パルデンの会

チベット独立と支那共産党に物言う人々の声です 転載はご自由に  HPは http://palden.org

(パルデン師 健在)第54回チベット蜂起記念日:ダラムサラ



http://livedoor.blogimg.jp/rftibet/imgs/b/a/ba0de2e4-s.jpg1959年3月10日、ラサ、ノルブリンカ前に集まった群衆(Tibet Museum 資料)

昨日はチベット人にとって一年で一番重要な政治的行事が行われた日であった。54年前の3月10日、ラサのノルブリンカ前には数万人のチベット人が集まり、それぞれ自らの命よりも大事なダライ・ラマ14世を中国の手に落ちることから守ろうとした。これが所謂「1959年チベット蜂起」である。これに対しラサに侵攻していた中国軍は無差別砲撃をおこない、その日から数週間に渡り行われた戦闘により数万人のチベット人の命が奪われた。

http://livedoor.blogimg.jp/rftibet/imgs/a/f/afc66d80-s.jpgセンゲ首相は昨日の声明の始めに「今日、我々は献身的な先輩たちの勇敢な闘争に対し再度敬意を示すためにここに集まっている。チベットのために命を捧げたすべての人々へ賛辞を贈る。先輩たちが自由を得るために1959年3月10日に立ち上がったという歴史は、現在我々が行っている基本的自由、尊厳、アイデンティティーを求める闘いを導くかがり火である」と述べた。







中略 
パルデン師 お元気そうです


http://livedoor.blogimg.jp/rftibet/imgs/0/1/012efc43-s.jpg監獄33年のパルデン・ギャンツォさんも元気に先頭を切って歩かれていた。私に気付き、笑顔で挨拶して下さった。





後略


と、これで集会も終わりというころに、メディア仲間の間に大変なニュースが広まった。「誰かこの会場近くで焼身を図ったようだ」という。「火は点かなかったのか?誰だ?名前は?今、どこにいる?誰か写真を撮ったのか?」とちょっとした騒ぎとなった。現場にいた警官にも聞き、目撃者を探し出し話を聞いた。名前はダワ・ドゥンドゥップ、年齢30歳ということが分かった。私と友人のAP記者は彼が収容されているという病院にバイクを走らせた。

写真はTibet Timesに載っていた、ダワが焼身を行おうと、灯油を被り火を点けようとしたが、傍にいたチベット人たちがこれに気付き、すぐに灯油とライターを取り上げ、保護したというシーン。「もう数秒遅れていたら火が点けられていただろう」と目撃者は語った。ダワは「死なせてくれ!」と泣きながら訴えたという。

http://livedoor.blogimg.jp/rftibet/imgs/2/3/2364f52d-s.jpg病院に着くと、ダワは緊急患者入口の傍のベンチに警官に付き添われ、座っていた。彼は我々に続いて来たVOTのインタビューに答え始めた。彼はこの日に焼身することをかなり前から決心し、遺書も残したという。焼身が未遂に終わった事を悔しがり、涙を浮かべながら「チベットには自由がない。インドに亡命しても自由がない。ダライ・ラマ法王がチベットに帰還できるよう、何かどうしても行動しなければならないと思った」等と話した。

http://livedoor.blogimg.jp/rftibet/imgs/5/8/58ff3802-s.jpg灯油を身体にかけただけでなく、飲んだということで、病院で検査を受けた。

ダワ・ドゥンドゥップはラサ近郊の出身。2001年にインドに亡命した後、ソガスクールで数年学んだ。最近はマクロードガンジの路上でツァンパを売って生計を立てていた。焼身の絵を描かれている井早智代さんは彼と親交があったという。以下、彼女の話:「彼の両親は早くに亡くなっているときいた。今は身寄りのない92歳の老人と同居し、老人の世話をしている。とても優しい人で、いつもみんなに気を使い、何かと世話をやいてくれる。焼身者のことを悲しんでいたが、彼がそのような大それたことをするような人とは思ってもいなかった」と。

ダラムサラ焼身未遂が起ったのはこれが初めてである。他これまでに、デリーで2人、南インドで1人、ネパールで1人が焼身未遂している。何れの場合も回りにいた人がそれに気付き止めている。


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本土チベットではこの日カンゼ州セルシュ県ザチュカで3人の僧侶が法王の写真も張られた横断幕を掲げ、平和的デモを行った。まもなくして彼ら3人は警官に逮捕された。その時警官を阻止しようとした2人のチベット人も同じく逮捕されたという。