パルデンの会

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ゲシェーになった男・多田等観(ただとうかん)

秋田魁新報社 Copyright© 2014 AKITA SAKIGAKE SHIMPO

地方点描:ゲシェー[社会部]

 県立博物館(秋田市金足)で開催中の企画展示「ゲシェーになった男・多田等観(ただとうかん)」に足を運んだ。チベット仏教研究者の多田が現地から持ち帰った書物や、家族から借り受けた初公開の釈迦(しゃか)如来像など約70点が並ぶ。会場では多田が秋田市で1963年に行った講演を収録したCDが流されており、秋田なまりに親近感を覚えた。

多田は1890年、同市土崎港の西船(さいせん)寺に生まれた。修行していた西本願寺(京都)の命を受け、チベットに渡ったのは1913年。経由地のブータン鎖国状態だったため、日本人であることを気取られないようはだしでヒマラヤ山脈を越えたという。チベットに23年まで滞在し仏教の研究に打ち込み、教典など約2万4千点の資料を持ち帰り、67年に76歳で亡くなった。

9月下旬に行われた国民文化祭事業「探検家、冒険家を育んだ秋田魂(スピリット)と南極探検に挑んだ白瀬矗(のぶ)」の展示でも、多田の業績が紹介された。企画したNPO法人白瀬南極探検100周年記念会の理事・加賀谷長之さん(78)は「多田らの先取の気概は、本県の厳しい気候風土で育まれた。先人の活躍を知り、人生の活力にしてほしい」と話す。

県立博物館の企画展示のタイトルにある「ゲシェー」は、チベット仏教の最高学位・仏教哲学博士の意。展示パネルにある「物を覚えることが学問ではなく、覚えたことを実行し体験することが真の学問だ」との一文は心に響く。100年前に過酷な旅に挑んだ多田の足跡は今を生きる人々の探求心、冒険心を刺激することだろう。企画展示は11月30日まで。

(2014/10/31 付)





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二楽荘は、神戸・六甲山の山麗に、明治42(1909)年西本願寺第22世宗主・大谷光瑞師が建てた別邸です。六甲山麓にひときわ目立った二楽荘は、建築家・建築史家である伊東忠太も「本邦無二の珍建築」と評した建物で、日本初と言われるケーブルカーも軌道していました。
二楽荘では、武庫仏教中学や私設の気象観測所が設けられ、マスクメロンの栽培も行われていました。さらに、インド・中央アジア等への仏蹟調査(大谷探検 隊)の資料は、隊員たちの手で整理・研究され、公開もされていました。まさに二楽荘は、博物館機能を兼ね備えた総合学術研究センターでした。しかし、昭和 7(1932)年惜しくも焼失に至りました。
今回の特別展は、大谷探検隊の隊員たちの諸活動にスポットをあて、近年発見された多くの資料から、二楽荘の全貌を明らかにします。
(1) 大谷探検隊とその隊員たち
(2) 須磨月見山別邸から六甲二楽荘へ
(3) 二楽荘の建築
(4) 二楽荘における事業
(5) 二楽荘の閉鎖、そして焼失
(6) 大谷光瑞師の将来展望
2014年10月4日(土)~11月30日(日)
休館日:月曜日(ただし月曜日が祝日の場合は開館、翌火曜日休館、11月25日(火)は開館)
午前10時~午後5時
※最終入館受付は4時30分まで
○一般       1,000(800)円
○高校・大学生   700(500)円
○小・中学生     300(200)円
前売り券は、ローソンチケット(Lコード:59438)、CNプレイガイド、主要なコンビニエンスストアファミリーマートセブンイレブンサークルKサンクスミニストップ)などで、8月12日(火)~10月3日(金)に販売。