パルデンの会

チベット独立と支那共産党に物言う人々の声です 転載はご自由に  HPは http://palden.org

中国共産党の「奢り」はますます酷くなり、欧米は金で叩けると理解されている?????

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2005年の訪問時と異なり、ダライ・ラマは閣僚には迎えられない (Keystone)

中国とチベットの代表団、ジュネーブでの“チベットに関する異色会議”で会談

2009年8月4日 Tibet.Net 
ダ ラムサラ:作家、新聞記者、支持者を含む100名以上からなる中国とチベットの代表団が8月6日―8日、二つの共同体間により良い理解を醸成するための方 法を議論し、チベット問題の平和的解決の方法を検討するためにスイスのジュネーブに集うことになる、と主催者が述べた。
和 解のための国際共同体(International Fellowship of Reconciliation)及びスイスチベット友好協会(Tibetan Friendship Association)の開催により、世界中から集まった中国とチベットの代表者がこの会議に出席することになる。
「この会議の目的は、二つの共同体間により良い理解を醸成するための方法を議論し、チベット問題の平和的解決の方法を検討することである」と和解のための国際共同体のサイソン氏が7月27日の報道発表で述べた。
「これは中国とチベット両国民の利益のためである」とスイスチベット友好協会のタクツァン博士が述べ、「また、これは中国の長期的発展に役立ち、アジアの平和と安定に貢献するであろう」と付け加えた。
チベット仏教最高指導者ダライ・ラマ法王は開会式での基調演説を行うこととなっている。また、三日間続く会議にはチベット亡命政府の主席大臣でサムドン・リンポチェ教授も出席する。
1980 年代に当時の中国共産党総書記Zhao Ziyangの指揮の元で政治改革委員会に勤務していた、中国の有力なリベラル派の学者であるJiaqi氏が来賓演説者を務める予定である。Jiaqi氏 は、中国社会科学院の政治研究機関の主任も務めたことがあり、"文化革命の十年史を含む何冊かの本も著している。
「中 国とチベット市民社会の代表者らは主要な利害関係者として、チベット問題の平和的解決を達成するための重要な役割を果たさねばならない」と主催者が述べ た。また、「近年は、より良い相互理解を促すための方法を中国とチベットの関係者が個々に講じてきた。このことがプラスの影響となり、数々の和解イベント を主催した歴史のあるスイスにおいてより大きな集会を催す必要性が感じられるようになった。」と付け加えた。
和 解のための国際共同体は、欧州における戦争の恐怖を受けて1919年に設立され、現在に至るまで戦争や戦争準備に対して一貫した姿勢をとってきている。世 界中で癒しと和解が必要とされているという認識からIFORの設立者らは、行動の中の愛こそが不公平な政治、社会、経済体制を変えていくという信念に基づ いて人間社会のビジョンを考案した。(訳者名:櫻木晴子)
スイスチベット友好協会は、チベット問題の文化 面や社会面というよりは政治的側面における支持を目的として25年前に設立された。同協会はチベット仏教最高指導者ダライ・ラマ法王の非暴力方針の支持者 であり、国際人権基準に従いチベットの人々の宗教、文化、言語、アイデンティティーの権利を擁護している。
貼り付け元 <http://www.tibethouse.jp/news_release/2009/090804_geneva.html>;

ダライ・ラマを無視するスイス政府 2005年の訪問時と異なり、ダライ・ラマは閣僚には迎えられない (Keystone)

チベットは闇の時代を生きる
8月4日と5日、ローザンヌのマレー・スケート場で、ダライ・ラマ法王が法話と法要を営む。
しかし、スイス政府はノーベル平和賞受賞者であるチベットの精神的指導者との会見を取りやめるという。これは10年来初めてのことだ。中国側からの圧力があるのだろうか。
噂
 「わたしたちは2国間の自由貿易協定に向けての土台作りをしてきました。2国間の協力は、実り多きものです。ダライ・ラマとスイス政府との会見によってこれまでに培った成果にひびが入ってしまうのは、非常に残念なことです」
  実際このような発言がなされたのかどうか今のところ誰も確認できていないにもかかわらず、噂だけが経済界に広まっている。この声からは、8月4日と5日の ダライ・ラマ14世ローザンヌ訪問において、スイス政府閣僚とチベットの精神的指導者との接触を避けさせるために、中国との貿易で生じるであろうスイス の国家的利益に対して中国側が圧力をかけている、といった趣旨までが明らかにされているのだ。
無理強い
  北京駐在のスイス大使はこの件に関して口を閉ざす。確認も否認もせず、あるかどうかは分からないにせよ、中国の公式発表を待つ。同様に、北京のスイス・中 国商工会議所所長のペーター・トロシュ氏も、ダライ・ラマのスイス訪問についてスイス大使と会談し、中国側の圧力は確認されていないと主張する。
 しかし、匿名の声はこう語る、北京の圧力は、実際にあるのだと。スイス政府にダライ・ラマとの会見の場を設けないようにと考えさせるには十分であり、無理を強いる何らかの圧力があるのだと。
7月15日の水曜日にそれは明らかになった。
「わたしたちは、連邦内閣の閣僚を招聘 ( しょうへい ) しましたが、肯定的なお返事はいただけませんでした」
と、「2009年ダライ・ラマローザンヌに来たる」実行委員会のジョン・シュミット氏は、こう語る。
  シュミット氏による、ヴォー州知事パスカル・ブルリ氏、州閣僚フィリップ・リューバ氏を始めとするヴォー州政府官僚とダライ・ラマ法王との会見予定の発表 後、ミシュリン・カルミ・レ外相は、スイス国民を代表する国民議会(下院)議長であるキアラ・シモネスキ・コルテジ氏にダライ・ラマ法王の迎賓の代行を任 せると表明した。
ミシュリン・カルミ・レ外相の弁明
 何故外務大臣自ら歓迎に出向かないのか。
「この時期はとても忙しく、都合が悪いのです。ほかの閣僚も同様に、都合がつかないのです。それでわたしたちはダライ・ラマ法王をお迎えするに当たって相応しい待遇をと、話し合いました」
スイスフランス語圏の国営ラジオ放送 ( RSR ) にて、外相はこう語った。
 連邦政府としては、中国との自由貿易協定に向けての交渉に影響が出ることへの懸念があるのでは、ということに話が及ぶと、「その件の閣僚会議への干渉はありません」と否定した。
 「そもそも、スイスは中国からいかなる干渉も受けたことはありません。スイスは中国政府と絶えず対話を続けているのです」
 と、外務省広報担当官エリック・ローマン氏は述べる。
 この政府筋の公式発表は、論争に火をつけた。スイス・チベット友好協会は、閣僚との会見がないことについて「遺憾である」と表明し、ベルンのスイス・チベット議会団体は、連邦参議会に会見を要請する手紙を送付した。
 議会団体の副代表であり、ヴォー州国民党のオスカー・フライジンガー氏は率直にこう語る。
「情 けない。スイス政府は無気力になっている。国際的な権力の前には頭を下げ、何も言うことができない。これはわたしが政治家として取り組んできたスイス本来 の姿ではない。経済的な利潤が天秤に掛けられると、中国の独裁的共産主義に対して誰も面と向かってものを言うことができない。抵抗するよりも、悪魔に魂を 売るほうが簡単だからだ」
 さらにこう言葉を続ける。
「もし、スイスがスイスらしくあり続けるならば、正義に真っ向から相対する ために、会見を行う。反対に、利潤を生む契約の前に従順さを示すのであれば、会見は行わない。私はあらゆる時も、前者の姿勢を支持する。でなければ、スイ スが現在まで孤立主義を貫いた国家としての存在理由がなくなってしまう」
中国の圧制の下?
 スイスは本当に中国の圧制の下にあるのか。必ずしもそうとは言えない。スイス国民を代表する国民議会 ( 下院 ) 議長がダライ・ラマを迎えることは、そう悪いことではない。しかも、「無限の叡智」は公式ではない、私的なスイス訪問に慣れている。
  ここ数年のうちに、連邦政府閣僚の4人はダライ・ラマと個人的に会見しているが、訪問の度にというわけではなく、会わない時もあった。カルミ・レ外相によ ると、法王を国賓として迎えたことはなく、常時は文化相の管轄になるという。「今後も、この方針を続けていくつもりです」
swissinfo.ch、北京にて アラン・アルノー、協力 ミッシェル・バルテール、 
( 仏語からの翻訳 魵澤 利美 )
貼り付け元 <http://www.swissinfo.ch/jpn/news/swiss_and_the_world/detail.html?siteSect=126&sid=10984999&cKey=1248247423000&ty=st>;

スイス・中国の自由貿易協定

2009年1月、中国の温家宝首相のベルン訪問の際、スイス・中国両国は将来的な自由貿易実現の可能性に向けて、共同調査を開始した。
交渉
4月末北京にて、数回にわたる話し合いが開かれた。夏の終わりには、スイスにて開催される。スイス・中国調査団は、2009年下半期には実現に向けての交渉開始の可能性を示唆している。
スイスのチベット人社会
スイスとリヒテンシュタインは、ヨーロッパで最もチベット人を受け入れている国であり、その数は約4000人。アジア以外の地域ではこの2国だけが、チベット人民議会を有する。
移民の始まりは、1960年に遡 ( さかのぼ ) る。「スイスのチベット難民に、1000の家を」という、政府の承認を受け、スイス赤十字に支援された計画の下、トローゲンのペスタロッチ村に、20人の少年少女がやって来た。
1961年から1964年にかけて、158人のチベット人孤児が、スイス家庭に引き取られる。チベット人社会は1967年、西洋における初めてのチベット仏教寺院の建設をリコンにて開始した。
貼り付け元 <http://www.swissinfo.ch/jpn/news/swiss_and_the_world/detail.html?siteSect=126&sid=10984999&cKey=1248247423000&ty=st>;