パルデンの会

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< ビハーラ僧> 孤独癒やす、駐在僧侶


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孤独癒やす、駐在僧侶

ベッドの横に座って患者と会話する山本成樹さん=京都市西京区三菱京都病院

 僧侶が非常勤の「職員」として働く一般の総合病院がある。最期は1人で他界していくことになる患者や、その家族の苦悩に寄り添う。三菱京都病院京都市西京区)では昨年2月から、仏教系の緩和ケア施設から僧侶の派遣を受けている。宗教法人が運営に関わっていない病院では珍しい取り組みだ。活動で見えてきた「僧侶がいる病院」の意義を聞いた。

 ●緩和ケア病棟に

 「昨日、親戚がようけ見舞いに来よって。わしももう死ぬねんな、と思いましたわ」「そうなんですね。これまでどんな楽しかったことがありましたか? 奥さんに言えないことでもOKですよ」「仕事の合間に、昼からゴルフやマージャンしてねえ」

 4月初め、緩和ケア病棟の一室。僧侶の山本成樹(なるき)さん(49)は、肝臓がんで入院している70代の男性の隣に座り、ほほ笑みながら話しかけた。

 「ご家族に伝えたいことは伝えはったんですか」「息子には、頼むぞと。嫁はんには手紙を書くつもりです。長くて、嫌みなヤツを」「アハハハ」

 やがて訪れる死を見据えて会話は進むが、部屋には穏やかな空気が漂っていた。

 山本さんは浄土真宗本願寺派が運営する「あそかビハーラ病院」(京都府城陽市)で5年前から常駐の「ビハーラ僧」として勤務。施設を見学した三菱京都病院の吉岡亮・腫瘍内科・緩和ケア内科部長(46)らの強い要望を受け、毎週金曜に通うことになった。吉岡部長は「医療は診断と治療はできるが、人が死にゆく時に感じる苦悩に十分対応する力はない。そこを僧侶に補ってもらえるのではと思った」と話す。

 ●布教せず、話聞き

 原則として布教はせず、活動は話を聞くことが中心。宗教に抵抗を感じる人もいるため法衣(ほうえ)は着ず、あえて「僧侶」と明かさないこともある。

 話し相手が宗教者である必要があるのか悩んだこともある。だがやはり「僧侶であることに意味がある」と山本さんは信じる。

 ●不安に寄り添い

 娘と死に別れることを悲しんでいた50代の女性患者に、「倶会一処(くえいっしょ)」というお経の言葉を伝えた。「死んでもまた会える世界がある」という意味だ。ある日、体の痛みに苦しんだ女性は山本さんの手を強く握り「娘と、また会えるんやんな」と念を押すように聞いた。山本さんがうなずくと、やがて落ち着いたように眠り、2日後に亡くなった。「こちらから押しつけることはなくても、患者さんが死への不安や恐怖を口にした時、寄り添えるだけの人間観、死生観を持っているかどうかは大事」。山本さんはそう力を込める。

 吉岡部長は「仏教で救ってあげたいという論理を持ち込まれると逆に問題。多くの僧侶を病院で受け入れるためには、『自分は何もできないがただ話を聞かせてほしい』という姿勢や、最低限の医療の知識は学ぶといった基準を作ることが必要になってくるだろう」と話す。【花澤茂人】


ビハーラ僧

 サンスクリット語で「安らぎの場」や「癒やし」を意味する。仏教の視点からの終末期施設の呼称として1980年代に提唱され、患者らに寄り添う活動に携わる僧侶を「ビハーラ僧」と呼ぶ。より広く医療や社会福祉の場で活動する僧侶を指すこともある。