パルデンの会

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小保方さんの会見は“起死回生”か“火に油”か

【第489回】 2014年4月11日 小川 たまか [編集・ライター/プレスラボ取締役]

小保方さんの会見は“起死回生”か“火に油”か?
著名人の騒動に学ぶ「大損しない謝り方」の極意

STAP細胞騒動を巡る小保方晴子さんの会見は、一般人としては異例とも言えるほどの注目を集めた。今年に入ってから、疑惑や失言に対する謝罪・弁明を余儀なくされる著名人が目につくが、それらが適切ではなかったため、余計に物議を醸してしまった人も少なくない。「謝罪」は、時として火に油を注ぐ導火線になる一方で、相手との信頼関係をより強める起死回生策にもなり得る。あなたは常日頃から、適切な謝り方を身に付けているだろうか。著名人の騒動を教訓にしながら、「大損をしない謝り方」について考えてみよう。(取材・文/プレスラボ・小川たまか)

「立派だった」「同情を買う作戦」
賛否が分かれた小保方さんの会見

 一般人の会見としては、まさに異例のヒートアップぶりだった。
STAP細胞の論文疑惑を巡って説明責任を問われていた理化学研究所発生・再生科学総合研究センター 細胞リプログラミング研究ユニットの小保方晴子・研究ユニットリーダーが満を持して会見を開いたのは、さる4月9日のこと。

 フジテレビ系が昼のバラエティを深夜にずらして特番を組み、テレビ朝日はワイドショーの放送枠を拡大。NHKも通常の番組を変更して会見開始から生中継を行うなど、キー局がこぞって生中継を行う「特例」扱いの会見となった。中継を行った「ニコニコ生放送」は、平日の昼下がりにもかかわらず、のべ56万人ものユーザーが視聴したという。

 2時間半の会見のなかで、渦中の研究者は自らを「不勉強」「不注意」などとして謝罪を行う一方、理化学研究所に指摘された悪意ある「改ざん」や「ねつ造」は断じてないことを強調し、不服を表明した。

STAP細胞の存在そのものにまで疑義が広がっていることもあり、会見の内容については賛否が分かれた。小保方さんが自らの非を認めた姿勢について、「謝罪したのだから、もう責めるべきではない。頑張れ」「堂々と出てきて立派だった」といった肯定的なものから、「泣きまねで同情を買っているのでは」「自分の論文の不備が発端なのに、理研に不服を申し立てるのは筋が違う」といった辛辣なものまで様々だ。

理研の責任も問われるなか、「小保方会見」の真の評価については今後の騒動の行方を見る必要があるが、著名人の不祥事などがあったとき、今回のような会見が行われることは珍しくない。また、正式な会見は開かずとも、疑惑や失言などによる批判に対して、当事者が後日、メディアの前で改めて謝罪・弁明などを行うこともある。

相次ぐ著名人の疑惑や失言
事後対応はそれでいいのか?

 そのとき注目されるのは、どんな風に謝るか、弁明するかだ。その巧拙いかんによっては、当事者がさらにバッシングを受けることもある。

 たとえば著名人の「疑惑」については、STAP騒動とよく比較されるのが、作曲家の佐村河内守氏がゴーストライターを使って作曲していたことが発覚した騒動である。3月初旬に行われた佐村河内氏の謝罪会見では、「迷惑をかけた」などという謝罪の言葉があったものの、告発者を「訴える」という発言や、記者とのやり取りに対して感情的になってしまった場面が「逆ギレ」として取り上げられ、多くの視聴者にネガテイブな印象を与えてしまった。

 またカネの疑惑では、有名政治家の失脚が続いた。選挙前に医療法人から5000万円を借り入れていた猪瀬直樹・前東京都知事、同じく化粧品販売会社から8億円を借り入れていたみんなの党の渡辺善美代表が、収支報告書への未記載を指摘され、公職選挙法政治資金規正法などの違反を疑われたのだ。

 両者とも「個人での借り入れ」を主張していたが、先日猪瀬氏は前言を翻して選挙資金目的であったことを大筋で認め、略式起訴が決まった。渡辺氏についてはいまだ真相が解明されていないが、騒動のけじめをつける意味で党の代表を辞任している。いずれも疑惑が浮上してからの弁明では、借りたカネの使い道に詳しく触れないなど、要領を得ない印象を世間に与え、自らのイメージをより悪くしてしまった観がある。

 これらとは次元が違うケースではあるが、「失言」の事後対応の拙さが取り沙汰される著名人も多い。籾井勝人NHK会長は、従軍慰安婦問題や領土問題についての失言に対して批判を受けた後、開き直りとも取れる弁明を行った。

 同じく橋下徹大阪市長は、先日地元の企業経営者らが参加したシンポジウムで、御堂筋界隈の規制緩和について、「高層ビルはレジデンスをオーケーにした。みなさん、愛人を2、3人住まわせてください」と呼びかけたことをメディアに批判されると、「冗談もシャレもわからないなら、これから一切報道陣を呼びません」と不快感を露わにした。彼らの弁明・反論は、「誠意が感じられない」などと世間で物議を醸した。

 このように、起死回生を図るどころか、火に油を注ぐような言動をとってしまう著名人も少なくないのである。むろん、一般人とは抱えている問題の重さが違うが、不利な立場に陥った著名人の言動からは、我々と何ら変わることのない「1人の人間」の素顔が垣間見える。

著名人の弁明・謝罪を教訓に
自分の「謝り方」を見直そう

 自分がもし、「テレビで見かけるような公の場で、謝罪をしなければならない立場になったら」と想像したら、ゾッとする読者も多いだろう。しかし、テレビに映る著名人の対応の巧拙は見抜けても、自分が普段行なっている謝罪の仕方については、意外に客観分析することが難しいものだ。

 著名人と違い一般人の場合は、自分が何かミスをしてしまったところで、世間一般に向けてお詫びをする必要は、ほとんどの場合においてない。当事者同士で解決をすればいいだけだ。しかしやり方を一歩間違うと、さらに自分の評価を落とし、仕事やプライベートで大損しかねないリスクは同じだ。そうならないために必要となるのが、「謝罪のスキル」である。

 そこで今回は、著名人の騒動を教訓にしながら、「損をしない謝り方」について考えてみよう。自分に身に覚えのないことで責められている場合は別として、自分に過失がある場合、人は謝らなければならない。相手に不快な気持ちをさせてしまったのだから当然だが、謝罪の意思がうまく伝わるか、気持ちよく許してもらえるかは謝り方次第だ。

 あなたにも、仕事やプライベートでの人付き合いにおいて、すっきりしない謝罪を受けた経験があることだろう。逆に、誠実な謝罪を受けたことによって、むしろ相手との信頼関係が深まったという経験はないだろうか。はじめに、社会人たちに「ナシな謝罪」と「アリな謝罪」を聞いてみた。

「笑いながら謝罪」「言い訳する」
みんなが許せない不適切な謝り方

 まずは、相手を不快にさせてしまう「ナシ」な謝罪の例。
「新人の男性社員で、ミスをしたときに『ごめんなさい』と言う後輩がいました。『ごめんなさい、じゃなくて申し訳ありませんだよ』と教えたのですが、なぜか『えへへ……』と笑っているだけで、気持ち悪かったです」(20代・女性/広告)
「後輩の連絡ミスで取引先からクレームが入ったとき、それを本人に伝えたら、憮然として『一応謝りますけど、僕、伝えましたよ』とひとこと。言い分があるにしても、そんな言い方をしてしまってはおしまい」(30代・男性/IT)

「ミスをしたとき、なぜミスをしたのか聞いても『申し訳ありませんでした』の一点張りの部下。こちらは怒っているわけではなく、『なぜミスをしたのか』『今後同じミスをしないためにはどうするべきなのか』を自分で考えてほしいから聞いているだが……。単に『申し訳ありませんでした』と言うのは、子どもでも言える」(30代・男性/不動産)

「結構重大なミスなのに、上司から笑いながら謝られるとムカつきます」(20代・女性/出版)
「長文メールでの謝罪。謝ってはいるものの、まわりくどくて、ところどころに言い訳が入っていたりすると、読む気が失せる」(30代・女性/IT)
「取引先に謝罪に行く際、手ぶらで行った知人の男性がいる。礼儀知らずというか、命知らずというか……」(40代・男性/PR)
 ビジネスシーンではなくプライベートの場合だと、こんな困った「謝り方」もあるようだ。
「彼女とケンカしたとき、相手が逆ギレしながら『はいはい、ごめんね』。余計に腹が立つし、挑発のようにしか思えない」(20代・男性)
「『私も悪かったけど……』と言って、そのあと延々と相手を叱責する女性。絶対自分が悪いとは思ってない」(20代・男性)
「口だけで行動が伴わない謝罪は、腹が立ちます。たとえば、夫が浮気をやめないとか、育児・家事に協力しないとか」(40代・女性)

「誠実さ」「スピーディ」
相手の心に“刺さる”謝り方

 次に、相手に誠意を感じさせる「アリ」な謝罪とはどのようなものだろう。こちらもビジネスシーンとプライベートシーンの両方について聞いた。まずはビジネスシーンから。
「言い訳せずに素直に頭を下げる。それしかない」(40代・男性/金融)
「感情が表に出にくい部下には、『取引先に謝罪する場合は、白々しく見えるくらい大げさに謝れ』と言っている。そうしないと、ふてくされているようにも見えてしまうため」(30代・男性/IT)
「ウソをついたりごまかしたりしないこと。あとは、『どうせ説明してもわかってもらえない』と諦めるのではなく、どういった経緯で失敗してしまったのかについて、言葉を尽くすこと」(30代・女性/出版)

「後輩の女性で、ミス→謝罪→今後どうするべきか自分なりの考えを述べる→上司にも考えを聞く→最後は笑顔で『ご指導ありがとうございました』と言う子がいる。彼女のミスを叱ることもたまにあるけれど、こちらが嫌な気持ちにならない『受け止め方』をしてくれるので、とても楽」(40代・女性/放送)

「相手が怒って怒鳴ったり、説教しているときは、とにかく言い返さずに聞いてから謝る。こちらから謝罪に出向くときは、相手がいいというまでとにかく頭を下げる」(40代・男性/住宅)
 プライベートシーンではどうだろう。
「恋人同士の謝罪には、ときにはウソも必要。謝罪のつもりで全て本当のことを言うと、余計相手を傷つけることがある」(30代・男性)
「ビジネスでは、早期の問題解決のために一点集中で謝罪しなければいけないけれど、プライベートでは時として、時間をかけて謝罪することも必要」(40代・男性)
「恋人とのケンカでは、相手の怒りに対して『どうして?』と思うこともあるけれど、いったん相手の気持ちになって考えて謝ることが大事」(20代・女性)

 プライベートでもビジネスシーンでも、まずは誠実さを求められるということは間違いない。その上でビジネスシーンでは、「言い訳をしたりウソをつかない」「相手に謝罪の姿勢を伝えるためには、大げさなまでの演技も時には必要」「スピードが求められる」といったポイントもあるようだ。

時には2割増しくらいで罪をかぶれ
石原壮一郎流「大損しない謝り方」

 では、「大損しない謝り方」を身に着けるには、日頃からどんなことを心がけるべきなのだろうか。
「中途半端だったり、逃げ腰だったりする謝罪は逆効果になりかねない」と指摘するのは、コラムニストで『大人力検定』などの著書を持つ、石原壮一郎さん。その理由を、石原さんはこう説明する。

「謝罪というのは、『これ以上この人を責めたら、自分が大人げない』と相手に思わせたら成功です。そのためには潔く謝らなければならないし、自分の過失が明らかなのであれば、場合によっては2割増しくらいで罪をかぶるくらいの覚悟で謝ることが必要です。たとえば、相手にまだバレていないミスも白状するとか」

 中途半端で、過失を一端であっても誰かの責任にしようとする姿勢が見えた途端、それは相手にとって「付け入る隙」となる。議論の余地、追及する余地を与えてしまうのだ。
 謝る側が言い訳をする心理の背景には、「少しでも自分の罪を軽くしよう」という意識があると推測できるが、裁判ではない一般社会の場での「弁明」は、相手の心証を悪くし、結果的に自分を追い詰めることの方が多いだろう。
 罪を軽くするための弁明が、結果的に罪を「許されないもの」にしてしまう場合があるのだ。感情に任せて言わなくてもいいことを言ってしまわないよう、気を付けよう。

 同様に、「謝ると不利になる」と考えるタイプの人もなかにはいる。しかし前段で述べたように、一般社会は裁判の場ではない。きちんと謝罪を行わないことで相手が根負けし、表向きは「言い分を認めさせた」ように見えても、裏では呆れられ、「誠実ではない人物」という烙印を押され、周囲に吹聴されていることもある。本当に怖いのは、自分を怒ってくる人ではなく、自分を無視する人だということは、ある程度社会人経験がある人ならわかるだろう。

ピンチをチャンスに変えろ!
謝罪は距離を縮める絶好の機会

 また石原さんは、「謝罪のときこそ絶好のチャンスでもある」と話す。

「謝罪は、相手に対して『自分は誠実な謝罪ができる人間』『信用に足る人間だ』ということをアピールし、相手との距離を縮められる機会でもあります。たとえば、社会人でメールのやり取りを頻繁に行う人であれば、まだそれほど親しくない相手の名前を間違えてしまったり、自分の名前を間違えられたりという経験がある人も多いと思います。

 私もよく『石井壮一郎』とか、『石原総一郎』とか間違われることがありますが、『石井』と間違われたときに、相手の方から謝罪に加えて『尊敬する先輩で石井さんという方がいまして、つい間違えてしまいました』と言われたことがあります。ウソだったとしても、気が利いているなと思いました」

 石原さんは、ユーモアがあって温厚な人柄で知られるコラムニストであるだけに、名前を間違えてしまった相手も、『ユーモアを込めた謝罪が刺さる』と思ったのかもしれない。相手の性格を見極めた謝罪が、成功した例なのだろう。
「謝罪の仕方で、その人の5年後がわかる」(石原さん)と言うが、確かに窮地に立たされ、その場をどう乗り切るかに、その人の人間性は表れる。逃げてしまったり、自分の非を認められなかったりする人は、そのツケをどこかで払わなければいけなくなるのだろう。

「謝罪される側」の心構えも大事
ミスを犯してもきっと復活できる

 もちろん、同時に「謝罪される側」の心構えも大事だ。相手に誠実な謝罪を受けたのであれば、そのときは受ける側の寛大さも試されている。謝罪を突っぱねたり、いつまでも過失に文句を言い立てることがあれば、今度は自分の信頼を失ってしまうかもしれない
 謝罪の場面には緊張感がある。ともにその場の緊張感を味わった者同士だからこそわかり合えることもある。謝罪の場から立ち直る機会も、案外与えられているものだ。

 たとえば、歌舞伎役者の市川海老蔵さん。2010年に酒の席での事件で謝罪会見を行い、その場ではかなり責められた。しかしその後、真摯な姿勢を貫き、ブログなどで家庭的な姿をアピールしたこともあって、好感度が上昇。「自由人」というキャラクターは変わらないものの、以前のやんちゃなイメージを払拭するまでになっている。

 日本は一度失敗した人、ミスを犯した人が復帰できない社会ではないはずだ。再挑戦が許される社会であり続けるために、失敗したときには真摯に謝り、また身近な人の謝罪を許すことができる度量を身に着けたい。
 著名人の謝罪や弁明のニュースを見るにつけ、時にはそんなことも考えてみよう。あなたが普段行っている謝罪は、“起死回生”につながるものか、それとも“火に油”を注ぐだけのものだろうか?