パルデンの会

チベット独立と支那共産党に物言う人々の声です 転載はご自由に  HPは http://palden.org

初めは友好的に振る舞い、そのうち暴力的になる 既成事実を周到に積み重ね、不条理を条理とする 中国共産党政府

民主党が小沢を中心に中国詣でを行った3年前 すでに火はついていたのである。
日本人に染み込む 中国人の懐柔論法。

そして現状の中国の 覇権主義の実際は!


パナソニックも トヨタも 天安門の事件後の欧米が止めた 中国での投資を再開させた

立役者ではないか! これらの会社が投資を再開した事で 欧米が投資を再開し
今の中国がある。 

日本人はこの辺の 日本が行って来たことと、 それ以前から中国が

やってきたことをよく比較する必要がある。  
ODAと称して多くのお金が中国に流れた。

その結果が 反日教育南京虐殺尖閣以上の領海拡大、不法海洋船侵犯に海図作成

中国、大陸棚拡張を申請へ=日本の尖閣国有化に対抗

時事通信 9月16日(日)19時56分配信

 【北京時事】中国外務省は16日、東シナ海で領海の基線から200カイリを超えて延びている部分を大陸棚に設定する案を、国連海洋法条約に基づき、大陸棚限界委員会に申請すると決めたことを明らかにした。
中国側は東シナ海のガス田開発などに絡み、これまでも一貫して、沖縄県尖閣諸島(中国名・釣魚島)を含め、沖縄トラフまでを自国の大陸棚と主張している。同委員会は中国側から提出された情報を検討し、大陸棚拡張を認めるかどうか勧告する。 


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違法海洋調査船、違法海軍艦艇の侵入,通過をゆるした我が政府 自民党民主党よ!
中国は 日本人がパンダ、パンダという間に 違法に海底測量をして海図を作り、自分達の
領海を主張してきている。  しかし 名古屋、新潟、仙台、東京でも 中国がジワジワと 国の中に似非政治家、似非役人の手を借りて 中国領土を増やしている事実がある。
外から内から 日本に侵入してくる中国と その信望者たち!

日中友好というのは 「真っ赤な嘘」 という事を知って欲しい。
(特に 仙台市長! と 仙台市議会議長)


中国はいかにチベットを侵略したか
そして中国はいかに日本を侵略するか
チベットを弾圧する中国への支援を止めさせよう!

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マイケル・ダナム著『中国はいかにチベットを侵略したか』山際素男訳(講談社インターナショナル2006年。p.125p.127より抜粋)
読者は、なぜ、国際社会はこんな残虐行為を止めさせられなかったのか、少なくとも 大量虐殺に対して抗議の声を上げなかったのか、と疑問に思うだろう。答えは簡単だ。何も知らなかったのである。1950年代、外国のカメラマンもジャーナ リストもチベットには入国できなかったのだ。
 チベット人民蜂起の事実は、インド国境を越えて伝わってはこなかったのだ。何世紀もチベットを守ってきた鎖国は、20世紀になって最も忌まわしい悪夢を招いてしまったのである。
 1956年は、中共の約束事が耳をかす値打ちもない大嘘だったことがはっきりしたという点で、チベット人にとって忘れられない年だった。民主的改革?  土地改革? 援助? 進歩? それらはすべて、暴力、脅迫、飢餓、死にいい換えてみればずっと分かり易い。それが中共共産主義への道だった。チベットを 乗っ取り、完全にわが物にするのが中共側の目的だったのだ。これが毛沢東のいう「大家族の一員としてチベットを抱擁する」という意味であった。


ジョカン寺に掲げられる毛沢東肖像画

破壊される仏具、法具

さらし者にされる僧侶

公開懲罰にかけられる女性


 中共兵によって)妻、娘、尼僧たちは繰り返し強姦されまくった。特に尊敬されている僧たちは狙いうちにされ、尼僧と性交を強いられたりもした。ある僧院 は馬小舎にされ、僧たちはそこに連行されてきた売春婦と性交を強いられたりもした。あくまでも拒否した僧のある者は腕を叩き切られ、「仏陀に腕を返しても らえ」と嘲笑された。大勢のチベット人は、手足を切断され、首を切り落とされ、焼かれ、熱湯を浴びせられ、馬や車で引きずり殺されていった。アムドでは高 僧たちが散々殴打されて穴にほうり込まれ、村人はその上に小便をかけるよう命じられた。さらに高僧たちは「霊力で穴から飛び上がって見せろ」と中共兵に嘲 られ、挙句に全員射殺された。怯える子供たちの目の前で両親は頭をぶち抜かれ、大勢の少年少女が家から追われて中共の学校や孤児院に強制収容されていっ た。

貴重な仏像は冒涜され、その場で叩き壊されたり、中国本土へ持ち去られていったりした。経典類はトイレットペーパーにされた。僧院は馬や豚小舎にされる か、リタン僧院のように跡形もなく破壊されるかしてしまった。リタン省長は村人が見守る中で拷問され、射殺された。何千人もの村民は強制労働に駆り出さ れ、そのまま行方不明になっていった。僧院長たちは自分の糞便をむりやり食わされ、「仏陀はどうしたんだ?」と中共兵に嘲られた。

国際法曹委員会報告書は、「1956年終わり頃までに、ある地域でほとんどの男は断種され、女性は中共兵に犯され妊娠させられていった。ある村では25 人の富裕な村人が人びとの前で生きながら焼き殺された。また別の村では24人の親が、子供を中共の公立学校へ行かせるのを拒んだ罪で目に釘を打ち込まれ、 虐殺された」と記している。

恐怖政治は止むことなくつづき、漢中共はまったく新しい残酷社会をチベットじゅうに浸み渡らせていった。この残虐行為を止める者はおらず、もし地獄がこの世に存在するとしたら、それは正に1956年の東チベットそのものであった。

初めは友好的に振る舞い、そのうち暴力的になる
既成事実を周到に積み重ね、不条理を条理とする

これが彼らの常套手段だ。中国の侵略の実態。多くの民衆が多くの民衆が、手足を切断され、焼かれ、死んでゆく中、不気味な力に勇敢に立ち向かったチベットの戦士たちが伝える警告の書。-それはさながらこの世の地獄だった。
1956 年は、中共の約束事が耳をかす値打ちもない大嘘だったことがはっきりしたという点で、チベット人にとって忘れられない年だった。 民主的改革? 土地改 革? 援助? 進歩? それらはすべて暴力、脅迫、飢餓、死にいい換えてみればずっと分かり易い。それが中共共産主義への道だった。チベットを乗っ取 り、完全にわが物にするのが中共側の目的だったのだ。これが毛沢東のいう「大家族の一員としてチベットを抱擁する」という意味であった。妻、娘、尼僧たち は繰り返し強姦されまくった。特に尊敬されている僧たちは狙いうちされ、尼僧と性交を強いられたりもした。ある僧院は馬小舎にされ、僧たちはそこに連行さ れてきた売春婦との性交を強いられた。あくまでも拒否した僧のある者は腕を叩き切られ、「仏陀に腕を返してもらえ」と嘲笑された。(本文より)

中共チベット侵略と占領は二十世紀最大の悲劇の一つである。百万人以上のチベット人が殺され、仏教建築物、書籍、芸術品などほとんどが破壊し尽くされた。(ダライ・ラマ十四世・序文より)
内容(「BOOK」データベースより)
「初めは友好的に振る舞い、そのうち暴力的になる」中国の侵略の実態。既成事実を周到に積み重ね、不条理を条理とする。多くの民衆が、手足を切断され、焼かれ、死んでゆく中、不気味な力に果敢に立ち向かったチベットの戦士たちが伝える警告の書。