2014.11.13 17:49更新 産経新聞
ダライ・ラマと会談へ 米高官、中国けん制
米政府のチベット問題特別調整官を務めるスーウォル国務次官が15日に、チベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ14世とインド北部ダラムサラで会談することが分かった。ダラムサラにあるチベット亡命政府の関係者が13日、明らかにした。
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朝日の法王様来日用の 特集記事かな?
(地球を食べる)望郷の味チベット料理
ニューデリー=貫洞欣寛
2014年11月13日11時12分
朝日新聞
http://www.asahicom.jp/articles/images/AS20141112002539_commL.jpgチベット人地区の入り口には、チベット風の門がある。この角を曲がると行き交う人の顔が一変する=ニューデリー、貫洞欣寛撮影
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ニューデリー北東部マジュヌカティラ地区。大通りから「TIBETAN REFUGEE COLONY」(チベット難民居留地)と書かれた門をくぐり、車も入れない狭い路地に折れると、歩いている人の顔立ちが一変する。それまでの「インド人」の世界から、日本人とほぼ同じ顔立ちの人々の世界となるのだ。
マジュヌカティラは、中国のチベット人が多く住む地域からインドに逃れてきた難民が集まって暮らす地域だ。露店にはチベット仏教の最高権威ダライ・ラマ14世の写真が並び、チベット人向けのホテルも。薄暗い迷路のような路地を右に左に曲がると、大きなチベット仏教のお寺がふいに現れる。
チベットでの食事のつきものは、バター茶(ジャ)だ。れんがのように固まったお茶の葉を砕いて煮出し、牛乳とバター、塩を加える。
「チベット人は朝から夜までジャを飲む。この街でも、それは同じ」とタシさんは笑う。バターのコクと軽い塩味に牛乳の甘みが加わり、「お茶」というよりも、ミルク味のスープと呼んだ方が、実際の味わいに近いかもしれない。
朝食には、日本でいう麦焦がしのようなツァンパを、バター茶でこねて食べることが多いという。チベットは高地のため農業は放牧による酪農が中心で、バターやチーズなどの乳製品がよく使われる。ヨーグルトもあるが、「眠くなるから、夜にしか食べない」という。ヨーグルトといえば、日本ではむしろ、朝食のイメージだが。
この食堂を訪れる客の半分はインド人。麺類なら一杯80ルピー(約160円)ほどで満腹になる安さを求める人や、「珍しいエスニック料理」としてチベット料理を楽しもうとする人が多いという。4割は周囲に暮らすチベット人。チベット人が求めるのは「家庭の味」「本物の味」だ。残りは、チベット文化に興味を持つバックパッカーら外国人だという。
チベットは標高の高い寒冷地で田畑に乏しいため、チベット料理も食材にバラエティーがあるとはいいがたい。だが、辛さや脂っこさが少ないため、日本人にとっては親しみやすいものが多い。特にギョーザのような「モモ」と各種の麺類は、日本人にも人気だという。
麺は、ほうとうのような平打ち太麺のテントゥクと、細うどんのようなギャトゥクが代表的だ。いずれも、うどんやラーメンと同様、牛、鶏、羊などを煮込んだスープに入れて食べる。焼きうどんのように炒めることもある。
モモは日本で一般的に作られるギョーザより皮が厚く、食べ応えがある。揚げたり焼いたりすることもあるが、蒸すのが最も一般的だ。中のあんは、牛、豚、鶏、野菜のみなどいくつもの種類がある。チベットだけでなく、ダージリンなどインド北部のヒマラヤ周辺地域でも同じものがある。
モモをつまみ、テントゥクをすすりながら、タシさんに一家の歴史を聞いた。
母親のツェリグさん(72)は1959年、両親やきょうだいとともにチベットからインドに亡命した。この時、チベットで反中国暴動が発生し、中国軍が制圧。ダライ・ラマを先頭に多くのチベット人がインドに逃れたのだ。
冷涼なチベットと太陽が照りつけるインドでは、天候も自然も全く異なる。インドで難民キャンプに入ったチベット人の多くが病に倒れた。ツェリグさんは両親ときょうだいを次々と亡くし、伯父と生活を共にしたという。
「母はチベットのことを語るとき、いつも涙を流している。戻りたがっている」とタシさんは言う。ツェリグさんらは最初は道路工事などの肉体労働でしのぎ、次に小さな商店を開き、生計を立てるようになった。のちに気候がチベットと似ているインド北西部ヒマチャルプラデシュ州に移ったという。
その後、マジュヌティカラで育ったテンジンさんと知り合って結婚。店の切り盛りを任された。2人には、難民3世代目となる生後6カ月のワンチェンちゃんがいる。
細かく切った牛肉をビーフンのような細麺やニンニクなどと炒めて煮込んだ「ピンタン」に、蒸しパンの「ティンモ」を浸して食べていると、タシさんは席を離れ、ワンチェンちゃんを抱いて戻ってきた。奥の部屋で寝ていたが、起きて泣き始めたのだ。
「この子はいずれ、米国で勉強させようと思ってます」。タシさんは、あやしながら言った。
タシさんの長姉は96年、米国のビザを得て移住。父と次姉、兄も移り住んだ。このままインドで暮らしても、生活は楽とはいえないし、難民という身分は不安定だ。一方、インド国籍取得の手続きは複雑で時間がかかるし、中にはワイロを求めてくる係官もいるという。
タシさんは言った。