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105年ぶりの墓参 光圀の師・朱舜水、子孫来日へ

日中友好の裏に 何が潜んでいるのであろうか?

105年ぶりの墓参 光圀の師・朱舜水、子孫来日へ 茨城

産経新聞 10月29日(土)7時55分配信
 徳川光圀の学問の師、朱舜水(しゅしゅんすい)の子孫が11月1~7日に来日し、水戸徳川家瑞龍山墓所常陸太田市瑞龍町)で105年ぶりに墓参する。朱舜水は光圀やその後の水戸学の思想に大きな影響を与えた儒学者。関係者は「貴重な機会で、歓迎したい」と話している。

 朱舜水は光圀に招かれ、亡くなるまで江戸藩邸で過ごした。水戸徳川家墓所に一族以外で墓がある唯一の人物で、光圀の尊敬の念の高さがうかがい知れる。その肖像は、徳川ミュージアム水戸市見川)の企画展「葵の系譜」(12月18日まで)で公開されている。

 水戸徳川家墓所は国指定史跡で通常は非公開。光圀が晩年を過ごした西山荘常陸太田市新宿町)とともに同ミュージアムが管理する。東日本大震災では一部の墓石が倒れたり石垣が崩れたりする大きな被害を受けたが、朱舜水墓所は石が崩れることはなかった。

 同ミュージアムによると、県中華人協会長で朱舜水を研究している常磐大の林和生教授が訪中調査の際、子孫の一人、朱育成氏(54)に会い、「ぜひ先祖の墓をお参りしたい」と言われたのがきっかけで話が進んだ。1906~08年に留学していた一族以来の墓参という。育成氏の家族ら4人と朱舜水の故郷、浙江省余姚(よよう)市関係者5人が来日。11月3日、朱舜水の墓を前に、儒教式の儀式にのっとり墓参する。

 日中友好協会の松丸勝二副会長は「来年の日中国交正常化40周年を前に時宜(じぎ)を得た徳川ミュージアムの英断。全面的に協力したい」と話している。

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【プロフィル】朱舜水

 しゅ・しゅんすい 1600~82年。中国の儒学者。江戸時代初期に来日、水戸藩主・徳川光圀に敬愛され、水戸学の思想に影響を与えた。清朝成立に伴い、明朝再興運動に参加し、救援を求めて来日したが、その後亡命。1665(寛文5)年、光圀に招聘(しょうへい)されて江戸に移住。水戸にも赴き、光圀の修史事業に参加した学者とも交流。光圀が日本で初めてラーメンを食べたとされるのも朱舜水が中華麺を献上したとの記録による。