは、国際的な日本の責務だと思っております。ですから、こうした大義名分はあり、地元の声も体に受けながら戦うというのは厳しいものがありました」

「言ってみれば、孤軍奮闘というのは、実際、みんなと一緒にやってるんですけれども、孤軍奮闘、革命を破って帰る、帰るときが来たかなと。その後、ご案内の通り『一百千里 塁壁の間 吾が剣は既にこぼれ 吾が馬は斃(たお)る』…。さあ、どこに骨を埋むるか、そういう心境ですね、これは『城山』っていう有名な漢詩、七言絶句ですが、西郷隆盛の心境をうたったものです」

 

――2009年の所信表明、ちょっと昔の話になった恐縮なんですが、「毀誉褒貶(きよほうへん=よい評判と悪い評判があること)にさらされ、失敗をし、挫折感に打ちひしがれても、それでもなお屈せず、堂々と誠実に日本の理想を追求してまいります」と知事はおっしゃいました。その言葉をかみしめて、今回の辞め方、突然に県政が混乱するような状況で任期を残して辞められます。この辞め方は本当によかったんでしょうか

「その所信表明は、最後のあたりじゃないでしょうか。『主役は県民です』と言ったはずです。県民に仕えるのが私の仕事ですから。県民が世界の理想、日本の理想に向かってですね、羽ばたけるようにということで、一度もその理想の旗を降ろしたことはありません」

「そうした中で、どんなに毀誉褒貶、あるいは悪魔のような世界であるということでも、マックス・ウェーバーが「職業としての政治」で言ってる言葉なんですけれども、『それでもなお』といえる人間だけが、この(政治の)世界に生きるべきだと。私は、それでもなお、英語で言えば「nontheress(ナンザレス」ですね、「nevertheress(ネバーザレス)」、ドイツ語で「dennoch(デンノッホ)」でしょうけれども、それでもなお、ここは自分のためにやってるんじゃないというのがありましたのでね、その一番大きかったのは、やはり水です」

 

「水の問題、これは取り返しがつきません。丹那トンネル静岡県内にある鉄道トンネル。過去の工事で大量湧水による水枯れが発生)もありましたので、今回はもっと大きいと。しかも国立公園です。しかもユネスコパークです。しかも多くの人たちがそれによって生きてるわけですね。これは何としてでも守らなくちゃならないというのは、知事になってからですけれども、これは。そのときの所信表明のときではなく、後に知ったこの南アルプスの現状、これは知った以上、これは守らんといかんということで、粉骨砕身、全力を投じてきたつもりであります」

「そして、ここに至ってですね、ようやくJR東海さんが、事業計画が10年以上、当初、国交大臣に提出したものと大きく変わっているということになったので、ここは期成同盟会の方も含めてですけれども、さあどうしたらいいかと、みんなで考えなくちゃいけないと。そのときに矢野さん(モニタリング会議座長)が提案されたのが、『信頼できる環境を作りなさい』と。JR東海と、そして国と県が入ってですね、3者で話し合って、それで解決の道を探しましょうと言っていただいて、これはこれから11年、10年以上ですね、やっていかなくちゃいけないと。そういう日程が見えたわけですね。無限的にやるんじゃなくて、明確に掘削20年とか、ガイドウェイ2年とかあるわけですから、その都度チェックするべきことがございます。これをやっていくという段取りが見えましたのでね、あとはその方に任せていいじゃないかと思った次第です」

 

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