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ダライ・ラマと会談へ 米高官、中国けん制

やはり アメリカ西海岸から 直接インドに向かわれたのは理由があったのだ!!


2014.11.13 17:49
更新 産経新聞


ダライ・ラマと会談へ 米高官、中国けん制

 米政府のチベット問題特別調整官を務めるスーウォル国務次官が15日に、チベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ14世とインド北部ダラムサラで会談することが分かった。ダラムサラにあるチベット亡命政府の関係者が13日、明らかにした。
 米国のオバマ大統領は11、12両日、北京で中国の習近平国家主席と会談したばかり。オバマ氏は首脳会談で「中国の少数民族などの人権問題で米国は自由を重視する」と述べており、米側には、人権状況の改善に向け中国をけん制する狙いがあるとみられる。
 スーウォル氏は15日、亡命政府のロブサン・センゲ首相とも会談する。米国務省の発表によると、インドやネパールの亡命チベット族の公衆衛生向上に320万ドル(約3億7千万円)の支援を表明する。(共同

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http://www.sankei.com/images/news/140918/wor1409180055-n1.jpg【中印首脳会談】会場周辺でチベット族が抗議活動 ダライ・ラマ氏「インドにとっての問題でもある」

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米国:調整官、チベット政府訪問へ 人権重視を強調

毎日新聞 2014年11月12日 21時32分(最終更新 11月12日 21時43分)

 【ニューデリー金子淳】米国務省でチベット問題特別調整官を務めるサラ・スウォール次官は15日、インド北部ダラムサラを訪れ、チベット仏教最高指導者ダライ・ラマ14世やチベット亡命政府ロブサン・センゲ首相と会談する。北京で行われた米中首脳会談とほぼ同時期に訪問することで、改めてチベットの人権問題を重視する米国の姿勢を強調する狙いがありそうだ。

 チベット亡命政府などによると、スウォール次官は9日からネパールを訪れており、首都カトマンズなどでチベット人居住区を視察。ダラムサラでは、インドとネパールの亡命チベット人の公衆衛生に320万ドルを支援することを表明する。

 ネパールは中国チベット自治区と国境を接しており、ヒマラヤ山脈越えで国外亡命を図るチベット人たちが目指す最初の目的地となっている。ただ、ネパール政府は近年、亡命チベット人の取り締まりを強化しており、主要援助国である中国から何らかの圧力を受けている可能性が指摘されている。

 スウォール次官の訪問は、ネパール側にチベット人の人権を尊重するよう促す狙いがあるとみられる。チベット亡命政府の議員、アーチャルヤ・イエシ氏(52)は「ネパール政府は亡命者に厳しく、抗議の声も上げられない状況だ。米中首脳会談に合わせた訪問は大きなメッセージだ」と歓迎した。

 チベットは1950年に中国軍が進駐し、翌51年に中国の一部とする協定を結んだ。59年のチベット動乱でダライ・ラマがインドに亡命し、ダラムサラに亡命政府を樹立した。中国は65年にチベット自治区を設けたが、チベット人側は「自治が実現していない」として抗議を続けている。



朝日の法王様来日用の 特集記事かな?

(地球を食べる)望郷の味チベット料理

ニューデリー=貫洞欣寛
2014年11月13日11時12分

朝日新聞
 ニューデリー北東部マジュヌカティラ地区。大通りから「TIBETAN REFUGEE COLONY」(チベット難民居留地)と書かれた門をくぐり、車も入れない狭い路地に折れると、歩いている人の顔立ちが一変する。それまでの「インド人」の世界から、日本人とほぼ同じ顔立ちの人々の世界となるのだ。
 マジュヌカティラは、中国のチベット人が多く住む地域からインドに逃れてきた難民が集まって暮らす地域だ。露店にはチベット仏教の最高権威ダライ・ラマ14世の写真が並び、チベット人向けのホテルも。薄暗い迷路のような路地を右に左に曲がると、大きなチベット仏教のお寺がふいに現れる。
 ここには、いくつものチベット料理店が「本場の味」を競う。その一つ「ティーディー」を訪れると、店を切り盛りするタシ・チャツァンさん(36)が出迎えてくれた。経営者テンジンさん(34)の妻だ。
 チベットでの食事のつきものは、バター茶(ジャ)だ。れんがのように固まったお茶の葉を砕いて煮出し、牛乳とバター、塩を加える。
 「チベット人は朝から夜までジャを飲む。この街でも、それは同じ」とタシさんは笑う。バターのコクと軽い塩味に牛乳の甘みが加わり、「お茶」というよりも、ミルク味のスープと呼んだ方が、実際の味わいに近いかもしれない。
 朝食には、日本でいう麦焦がしのようなツァンパを、バター茶でこねて食べることが多いという。チベットは高地のため農業は放牧による酪農が中心で、バターやチーズなどの乳製品がよく使われる。ヨーグルトもあるが、「眠くなるから、夜にしか食べない」という。ヨーグルトといえば、日本ではむしろ、朝食のイメージだが。
 この食堂を訪れる客の半分はインド人。麺類なら一杯80ルピー(約160円)ほどで満腹になる安さを求める人や、「珍しいエスニック料理」としてチベット料理を楽しもうとする人が多いという。4割は周囲に暮らすチベット人チベット人が求めるのは「家庭の味」「本物の味」だ。残りは、チベット文化に興味を持つバックパッカーら外国人だという。
 チベットは標高の高い寒冷地で田畑に乏しいため、チベット料理も食材にバラエティーがあるとはいいがたい。だが、辛さや脂っこさが少ないため、日本人にとっては親しみやすいものが多い。特にギョーザのような「モモ」と各種の麺類は、日本人にも人気だという。
 麺は、ほうとうのような平打ち太麺のテントゥクと、細うどんのようなギャトゥクが代表的だ。いずれも、うどんやラーメンと同様、牛、鶏、羊などを煮込んだスープに入れて食べる。焼きうどんのように炒めることもある。
 モモは日本で一般的に作られるギョーザより皮が厚く、食べ応えがある。揚げたり焼いたりすることもあるが、蒸すのが最も一般的だ。中のあんは、牛、豚、鶏、野菜のみなどいくつもの種類がある。チベットだけでなく、ダージリンなどインド北部のヒマラヤ周辺地域でも同じものがある。
 モモをつまみ、テントゥクをすすりながら、タシさんに一家の歴史を聞いた。
 母親のツェリグさん(72)は1959年、両親やきょうだいとともにチベットからインドに亡命した。この時、チベットで反中国暴動が発生し、中国軍が制圧。ダライ・ラマを先頭に多くのチベット人がインドに逃れたのだ。
 冷涼なチベットと太陽が照りつけるインドでは、天候も自然も全く異なる。インドで難民キャンプに入ったチベット人の多くが病に倒れた。ツェリグさんは両親ときょうだいを次々と亡くし、伯父と生活を共にしたという。
 「母はチベットのことを語るとき、いつも涙を流している。戻りたがっている」とタシさんは言う。ツェリグさんらは最初は道路工事などの肉体労働でしのぎ、次に小さな商店を開き、生計を立てるようになった。のちに気候がチベットと似ているインド北西部ヒマチャルプラデシュ州に移ったという。
 タシさんは4人きょうだいの末っ子として同州で生まれ、チベット亡命政府が運営するチベット人学校で学んだ。高校を終えると職を求めてニューデリーに出た。
 その後、マジュヌティカラで育ったテンジンさんと知り合って結婚。店の切り盛りを任された。2人には、難民3世代目となる生後6カ月のワンチェンちゃんがいる。
 細かく切った牛肉をビーフンのような細麺やニンニクなどと炒めて煮込んだ「ピンタン」に、蒸しパンの「ティンモ」を浸して食べていると、タシさんは席を離れ、ワンチェンちゃんを抱いて戻ってきた。奥の部屋で寝ていたが、起きて泣き始めたのだ。
 「この子はいずれ、米国で勉強させようと思ってます」。タシさんは、あやしながら言った。
 タシさんの長姉は96年、米国のビザを得て移住。父と次姉、兄も移り住んだ。このままインドで暮らしても、生活は楽とはいえないし、難民という身分は不安定だ。一方、インド国籍取得の手続きは複雑で時間がかかるし、中にはワイロを求めてくる係官もいるという。
 「チベットに私たちが戻れる可能性は低い。インドにいても、明るい未来は見えない。それにね、米国のパスポートを取れば、米国人としてチベットに行くことができるかもしれない」
 タシさんは言った。
 故郷に戻れない人々のつむぐ望郷の味。いつか、チベットで一緒に食卓を囲めたら。そう思った。(ニューデリー貫洞欣寛



NO!高須院長、インドで右足骨折


http://www.nikkansports.com/entertainment/news/img/geinou-hirose-141112-takasu-ns140.jpg
インドで右足を骨折した高須克弥院長
 美容外科高須クリニック」の高須克弥院長(69)が12日、訪問中のインドのダラムサラで右足を骨折するアクシデントに見舞われたことを自身のTwitterで明かした。
 チベットの学生たちを支援する「チベット高須奨学金」などの功績によりチベット中央政府教育委員会から招待を受けて現地を訪れていた高須氏。この日は中学校を視察していたが、その際に右足を深いどぶの中に突っ込んで転倒し、骨折してしまったという。
 思わぬ災難ではあるが、「あの角度で全体重がかかって複雑骨折しないとは奇跡である!」と前向きな高須氏。
 ダライ・ラマ14世に帰依しているだけに、「全てダライ・ラマ倪下の御加護のおかげである。ありがたやなう」と感謝した。
 [2014年11月12日18時24分]