パルデンの会

チベット独立と支那共産党に物言う人々の声です 転載はご自由に  HPは http://palden.org

「老後」「介護」というと、みんな額に皺をつくって「タテマエ論」を言うからだ



勝谷誠彦氏の有料ブログより
2016年2月17日号。<

学生に進路を聞くと「福祉ですぅ」「
介護ですぅ」ばかり。アホかと思うのは私だけだろうか。タコが自分の食って死ね>

 3時半起床。尼崎市の家。
 いつも書いているが、ここは居心地がいい。何なんだろうな。ひとつは広いのと、もうひとつは高いのである。バカとナントカは高いところに登りたがるというが、究極が軽井沢の拙宅であって、いわゆる「銀座」までおそらく200メートルほど高度差があるのではないか。それをいつもニヤニヤしながら愉しんでいる。東京の家もいいのだが、視界がない。それに比べると尼崎の家は高層マンションの真ん中あたりとはいえ、やはり眺めがいい。高層マンションに住むのは馬鹿ではないかとさんざん書いている私としては忸怩たるものはあるが、キモチがいいものはいいのである。無責任なヒトですね、本当に。
 快適だというのは、
おそらくそれぞれの家に別々の人にメンテナンスをお願いしているからだ。ひとりのおね~ちゃんに頼んだ方が、いろいろな意味でずっとカネがかかるであろう(苦笑)。みんな、個人的に縁故がある方々。たとえばこの家は、うちで長いあいだ看護婦(この美しい言葉が私は好きで、アホのフェミ野郎どものせいで看護師とかになったのが不愉快でたまらない。私は父の医院で看護「婦」のみなさんの足もとで転がされながら育ったのだ)をしていた方がやってくれている。あとの家々も似たような縁故だ。
 ちょっと威張ると、こういう人脈が構築されているのが本当の「
財産」だと思う。カネで業者を通じてヒトを入れるのはそれはできるでしょう。でもどこまで信頼できるのか。フィリピンなどが長かった私はメイド文化をわりと知っている方だ。しかし、とことんは信じられない。私の場合は「最初にヒトがあってあとにイエがある」だ。ソフトがあってハードを考えるのである。もう私もそろそろから人生の店じまいを考える。おっと、カッコいいことを言ってしまった。あなたや、あなたが「何を言うとんねん」と反射的に思ったように、実は何も考えていないのだが(笑)まあ、考えると仮定する。誰ひとりまわりにいない私がどう年老いて行くか。
 ひとつの力は、たしかにカネでしょうね。
しかしカネだけでは解決できないものがあるのだ。このあと、その象徴的な事件を紹介しようと思う。やはりヒトですね。本当なら、できるならカネでヒトを使えるようにならないといけない。私がずっと見てきた海外のそれなりの人々は、元気なうちにシステムをちゃんと構築している。日本人は、そのことに鈍感すぎる。公的な扶助を頼りにするか、自分のカネをせっかく持っていながら、ちゃんと使えていないかだ。こんな事件。

 
おそらく、氷山の一角だと思う。
 

<「入所者の言動に立腹」/老人ホーム転落死、逮捕の元職員 /「入所者の言動に立腹」/老人ホーム転落死、逮捕の元職員>

 http://www.nikkei.com/article/DGXLASDG16HG0_W6A210C1CC1000/
 <川崎市の介護付き有料老人ホーム「Sアミーユ川崎幸町」
で2014年11~12月、入所者3人が転落死した事件で、うち丑沢民雄さん(当時87)を投げ落とした殺人容疑で逮捕された元職員、今井隼人容疑者(23)が任意の事情聴取に「入所者の言動に腹が立った」という趣旨の話をしていたことが16日、捜査関係者への取材で分かった。>
 議論の場所は個多数あると思う。ひとつはまあミクロな問題で「
介護の場所における虐待」だ。これをマクロにひろげて行くと、さきほど私が書いたように「では自分の老後はどうするか」になってくる。マクロは言い過ぎかな。まあ個人のミクロなことになるわけだが。しかし「国家のしての老後のケアをどうするか」という論議には私は参加したくない。もっとミクロなことの積み上げがそれにつながっていくと思うからだ。民族性もあるでしょう。「家族でなんとかしよう」が「国にみてもらう」への過渡期にあるからこそ、いまの介護問題は難しいのだから。
 今日は冒頭から飛ばしていたが、なぜかというと「老後」「介護」
というと、みんな額に皺をつくって「タテマエ論」を言うからだ自分におきかえるのがいちばんである。カネはあるのか。ヒトはあるのか。これは微妙なところだが、ほどほどカネがあってヒトがいない人は、施設に入る。だが、その施設そのものにカネがないのである。だからいま引いたようなクズが職員として入って来る。これはそうした分野で働いている方々のためにあらかじめ言っておくが、ほとんどは使命感がある人々である。ただし、介護や福祉の現場が「もっとも就職しやすい」ことは、私はさまざまな取材で知っている。

 敢えて書く。この日記だから書く。高度経済成長のころ「
とにかく飯を食いたい」人々がどこに集ったかといえば、西にいるから言うが、西成区釜ヶ崎であった東なら山谷ですかね。介護、福祉の現場というのは、いまそうなりつつある。気の毒なほど時給は安い。しかし人は足りない。それでも求人があるのは政府が「介護と福祉」と言っていれば票になるからだ。クソみたいな施設がたくさんできて、クソみたいな職員がいる。とにかく人を集めないと施設の運営ができないからだ。何度も言うが、ほとんどすべての方々は日々、真剣に介護の対象と向かい合っている。しかし、玉石混淆。まさにそういう方々こそわかっているのではないだろうか。「ヒトを集めればカネになる」というのは、いちばん危ない状態なのだ。
 ITバブルということがあった。
あの時も人材は引く手あまたであった。だがそれなりの最低限の知識がないと採用はされなかった。介護や福祉は違う。「それなり」のハードルがまことに低いのだ。そしてそのハードルに「どうかなあ」という人たち「も」殺到している。「も」と書いたのはくどいようだが真剣に向かい合っている人たちは別だからだ。運営する側はもう、儲かればいいのであって資格の中身などどうでもいい。看護師というのはたいへん思いライセンスでしかもちゃんとした医師であればこれまでのキャリアを見て採用する。しかし引く手あまた」の介護や福祉の現場ではそれが「どうでもいい」になっている。私は今回の事件で仰天した。
 <運営 施設任せ」/老人ホーム転落死、運営会社社長謝罪>
 http://www.nikkei.com/article/DGXLASDG16HEC_W6A210C1CC1000/
 <「有ってはならない重大な犯行。
ご遺族にお悔やみを申し上げる」。川崎市の老人ホーム転落死事件で元職員の今井隼人容疑者(23)が逮捕されたのを受け、施設を運営する積和サポートシステム東京・中央)の岩本隆博社長は16日、報道陣の前で沈痛な表情を浮かべた。
 岩本社長らによると、今井容疑者は2014年5月に入社。
身内の介護を志望の理由に挙げた。救急救命士の資格を持ち、職員からは期待する声もあったという。>
 救急救命士の資格の資格と日々の介護は違うでしょう。
でも採用した側は「フラっとだまされた」のだろう。いまメディアでこの社長の会見がしきりに流れているが、機会があったら観ていただきたい。いかにカネをもっている人間が介護や福祉というビジネスチャンスに「今だ」と思っていって、しかし本質的な理解がないか。岩本隆博社長は、おそらく現場をなにひとつ知らないと、私はそのコメントで感じた。事故のあとのリスク管理としてはよく出来ている。あざとい経営者だとは思った。しかし、こういうヒトたちの下で、家族に放り出された高齢者が犬猫のように死んで行くのだなあと。事件がなくとも、だんだんとみんなそうなっていくのである。
  人材不足に吹き溜まるのが、今回の容疑者のような人々だ。
私は長く風俗などの取材をしてきてこの国のそうした場所を知っている。ダメなひとたちがどこにいるかがわかる。でもね、私が言うダメというのは愛すべきダメなのだ。私もダメだったので。そのダメを救う業界があるということが、私を風俗にひきつけていた。だが、いまの福祉や介護の業界は本当にダメなヒトたちがいる。「面倒くさいからお年寄りを落としちゃおう」ということの凄さ、凄まじさをもっとメディアは論議した方がいい。にんげんとしての根底を崩すようなことですよ。それをしかし労働力として無防備に受け入れている場所とはどうなのか。こういうことは、どんどん起きると私は考える。捨てられた人々が、最低辺の連中に殺されるのである。人類の歴史の中で、実はこれは普遍的なことなのだ。

 ここで冒頭のことにもどる。「カネ」と「ヒト」
は両方必要なのである。難しいことを言っている。贅沢なことも言っている。しかし私くらいの歳になるとそれを計画しなくては生きてけない。「カネ」で「ヒト」は構築できるが「ヒト」から「カネ」を期待するのはもっとも嫌われる。あとは「ヒト」に関してはいくつものオプションを持っておくことだ。私は最後の手段として「フィリピンで死ぬ」というものがある(笑)。私の第二の祖国でのそれはむしろ「第一の手段」としたいほどだが、天皇皇后両陛下がおられる大和島根を出ることはできない。それだけだ。
 さきほどのニュースを引いたのは「自分について」
考えて欲しいからである。屑みたいな奴らに自分の余生を託すのかどうか。今も現場で懸命に働いている方々には申し訳ない。しかし「屑みたいな奴ら」の情報があまりに多くて。最低の労働力の現場が、介護や福祉になっていることは事実だ。それを煽ってきた政権の責任はあるだろう。どうでもいい名前も知らない大学生が「将来の希望は介護や福祉です」と良く言う。釜ヶ崎いって土方やって来いと言いたい。困ったもんだ。
 どうなんだろうか。むしろ、みなさんの意見を聞きたい。
介護や福祉はそれは必要なものだ。その労働の単価をあげるべきなのか。国家で負担するべきなのか。私はずっと昔から「タコが自分の足を食っているようなものだ」として「産業」としては成り立たないと主張している。まだ風俗の方がずっとよろしい。アホな支那人から一発抜いて、日本のヤンキーギャルが儲かるならば、それこそ外貨獲得である。ああ、また私を呼んでくれるメディアが減ったなあ。

 久しぶりに経済について。
支那の株価に対して日本の市場が反応しすできていて、私はずっと不愉快だった。「あそこは八百長資本主義なので関係ない」と言ってきた。やっと世界が(私が言ってるだけ・笑)理解してニューヨークと上海が連動しなくなってきた。支那の経済は、ここでずっと書いてきたように、本当に悪い。あんなもんが長続きするわけないのである。なのにその支那人に依存する馬鹿どもについても批判してきた。ざまあみろである。次は日本だね。
 

<「日本に中国人客を奪われた」と香港紙「爆買い」激減で広がる恨み節>

 http://www.sankeibiz.jp/macro/news/160216/mcb1602161925026-n1.htm
 <香港の入境事務局によると、
今月7日から13日までの中国の春節旧正月)7連休のうち、12日までの6日間に中国本土から香港に入境した人は延べ74万4千人で、前年の春節連休に比べ11.7%の大幅減になった。なかでも本土からの団体ツアーは連休前半の4日間で約100組と例年の3分の1以下となり、「十数年で最大の落ち込み」と観光業界団体は肩を落としている。>
 別に日本にカネ落としているからじゃないって。
そもそもそういう客を相手にしていることでそうした日本の業界はダメでしょう。そうした実態は、実は支那が発表しているヤラセの経済指数よりも参考になるのである。よほど、支那の経済状況は悪い。これこそが、相手国の中に工作員を置いていなくてもわかる「ヒューミントなのだ。支那の経済が悪い。では、どう出て来るか。経済を良くする究極は「戦争」だ。尖閣がしばらく忘れられているが、私は経済的にも、注視していきたいと考える。

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