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「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」
平成28年(2016)6月27日(月曜日)
通算第4943号
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砂漠の蜃気楼がまた
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習近平は再度吠えた。「シルクロード」(一帯一路)の建設を急げ、と。
現地入りしたワシントンポスト記者が書いた。「当該地方政府は2030年までに人口は百万となる。空港も拡張した。いまでも15万人が居住し、4万の建設労働者が働いています」と豪語したが、「町はみごとに空虚、クレーンもとまったまま、道路は砂で埋もれつつある」(同紙、5月30日)。
現場は蘭州である。
甘粛省の省都でもある蘭州は、かの『西遊記』で、三蔵法師が西安からこの地を拠点に西へ西へと旅をつづけた拠点である。
蘭州の川沿いの公園には玄奨こと、三蔵法師がラクダに乗って周りを孫悟空、猪八戒らがしたがう金ぴかの像が建っている。
蘭州から武威、酒泉、そして万里の長城の最西端へと砂漠、台地、荒れ地を辿ってトルファンを経由しインドへ向かった。ところどころ激流があって蘭州も武威も酒泉もオアシスとして栄えた。
蘭州はまたガンの特効薬として中国人が信じる冬虫夏草の産地でもあり、目抜き通りには二十数軒の冬虫夏草屋の老舗、有名店が並ぶ。これをめがけて中国全土から買い付けに来るので、業者は最近、ブータンにも不法入国し盗採取していると聞く。
武威にはマルコポーロが一年以上滞在した記録があり、町のど真ん中に彼の白亜の像が聳えている。
六年ほど前、この河西回廊を鉄道とバスで旅をしたことがある。
蘭州の郊外からボートをぶっ飛ばして二時間の箇所に石門峡があり、岩肌に仏像が彫られていて観光客がかなり来ていた。
この石門峡がダムとなって、付近の流れがかわった。胡錦涛は無名時代、この発電所に勤務していた。その有能ぶりを見いだしたのが周恩来の秘書だった宋平である。
文革時代、不遇をかこつた習近平は隣の陝西省にいた。
習近平の「シルクロード構想」は、この蘭州が西安につぐ拠点となる。だから新都心を建設したわけだ。
砂漠に摩天楼を建てて、案の定、廃墟と化けた。ゴーストタウンがまた一つ、砂漠に蜃気楼の如く現れ、やがて。。。。
地元政府は「蘭州は西方のダイアモンドとなる」といって騒いだ。貧困な農村部から都市へ移動させ、そこに雇用があり、企業が誘致され、大学もできて繁栄するという夢をなぜ描いたのか。
そうだ。深センと上海浦東がモデルだった。「中国の夢」は、このふたつの新興都市の繁栄ぶりだった。
深センは香港に隣接する漁村だった。人口僅か八千人の寒村が、またたくまに一千万都市に急膨張したのも、トウ小平の南巡講話の発祥の場所でもあり、香港を中心として華僑がどっと進出したからだった。
上海はもとより旧市内が膨張したうえ、飛行場が整備され、リニアカーが敷かれ、大学も多く、労働力が幾らでも全土から押し寄せたから新都心として容易に発展できた。摩天楼、上海の金融街の魅力は世界の投資家、起業家を惹きつけた。
この深センと上海の浦東は中国に於ける例外でしかない。しkし多くの地方政府幹部は、自分たちの夢のモデルになるという、中国人特有の「拝金教」に取り憑かれた。
蘭州も「第二の浦東」になって成功できる、いや九江も、オルダスも、フフホトも延安も、みなが「中国の夢」とは「第二の浦東」を目標に、商業的採算を度外視しての突貫工事。ビルは建ち、道路は整備され、工業団地は造られ、そして誰もこなかった。
住宅街はからっぽ、道路は早くも砂漠化しており、そして建設費用の借り入れには償還と利息があることを誰も留意しなかった。上の号令一下、ただひたすらハコモノをつくっただけだった。
「利益をまったく生まない投資」、そして償還時期に直面し、通貨を増発し、利息を支払うためだけの回転資金の確保のために地方政府は債券を発行し、シャドーバンキングを利用し、闇金にも手を出し、ついにデベロッパーの多くが倒産した。経営者は自殺するか夜逃げするか、海外逃亡となった。
整合性のある戦略はなにもなかった。全体主義国家の計画経済のなれの果てはいつの世にもこのような凄惨な結末となるのである。
(この稿は『月刊日本』7月号からの再録です)
平成28年(2016)6月27日(月曜日)
通算第4943号
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砂漠の蜃気楼がまた
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習近平は再度吠えた。「シルクロード」(一帯一路)の建設を急げ、と。
現地入りしたワシントンポスト記者が書いた。「当該地方政府は2030年までに人口は百万となる。空港も拡張した。いまでも15万人が居住し、4万の建設労働者が働いています」と豪語したが、「町はみごとに空虚、クレーンもとまったまま、道路は砂で埋もれつつある」(同紙、5月30日)。
現場は蘭州である。
甘粛省の省都でもある蘭州は、かの『西遊記』で、三蔵法師が西安からこの地を拠点に西へ西へと旅をつづけた拠点である。
蘭州の川沿いの公園には玄奨こと、三蔵法師がラクダに乗って周りを孫悟空、猪八戒らがしたがう金ぴかの像が建っている。
蘭州から武威、酒泉、そして万里の長城の最西端へと砂漠、台地、荒れ地を辿ってトルファンを経由しインドへ向かった。ところどころ激流があって蘭州も武威も酒泉もオアシスとして栄えた。
蘭州はまたガンの特効薬として中国人が信じる冬虫夏草の産地でもあり、目抜き通りには二十数軒の冬虫夏草屋の老舗、有名店が並ぶ。これをめがけて中国全土から買い付けに来るので、業者は最近、ブータンにも不法入国し盗採取していると聞く。
武威にはマルコポーロが一年以上滞在した記録があり、町のど真ん中に彼の白亜の像が聳えている。
六年ほど前、この河西回廊を鉄道とバスで旅をしたことがある。
蘭州の郊外からボートをぶっ飛ばして二時間の箇所に石門峡があり、岩肌に仏像が彫られていて観光客がかなり来ていた。
この石門峡がダムとなって、付近の流れがかわった。胡錦涛は無名時代、この発電所に勤務していた。その有能ぶりを見いだしたのが周恩来の秘書だった宋平である。
文革時代、不遇をかこつた習近平は隣の陝西省にいた。
習近平の「シルクロード構想」は、この蘭州が西安につぐ拠点となる。だから新都心を建設したわけだ。
砂漠に摩天楼を建てて、案の定、廃墟と化けた。ゴーストタウンがまた一つ、砂漠に蜃気楼の如く現れ、やがて。。。。
地元政府は「蘭州は西方のダイアモンドとなる」といって騒いだ。貧困な農村部から都市へ移動させ、そこに雇用があり、企業が誘致され、大学もできて繁栄するという夢をなぜ描いたのか。
そうだ。深センと上海浦東がモデルだった。「中国の夢」は、このふたつの新興都市の繁栄ぶりだった。
深センは香港に隣接する漁村だった。人口僅か八千人の寒村が、またたくまに一千万都市に急膨張したのも、トウ小平の南巡講話の発祥の場所でもあり、香港を中心として華僑がどっと進出したからだった。
上海はもとより旧市内が膨張したうえ、飛行場が整備され、リニアカーが敷かれ、大学も多く、労働力が幾らでも全土から押し寄せたから新都心として容易に発展できた。摩天楼、上海の金融街の魅力は世界の投資家、起業家を惹きつけた。
この深センと上海の浦東は中国に於ける例外でしかない。しkし多くの地方政府幹部は、自分たちの夢のモデルになるという、中国人特有の「拝金教」に取り憑かれた。
蘭州も「第二の浦東」になって成功できる、いや九江も、オルダスも、フフホトも延安も、みなが「中国の夢」とは「第二の浦東」を目標に、商業的採算を度外視しての突貫工事。ビルは建ち、道路は整備され、工業団地は造られ、そして誰もこなかった。
住宅街はからっぽ、道路は早くも砂漠化しており、そして建設費用の借り入れには償還と利息があることを誰も留意しなかった。上の号令一下、ただひたすらハコモノをつくっただけだった。
「利益をまったく生まない投資」、そして償還時期に直面し、通貨を増発し、利息を支払うためだけの回転資金の確保のために地方政府は債券を発行し、シャドーバンキングを利用し、闇金にも手を出し、ついにデベロッパーの多くが倒産した。経営者は自殺するか夜逃げするか、海外逃亡となった。
整合性のある戦略はなにもなかった。全体主義国家の計画経済のなれの果てはいつの世にもこのような凄惨な結末となるのである。
(この稿は『月刊日本』7月号からの再録です)