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■ウーセル連ツイート「アムドの一部僧院でダライ・ラマ法王の写真が許可されたことはグッドニュースか?」■
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*2008年3月、アムド地方ンガバのキルティ僧院。軍により傷つけられたダライ・ラマ法王の写真。
記事「中国のチベット政策に軟化のきざし」は本当か?新政策の裏に透けて見える本当の狙い(tonbani)」でご紹介した、チベット・アムド地方の一部地域の僧院でダライ・ラマの写真を飾ることが許されたとのニュースが波紋を広げている。
上述記事で指摘したとおり、許可はごく一部の地域に限定されたものであり、また愛国再教育などの締め付けも続行されているなか、中国政府の政策変更、態度軟化と受け止めるのは時期尚早というものであろう。
だがチベット人の一部にはこのニュースに期待を抱いている者もいるようだ。北京在住のチベット人作家ツェリン・ウーセル氏はツイッターでこの問題について見解を述べ、楽観論を戒めている。
■ツェリン・ウーセル氏のつぶやき
訳:うらるんた
◆「グッドニュース」をつかまえようとするチベット人たち
weiboやwechatではたくさんのチベット人が「グッドニュース」とも思える話をつかまえようと情報が入り乱れている。3日前、ダラムサラの「ボイス・オブ・チベット」などのメディアが、青海省海南州でチベット仏教寺院にダライ・ラマ法王の仏教肖像画を奉じることが許可された、と報じた。その報道の内容が正確かどうか、また証拠とされる文書の画像が本物かどうかをさておいても、その報道自体がトバシ気味といえる。ある地方の一つの州からもたらされた部分的な情報をもって「中国共産党がチベット仏教寺院にダライ・ラマ法王肖像の奉戴を許可」とは。
21日、「釣り見出し」を得意とする米国の中国語ウェブサイト「多維新聞網」もまた、話をすり替えて報じた。曰く「ダライ・ラマ肖像が公式に掲揚可能に中国共産党の政策転換」。青海省の一部の海南州の公文書がその県内のチベット仏教寺院に対して寺院内に法王の肖像画を掛けることを許可したことを、まるでチベット全土(チベット自治区と四川省と青海省と甘粛省と雲南省のいわゆるチベットエリア)すべてで「オープンに掲揚することが」できるようになったかのように話を広げた。いくら多維新聞網が好き放題メディアだといえ、この公文書を公開して、言葉通り「目で見たものは確実」としてほしいものだ。
現在のところ、全チベットエリア(中国の行政区分においては5つの省と自治区にまたがる)のうち、ただ青海省海南州というこの一つの州だけで、ダライ・ラマ法王肖像を奉戴してよいという公文書が出たと伝えられている。しかし誰がこの噂に伝わる謎の文書を実際に見たのだろう? その他のチベットエリアに至っては依然として元のままだ。例えばチベット自治区で、あえてダライ・ラマ法王の仏教肖像画を奉戴しておおごとを引き起こそうとする人がいるものだろうか? この目で見て確認できないものごとは、衝動的に突き動かされるいかなる行為も「釣り上げられる」(罠に引っかけられる)可能性がある。誰かに金で売られる手口には決してならないよう。
◆中国当局に自らの「間違い」を認めることができるだろうか?
仮に、当局がもし本当にダライ・ラマ法王の肖像画奉戴をチベット人に許したのだとしたら、これまでのあらゆる手練手管を使った法王批判を修正して、「ダライ・ラマは国家分裂をたくらむならず者ではない」「ダライ・ラマは国家の敵ではない」と弁解し直さなければいけなくなるのではないだろうか? そんなことが可能なのだろうか? ダライ・ラマ法王肖像の奉戴の厳禁政策は、西蔵自治区においては1995年から始まっている。 その当時から現在に至るまでの、(当時チベット自治区に赴任していた)少なくない官僚が偉くなって北京に昇進し国家権力を握っている現在になって、「彼らが間違っていました」などと言えるのだろうか? そんなことが可能なのだろうか?
全チベットエリアのモデルとされるチベット自治区では、一昨年末に「九有(九つが揃う)」プロジェクトが大々的に実施された。すべての寺院、すべての農家、すべての畜産農家に五星紅旗(中国の赤い国旗)を高く掲げさせるだけでなく、中国共産党の代々のリーダーの肖像まで掲げさせ、断れば政治的な問題となった。最近になってもまだ、一糸乱れず掲げ続けているかどうかのチェックが行われている。しかしながら一方で今回報じられた「緩和政策」がなされるのだとしたら、寺院や家庭やらに、ダライ・ラマ法王の肖像と中国共産党政治リーダーの肖像画が仲良く並んで高く掲げられるというものすごくシュールな状況が想定されるわけだが、そんなことが可能なのだろうか?
ある体制内チベット知識人はweiboで次のように発言し警鐘を鳴らした。「目下もたらされるいくつかの知らせについては慎重に受け止めるべきだ。また軽々しく『希望をぶちこわす』という希望についてやりとりするべきでもない。世論形成の関係会合に出席したことがある身として総じて感じているのは、ネット上で交わされているような明らかな開放に向かう予兆はどこにもないということだ。善意が解き放たれることと鳴り物入りでの登場が同時に進み、一般人の各階層にあっという間に行き渡って興奮状態になるのは心配だ。」私はこの意見に同意する。先人の轍を踏むことが多すぎる。
◆チベット人は楽観的すぎてダメになり、漢人は疑い深すぎてダメになる
私は昨日、ドイチェ・ヴィレ(ボイスオブドイツ)にこうコメントした。「中国の体制側報道によれば、250万元を費やしてダライ・ラマ14世の生家を補修するという。また別の情報では、青海省海南州の寺院でダライ・ラマ法王の肖像を掲げることが許され始めたらしい。これらは、外部社会に対して、中国共産党のチベット政策によい変化が生じつつあるのではという印象を与えているようだ。しかし、私はこれが中国共産党の作り出した一局面ではないかと心配している。チベット亡命政府は(中国政府との)対話のきっかけを探しているからだ。しかし、私としては、譲るべきでない一定のラインは(亡命政府に)堅守して欲しい。」
チベットにはこんなことわざがある。『チベット人は楽観的すぎてダメになり、漢人は疑い深すぎてダメになる。』 このことわざが、いつどんなシチュエーションで、どのような出来事を下敷きにして生まれたのか、私は知らない。ただ知っているのは、多くのチベット人がこの言葉を口に出すとき、自嘲気味に、しかたないなあというニュアンスで、思わせぶりに言う、ということだ。この半世紀というもの、いつもいつも繰り返し言い続けることで、このことわざはだんだんと現実になってきてしまった。ただ、後悔先に立たず。私が願うのは、悲劇が繰り返されませんように、ということだけだ。
なにがなんでも、こういう時には、冷静になるだけでなく、観察し、事実を確かめ、慎重に時を待たなければならない。決して盲目的な楽観視をしてはならない。あげく、ある局面においては動きが取れない状況に身を置くことにならざるを得ないかも知れないが、これは歴史的にも先人の轍を踏むべきでない(「前人の失敗が後人の戒めとなる」ことが)あまりにも多すぎるのだ。たった数年前にも、北京オリンピックのために計画された国際的な広報活動の一環としての「チベット・中国会談」があったが、最終的には殺気立った雰囲気で終了した。あれも同じ失敗を二度と繰り返さないための教訓だ。あれほど傷つけられた痛みも忘れてしまったのだろうか? かなしむべき、あわれむべき同胞たちよ!
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