小保方さんの会見は“起死回生”か“火に油”か?
著名人の騒動に学ぶ「大損しない謝り方」の極意
STAP細胞騒動を巡る小保方晴子さんの会見は、一般人としては異例とも言えるほどの注目を集めた。今年に入ってから、疑惑や失言に対する謝罪・弁明を余儀なくされる著名人が目につくが、それらが適切ではなかったため、余計に物議を醸してしまった人も少なくない。「謝罪」は、時として火に油を注ぐ導火線になる一方で、相手との信頼関係をより強める起死回生策にもなり得る。あなたは常日頃から、適切な謝り方を身に付けているだろうか。著名人の騒動を教訓にしながら、「大損をしない謝り方」について考えてみよう。(取材・文/プレスラボ・小川たまか)
「立派だった」「同情を買う作戦」
賛否が分かれた小保方さんの会見
フジテレビ系が昼のバラエティを深夜にずらして特番を組み、テレビ朝日はワイドショーの放送枠を拡大。NHKも通常の番組を変更して会見開始から生中継を行うなど、キー局がこぞって生中継を行う「特例」扱いの会見となった。中継を行った「ニコニコ生放送」は、平日の昼下がりにもかかわらず、のべ56万人ものユーザーが視聴したという。
STAP細胞の存在そのものにまで疑義が広がっていることもあり、会見の内容については賛否が分かれた。小保方さんが自らの非を認めた姿勢について、「謝罪したのだから、もう責めるべきではない。頑張れ」「堂々と出てきて立派だった」といった肯定的なものから、「泣きまねで同情を買っているのでは」「自分の論文の不備が発端なのに、理研に不服を申し立てるのは筋が違う」といった辛辣なものまで様々だ。
理研の責任も問われるなか、「小保方会見」の真の評価については今後の騒動の行方を見る必要があるが、著名人の不祥事などがあったとき、今回のような会見が行われることは珍しくない。また、正式な会見は開かずとも、疑惑や失言などによる批判に対して、当事者が後日、メディアの前で改めて謝罪・弁明などを行うこともある。
相次ぐ著名人の疑惑や失言
事後対応はそれでいいのか?
たとえば著名人の「疑惑」については、STAP騒動とよく比較されるのが、作曲家の佐村河内守氏がゴーストライターを使って作曲していたことが発覚した騒動である。3月初旬に行われた佐村河内氏の謝罪会見では、「迷惑をかけた」などという謝罪の言葉があったものの、告発者を「訴える」という発言や、記者とのやり取りに対して感情的になってしまった場面が「逆ギレ」として取り上げられ、多くの視聴者にネガテイブな印象を与えてしまった。
またカネの疑惑では、有名政治家の失脚が続いた。選挙前に医療法人から5000万円を借り入れていた猪瀬直樹・前東京都知事、同じく化粧品販売会社から8億円を借り入れていたみんなの党の渡辺善美代表が、収支報告書への未記載を指摘され、公職選挙法、政治資金規正法などの違反を疑われたのだ。
両者とも「個人での借り入れ」を主張していたが、先日猪瀬氏は前言を翻して選挙資金目的であったことを大筋で認め、略式起訴が決まった。渡辺氏についてはいまだ真相が解明されていないが、騒動のけじめをつける意味で党の代表を辞任している。いずれも疑惑が浮上してからの弁明では、借りたカネの使い道に詳しく触れないなど、要領を得ない印象を世間に与え、自らのイメージをより悪くしてしまった観がある。
同じく橋下徹・大阪市長は、先日地元の企業経営者らが参加したシンポジウムで、御堂筋界隈の規制緩和について、「高層ビルはレジデンスをオーケーにした。みなさん、愛人を2、3人住まわせてください」と呼びかけたことをメディアに批判されると、「冗談もシャレもわからないなら、これから一切報道陣を呼びません」と不快感を露わにした。彼らの弁明・反論は、「誠意が感じられない」などと世間で物議を醸した。
著名人の弁明・謝罪を教訓に
自分の「謝り方」を見直そう
自分がもし、「テレビで見かけるような公の場で、謝罪をしなければならない立場になったら」と想像したら、ゾッとする読者も多いだろう。しかし、テレビに映る著名人の対応の巧拙は見抜けても、自分が普段行なっている謝罪の仕方については、意外に客観分析することが難しいものだ。
著名人と違い一般人の場合は、自分が何かミスをしてしまったところで、世間一般に向けてお詫びをする必要は、ほとんどの場合においてない。当事者同士で解決をすればいいだけだ。しかしやり方を一歩間違うと、さらに自分の評価を落とし、仕事やプライベートで大損しかねないリスクは同じだ。そうならないために必要となるのが、「謝罪のスキル」である。
そこで今回は、著名人の騒動を教訓にしながら、「損をしない謝り方」について考えてみよう。自分に身に覚えのないことで責められている場合は別として、自分に過失がある場合、人は謝らなければならない。相手に不快な気持ちをさせてしまったのだから当然だが、謝罪の意思がうまく伝わるか、気持ちよく許してもらえるかは謝り方次第だ。
あなたにも、仕事やプライベートでの人付き合いにおいて、すっきりしない謝罪を受けた経験があることだろう。逆に、誠実な謝罪を受けたことによって、むしろ相手との信頼関係が深まったという経験はないだろうか。はじめに、社会人たちに「ナシな謝罪」と「アリな謝罪」を聞いてみた。
「笑いながら謝罪」「言い訳する」
みんなが許せない不適切な謝り方
「ミスをしたとき、なぜミスをしたのか聞いても『申し訳ありませんでした』の一点張りの部下。こちらは怒っているわけではなく、『なぜミスをしたのか』『今後同じミスをしないためにはどうするべきなのか』を自分で考えてほしいから聞いているだが……。単に『申し訳ありませんでした』と言うのは、子どもでも言える」(30代・男性/不動産)
「誠実さ」「スピーディ」
相手の心に“刺さる”謝り方
「後輩の女性で、ミス→謝罪→今後どうするべきか自分なりの考えを述べる→上司にも考えを聞く→最後は笑顔で『ご指導ありがとうございました』と言う子がいる。彼女のミスを叱ることもたまにあるけれど、こちらが嫌な気持ちにならない『受け止め方』をしてくれるので、とても楽」(40代・女性/放送)
プライベートでもビジネスシーンでも、まずは誠実さを求められるということは間違いない。その上でビジネスシーンでは、「言い訳をしたりウソをつかない」「相手に謝罪の姿勢を伝えるためには、大げさなまでの演技も時には必要」「スピードが求められる」といったポイントもあるようだ。
時には2割増しくらいで罪をかぶれ
石原壮一郎流「大損しない謝り方」
「謝罪というのは、『これ以上この人を責めたら、自分が大人げない』と相手に思わせたら成功です。そのためには潔く謝らなければならないし、自分の過失が明らかなのであれば、場合によっては2割増しくらいで罪をかぶるくらいの覚悟で謝ることが必要です。たとえば、相手にまだバレていないミスも白状するとか」
同様に、「謝ると不利になる」と考えるタイプの人もなかにはいる。しかし前段で述べたように、一般社会は裁判の場ではない。きちんと謝罪を行わないことで相手が根負けし、表向きは「言い分を認めさせた」ように見えても、裏では呆れられ、「誠実ではない人物」という烙印を押され、周囲に吹聴されていることもある。本当に怖いのは、自分を怒ってくる人ではなく、自分を無視する人だということは、ある程度社会人経験がある人ならわかるだろう。
ピンチをチャンスに変えろ!
謝罪は距離を縮める絶好の機会
「謝罪は、相手に対して『自分は誠実な謝罪ができる人間』『信用に足る人間だ』ということをアピールし、相手との距離を縮められる機会でもあります。たとえば、社会人でメールのやり取りを頻繁に行う人であれば、まだそれほど親しくない相手の名前を間違えてしまったり、自分の名前を間違えられたりという経験がある人も多いと思います。
私もよく『石井壮一郎』とか、『石原総一郎』とか間違われることがありますが、『石井』と間違われたときに、相手の方から謝罪に加えて『尊敬する先輩で石井さんという方がいまして、つい間違えてしまいました』と言われたことがあります。ウソだったとしても、気が利いているなと思いました」
「謝罪される側」の心構えも大事
ミスを犯してもきっと復活できる
たとえば、歌舞伎役者の市川海老蔵さん。2010年に酒の席での事件で謝罪会見を行い、その場ではかなり責められた。しかしその後、真摯な姿勢を貫き、ブログなどで家庭的な姿をアピールしたこともあって、好感度が上昇。「自由人」というキャラクターは変わらないものの、以前のやんちゃなイメージを払拭するまでになっている。