隠された台湾新総統の暗号
編集委員 中沢克二
- 2016/5/25 6:30
- 日本経済新聞 電子版
台湾初の女性総統となった民進党の蔡英文。5月20日の台北での就任祝賀式典では、中国側が要求する「一つの中国」に触れるのかに、世界中の視線が集まった。新総統の回答は「一つの中国」には直接、言及しないものの、それを前提とする「現行憲法(かつて蒋介石・国民党政権が大陸で制定した中華民国憲法)体制」を明言することで、中国に一定の配慮を示した。
「政権立ち上げの障害になりかねない大陸との摩擦を避ける手法は極めて巧みだ。だが、けっして中国の圧力に屈したわけではない。答えは、就任演説前の台湾史を巡るパフォーマンスにある。是非、隠された『暗号』を読み解いてほしい」。台湾の老学者による興味深い指摘である。
屋外の就任祝賀式典では、新総統の演説に先立ち、台湾の歴史を時代を追って紹介する「台湾の光」と題した大がかりな歴史劇が披露された。もともと台湾に住む各民族、海外からの移民、民族芸能団体から1000人以上が参加した。そこで強調したのは台湾の民族・文化の多様性。つまり「台湾人としての意識」である。
多くの民族が暮らしていた台湾にポルトガル船が来航。続いてオランダ人、スペイン人らが来た後、17世紀後半に清王朝の軍隊が大陸から台湾に入った。この史実を弁髪の人物ら騎馬隊の闊歩(かっぽ)で表現。ナレーションで、台湾は清という満州族による王朝が統治する「植民地」になったと定義した。
清朝による統治は「植民統治」としたが、日本による統治は「高圧的統治」。高圧的というマイナスのイメージで表現しながらも、植民地という言葉を避けた。ここには、清朝が台湾を「化外の地」と蔑み、見放した経緯への不快感に加え、中原中国と台湾の歴史を明確に分ける考え方がにじむ。
馬英九前政権は「一つの中国」の原則に立ち、「中国」を「中国大陸」に変えた。台湾も中国である、との認識からである。17世紀の明朝の遺臣、鄭成功の台湾時代を巡っては「鄭氏統治」を「明鄭統治」に書き換え、中原の漢民族による明王朝との密接な関係を訴えた。日本の「統治」についても「植民統治」という表現に変更した。
今回の蔡英文新政権による改訂は、台湾独自の歴史を重んじる内容だ。就任祝賀式典の台湾史劇もこれに沿っていた。そこには、いわゆる“台湾人”の父母を持つ新総統の歴史観がにじむ。これが蔡英文が入念に仕込んだ「暗号」の意味だ。学者と政治家の両方の顔を持つ新総統ならではの知恵といえる。
とはいえ、中国と台湾が絡む歴史認識を巡る論争は、なお続く可能性がある。それを暗示するのが、就任祝賀式典が開かれた総統府前広場の東に位置する巨大な建物だ。かつての国民党総統、蒋介石の巨像がある中正記念堂である。北京・天安門広場にある毛沢東の遺骸を安置する毛沢東記念堂をもしのぐ規模だ。