トフティさん ご無沙汰しています。
【本音を生きる】 元外科医 エンヴァー・トフティ・ブグダさん (上)大紀元より転載
2016/02/12 07:00
波瀾万丈とは彼のために作られた形容詞だろうか。中国の核実験を世界に訴え、ウイグルの独立を思い、中国で外科医をしていた時に意に反して臓器狩りをしたことを懺悔する。ウイグルと日本の文化的な共通点を見いだした日本びいきでもある。トフティさんの「本音」人生を語ってもらった。
—中国でお生まれですか?
—いろいろお名前がありますよね。
日本ではこれまで「アニワル」という表記が定着していましたが、ウイグル語での発音は「アンヴァール・トフティ・ブグダ」なんです。中国の官僚がウイグル語の発音に漢字を当て、また別の官僚がその漢字を中国語読みでアルファベットに置き換えたので、英語名はエンヴァー・トフティとなりました。中国の人名用に漢字四字分を設けた用紙には書ききれなかったので、親から受け継いだ苗字「ブグダ」の部分は省略されました。昨年、英国のパスポートを更新した際、初めて自分の苗字をパスポートに記載してもらい、ようやく自分の本当の名前が使えるようになりました。前に中国語の取材を受けた時、安華帝托(天帝に托して中華を安定させる)という字を当ててもらい、気に入っています。
—医者としてどのような倫理をお持ちでしたか?
ウイグル人、漢人を問わず、目の前の患者の命を救うことを第一に考え、誰に対しても公平な正しい医者になりたいと思っていました。医学部で良い先生に恵まれ医療倫理をしっかりと植え付けられました。国際会議にも多く参加し、知識と技術の向上にも励んでいました。
—医者として 貢献された経験を一つ教えてください。
13年間、無料奉仕でウイグルの小さな村をまわり、割礼(包茎手術)をしました。イスラム教圏では重視されている習慣です。自分が小さな村の出身だったので、小さな村を助けたいという気持ちがありました。
—原爆症の調査を始め、『死のシルクロード』(英国チャンネル4で1998年に放映後、世界83カ国で上映)のドキュメンタリーに協力するまでの経過を説明していただけますか?
ウルムチの鉄道局付属病院でガンの治療にあたっていたとき、ウイグル人患者の比率が高いことを不思議に思い、調査を始めました。調査の結果、ウイグル人のガンの発症率は国家平均と比べて35%高く、ウイグルに長く居住している漢人の発症率も高いことが判明しました。
地元では皆、核実験のことは知っていましたが、私の調査は中国によるロプノールでの核実験を証明することとなりました。その後、語学留学先のトルコで、新疆の核実験被害の実態をルポしたいという英国のジャーナリストと出逢い、医者としての良心から被害状況を広く公開したいと願っていたので協力に応じました。これは故郷には戻れなくなり、仕事も家族も全て失うという大きな決断でした。ドキュメンタリーを通して原爆症を告発することで、中国共産党からはウイグルの分離派として「御用」人間になってしまいました。
トルコではイスタンブール大学チャパ医学部の外科医として良い仕事に就いていましたが、1998年の12月、 トルコの首相が中国と の「犯罪人引き渡し条約」に合意署名したことをアンカラの台湾人レポーターが伝えてくれました。1999年1月23日に英国に行き、ヒスロー空港でドキュメンタリーを見せて難民申請しました。1999年4月に中国の高官がトルコを来訪しているので、その時まで国内にいたら中国に強制送還されていたことでしょう。
—ロプノール・プロジェクトはこうして始まったんですね。
はい。中国政権は1964年10月16日から1996年7月26日にかけて、核実験を46回行いました。実験に関わった8023部隊の兵士は補償されましたが、被害で苦しむ村の人々は無視されています。 新疆の人々の90%は農民で年間の平均収入は当時5000元でした。当時、一回の化学療法に15,000元かかったため、ほとんどの人はガンの宣告を受けると治療は受けずに家に戻りました。
—プロジェクトの主旨を教えてください。
問題を認識し、被害を受けた家族を補償し、無料で医療手当を受けるよう政府に要求します。汚染された土地で苦しむ農民への補償も求めます。被害はウイグル人に止まりません。1970年代以来、中国人が移民していますが、長く居住すればするほど発癌率が高いのです。
中国政府はこのプロジェクトの存在を認めておらず、コミュニケーションもとっていません。英国のビジネスマンが話してくれたのですが、代表者として中国を訪問した際、中国政府の役人がエンヴァーという男は嘘を言っていると否定したそうです。
2016年1月、ロンドンで (撮影:大紀元 Simon Gross)
医療倫理に反する行動
【本音を生きる】 元外科医 エンヴァー・トフティ・ブグダさん (中)
2016/02/19 07:00
?英国に移民され、心境の変化はありましたか。
これまで共産党政権下の教育を受けていましたが、西洋社会で目も心も開き、物を見る視点が完全に変わりました。そして自分の罪を認識し愕然としました。
?どのような罪を犯してしまったのですか?
1995年夏に上司の命令で一度だけ、生きた処刑者から臓器を摘出させられました。処刑場で待機し、銃声が鳴ったら中に入れと言われました。看護婦は逃げ出そうとし、私も手が震えました。でもその場では拒否する余地はありませんでした。言われた通りにする、そのような状況でした。
ロンドンに移住し、罪悪感が募りました。処刑者の名前も人種も宗教も分かりません。以来、モスク、寺院、教会などで機会があるごとに彼の冥福を祈っています。
?罪を告白する機会はありましたか?
はい。ずっとこの問題を追いかけてきたジャーナリスト、イーサン・ガットマン氏の報告会がロンドンの国会議事堂内で2010年にあり、その場で初めて、自分は医療倫理に反する行為をしたと告白しました。一人で重苦しく抱えていたものをその時、初めて外に出すことができました。その後、欧州議会、スコットランド議会など機会があるたびに証言者になっています。ガットマン氏は多くの迫害犠牲者から聞き込み調査し、実際に中国で起こっていることを『Slaughter(屠殺)』という著書にまとめ、2014年に出版しました。臓器狩りを行った証言者として第1章に私の体験が紹介されています。
2015年の11月に米国でリリースされた『知られざる事実』(Hard to Believe)という映画でインタビューを受け、証言しています。これらの証言を通して、世界の人々の良知が目覚めることを願っています。
?日本でもお話しされる機会がありましたか。
2015年の秋に広島のシンポジウムに参加した時期、ちょうど真善忍国際美術展が開催されていましたので、訪問させていただき、自分の体験を語る機会に恵まれました。
(注:「アニワル・トフティ」という表記が日本では定着しているが、英語名およびウイグル語のもとの発音に近い「エンヴァー」をこのシリーズでは採用した)
中国共産党は自国民を標的に多くの政治運動を展開し、中国全体に道徳が低下した状態をもたらしました。敵がいなくなった時、ウイグルに目が向けられました。これまで長い間、裏庭に押しやられ、日の目を見なかったウイグルが、今は分離派、邪悪な勢力、国内のテロリストというレッテルを貼られています。ウイグルの人々は、世界を知る前に、中国共産党のキャンペーンの標的となってしまいました。
—日本についての印象をお聞かせください。
前回(2015年秋)は4度目の訪日でしたが、今回は友人を通じて日本の社会を探索する機会に恵まれました。
中国では「日本は帝国主義国家であり、中国全体を飲み込もうという大志を抱き、第二次世界大戦では数百万人が殺害された」と教育されてきました。しかし、日中戦争を扱った映画を見た時、日本帝国軍より中国の連合軍の人数が多いことに気づきました。日本軍とともに中国軍が戦っていた?何かが隠されていると感じました。前回の滞在で、日本人つまり大和民族は、道理の通った民族だと心から実感しました。
無条件で人に尽くせること、相手を尊重することは、日本人だけがもっている特質ではないかと思います。今回の滞在では日本の人々からなぐさめや声援の言葉を受け、涙で胸がつまりました。
ウイグル語はトルコ語に似ています。ウイグル語も日本語もアルタイ系語族で、文の語尾が変化します。また、黄河から北の大陸文化には鳥居のような門が共通してみられます。この門の文化はハンガリーにまで広がっています。
生活習慣の面でも共通するものがあります。臨月に入った妊婦が実家に一ヶ月戻るなど、欧米や漢民族にはない習慣です。私的なことですが、家具の少ない畳の部屋は、幼い頃の自分の家を思い出します。砂漠の遊牧民のため、家具は持たない暮らしでした。
— 昨秋、東京と広島に滞在されましたが、これらの都市はトフティさんにとってどんな場所ですか?
東京には『ウイグル文学と文化を語る国際シンポジウム』のパネリストとして招かれました。他のパネリストは、詩人、考古学者、映画脚本家などがいますが、自国の文化を振興させたことで中国政府から分離派とみなされ、自国に留まることができなくなった人たちです。
東京は表面的には世界の首都と変わりません。でも案内してもらうことで、隠された東京の美しさが浮かび上がってきました。日本文化の美しさに加え、東京の人々は、他人を気遣い、耳を傾け、自国で苦しむ人の痛みを感じ、犠牲になった人を支援しようとしてくれています。他の国ではみられない暖かさです。
ここでは、何でも発言できます。どこの出身であっても自分の声が届き、意見を提示する場所があります。これは「自国」があるという意味です。中国政権下のウイグルでは自国の文化の維持も許されません。
また、広島では『広島・長崎被曝70周年「核のない未来を!世界核被害者フォーラム」』の核実験被害部門のパネリストとして参加しました。原子爆弾の犠牲となった広島では、 目に見える破壊だけでなく、人々は心の深手を負っています。
最も深く感銘したことは、広島の人々は原爆の犠牲者としてただ泣いているのではなく、過去を冷静に受け止め、間違った道に進んだら何が起こるのかを世界に伝えていることです。広島と長崎は人間の悲劇を示し、思考が明瞭でなく野心に動かされている世界のリーダーたちが核兵器発射のボタンを押すことを思いとどまらせます。広島と長崎の人々が核戦争を防止してきたと言えるでしょう。
—ありがとうございました。これからもいろいろな活動、頑張ってください。
記者ノート:漢民族ではない同じ少数民族の日本が独立国として栄えていることに深く感銘し「日本から学びたい」と口癖のように語る。ウイグル人の医師として現地の核実験の被害状況を把握し、英国のドキュメンタリー制作に協力したがために、英国に移民する身となる。欧米社会に暮らすようになり、権威主義の価値観から解放されることで、一度だけ強制的に行わされた臓器狩りの罪の深さに苛まれるようになる。苦しむ人のために生き抜いてきただけにその辛さは並大抵ではないだろう。苦しみに耐えた人だけが出せる笑顔が印象的だった。
(文・鶴田ゆかり)