パルデンの会

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チベット・ラサ師範学校で500人の学生による静坐抗議、弾圧を受け20人以上が 死亡

中国共産党の封鎖政策に反対したチベット学生が抗議デモで当局から暴行 

20人以上が

死亡

中国共産党の封鎖政策に反対したチベット学生が抗議デモで当局から暴行 20人以上が死亡
2009年8月8日、ネパールのカトマンズにある同国最大のチベット仏教の巨大仏塔(ストゥーパ)で、中国に抗議するデモ集会に参加する亡命チベット人たち(PRAKASH MATHEMA/AFP via Getty Images)
 
2024/04/11 大紀元
 
更新: 2024/04/11
 

 

チベットの大学で長期にわたる封鎖と厳格な管理政策に対し、学生たちが立ち上がった。数百名が参加した平和的な抗議は、警察の暴力的な介入により悲劇に変わり、20人以上の若者が命を落とした。

あるチベットの大学では、長期間に及ぶ封鎖と厳格な学生管理が引き金となり、学生たちが集団で抗議行動に出た。警察は100名以上を動員し、デモを行う学生たちに対して暴力的な手段で鎮圧を試みた結果、20人以上の学生が亡くなる悲劇が起こった。

中国国内のメディアは、この事件を報道していない。内部関係者が新唐人テレビに事件の詳細を伝えた。チベットでの封鎖は4か月間続き、それに対する学生たちの抗議が行われたのである。

匿名を望む情報提供者は、新唐人テレビのインタビューで、「実はこの封鎖は長年にわたる『慣例』で、2009年から始まって既に16年が経過している。通常は1~2か月の期間封鎖されることが多いが、今回は異例の4か月間、つまり一学期全体にわたって封鎖が続けられた」と述べた。

2008年3月14日に起きた事件がきっかけで、チベットの大学では封鎖が行われるようになった。その事件の時、チベット民族の何百人もの人々が集まり、逮捕された僧侶たちの人権侵害に対して抗議したが、武装警察によって厳しく鎮圧され多くの犠牲者が出た。この出来事は「3・14」事件として世界に知られるようになり、それ以降、毎年3月には大学封鎖が行われている。

チベットの首都、ラサにある唯一の専門学校であるラサ師範学校は、封鎖は特に徹底している。

情報源によれば、今年の封鎖が長引いたのは、ある女学生が封鎖の実情を外国メディアにリークし、それが注目を集めたためだと言われている。その女学生は警察に拘束されてから行方不明となった。また、学校と警察は広範囲にわたり、数千人の学生に対して身元調査を行った。

情報筋によれば、その後、30人以上の学生が拉致されたが、その理由は奇妙で、外部のインターネットを介してGoogleメールにサインインしたためだという。

海外の大学への応募は、国内のメールアドレスでは受け取れないことが多く、Googleメールの使用が必要だった。

その情報筋によると、封鎖期間中、ラサ師範学校は刑務所のような管理で、キャンパスの壁には新型コロナウイルスの流行中に設けられたような鉄条網が追加され、教室に鋼鉄のパイプを設置した。

学生が病気になっても病院には行けず、医務室でしか治療は受けれない。さらに、外食や宅配の受け取りは禁止され、食堂だけでしか食事はできなかった。学校の食堂やスーパーは価格を独占し、不当に高い価格を設定していた。

情報筋は、「彼らは法外な価格を設定しており、非常に不合理である。例えば、豆乳一杯に7元、普通の肉まんが15元で販売されている」と述べた。

一部の学生は校長にロックダウン措置の短縮を訴えた。しかし校長は抗議活動が続行される場合、警察に通報し、学生たちを「反国家罪」や「スパイ罪」で逮捕すると脅迫した。

情報筋の報告によれば、「120名の学生が集まり、署名と指紋を押した決議書を校長に提出したものの、校長はそれを受け入れずに破棄し、さらに、署名した学生を個別に特定し処分を下した」

中国本土メディアに助けを求めた学生 しかし…

学生たちは中国大陸のメディアに支援を求めたが、いずれのメディアからも返答がなく、さらに、これらのメディアは支援を求めた学生たちをブロックするという措置を取った。

支援を求める手段を失った学生たちは、再度、海外メディアに助けを求めることにしたが、直ちに中国共産党の警察によって発見され、キャンパス内で広範囲にわたる検査が開始された。その地域の全ての大学が更に厳格な監視下に置かれることになった。

情報筋によれば、監視カメラが思いもよらない場所に設置された。特に学生の寝室の向かいにカメラがあり、就寝時にはドアを閉めることを許されず、カメラは個々の学生が何をしているのかを直接撮影しているという。

また、食堂にも多数の監視カメラがあり、食事中の会話は実質禁じられている。話すと、彼らに会話内容を把握されるからだ。

さらに学校は、生徒全員のスマートフォンに「浄図食堂」というアプリのインストールを義務付けているが、これは実際には当局が改造した追跡デバイスだと言われている。学生は毎日、スマートフォンの位置情報機能を有効にし、そのアプリを通じてその日の行動の詳細を報告するよう求められている。

また報告を忘れると、深夜に何度も電話で起こされる。その電話はカウンセラー、学生支援部、さらには警察からかかってきたものさえある。

ある学生は当時、学校が封鎖されており精神的にも不安定だったため、2段ベッドから落ちて足を骨折し、現在は精神病院に入院中だ。

ラサ師範学校で500人の学生による静坐抗議、弾圧を受ける

3月16日、ラサ師範学校において、500人の学生が集まり運動場で静坐抗議を行い、校長との面会を求めたが、彼らを迎えたのは多数の武装警察だった。

情報筋によれば、警察は警棒を振り、学生たちに対して直接暴力を加えたという。その騒動の中で2人の学生がその場で死亡した。彼らは殴打された結果死んだのだ。

さらに、複数の学生が踏みつけられて命を失い、3~4人の学生はビルから飛び降りて抗議し死亡した。彼らは「私は中国政府によって死に追いやられた」と記された横断幕を掲げていた。実際には、その時点で20人以上が死亡していたとされてる。

現在、警察は学生の監視をさらに厳しくし、外部との連絡を試みた学生を次々と拘束している。学校側も、生徒たちの動きを厳しく監視するため、顔認証システムによる出席確認を強制している。

その情報筋は、中国共産党によるラサの学生たちへの迫害を目の当たりにした後、これらの事実を国際メディアに公表することを決意した。彼は、国際社会が注目し学生たちを救出するための支援を求めている。

(新唐人テレビ「中国禁聞」より転載)

新唐人テレビ 
 
 

 チベットのラサ師範高等専科学校が長期にわたり学校を封鎖し、学生に対して極端な管理を行ったことで、学生の集団抗議が引き起こされました。

 情報筋によると、3月16日にラサ師範高等専科学校で集団抗議が発生し、500名の学生が校庭で座り込み、校長との面会を要求しましたが、迎えたのは数百名の武装警察でした。

 警察は警棒で学生を殴打し、2名の学生がその場で命を落としました。また、複数の学生が踏みつけられ、その場で20名以上の学生が亡くなりました。

 チベットの高等教育機関での封鎖措置は、2008年3月14日に数百名のチベット人が集会を開催し、当局による僧侶の逮捕に抗議したことがきっかけで、武装警察による暴力的な弾圧を受け、いわゆる「3.14事件」に由来します。その後、中国当局は毎年3月にチベットの高等教育機関を封鎖するよう命じました。

 今年のラサ師範高等専科学校の封鎖期間は4ヶ月に延長され、同校のある女子学生は封鎖状況を海外のメディアに暴露し、広く関心を集めました。その女子学生は後に警察に連行され、行方不明になりました。

 情報筋によると、ラサ師範高等専科学校の封鎖期間中の管理はまるで刑務所のようでした。校内の壁には鉄条網が張られ、学生の外食や郵便物の受け取りが禁止されました。学生は学校の食堂でのみ食事をすることができますが、学校の食堂はこの機会に価格を上げました。

 いく人かの学生が校長に封鎖期間の短縮を要求しましたが、脅されました。校長は、もし抗議を続ければ、警察に通報して、「反国家罪」または「スパイ罪」で処理すると脅迫しました。学校内には多数の監視カメラが設置され、寝室の向かい側にもカメラがあり、就寝時にはドアを閉めることが許されず、食堂にも多くのカメラが設置され、食事中に話すことすらできません。

(翻訳・吉原木子)